| Viaje 旅の記録 |
outh
Africa &
imbabwe
未知の大陸へ
アフリカといっても、エジプトとザンビアでは全く違うし、南アフリカとブルキナファソを同じアフリカ大陸にあるというだけで、同列に考えるのはナンセンスの極みである。などと知ったかぶりなことを書いてしまいましたが、かく言う私も行く前はサファリ、サバンナといったことしか思い浮かばないくらい、アフリカ(だから、ひとまとめにできないんだって)というものを知らなかったのです。今でもそんなに、理解はしてませんが。ですから、長い間慣れ親しんだラテンの世界から、未知の大陸(厳密に言うとチュニジアは行ったことありました)に入るという、寂しさと不安を抱えて南アフリカのケープタウンに降り立ったのでした。
英語が出てきましぇ〜ん
約9ヶ月間、ほぼスペイン語だけを使ってきたので、英語がまったくでてきません。ただでさえ中学英語程度の実力なのに、頭がすっかりスペイン語モードから切り替わらなくて、難儀しました。これ以降スペイン語の活躍の場はないわけで、いやでも英語をしゃべらざるを得ません。いやはや、大丈夫かいな?
初のドミ体験
今ではまったく問題ないのですが、その時まで私はドミトリーに泊まったことがありませんでした。もちろん日本人宿では別です。見ず知らずの、しかも外国人と(とても日本人的偏見だぁ)いっしょの部屋に寝るなんて、できれば避けたい、と思ってたのです。でもケープには安い個室の部屋はなく(それでなくても物価は高い)、ここはいっぱつ覚悟を決めて(大袈裟なこっちゃ)ドミ初体験とあいなったのでした。でも、アンルイスより小野ヤスシ(ちょっと違う?)とはよく言ったもので、泊まってみればなんちゃない。ほとんど問題ありまへん。基本的にみんなバックパッカーなわけで、そんなに金を持ってるわけでもないし(中には全財産持ち歩いてる人もいる)、逆に仲良くなっちゃえばメリット多いし。もちろん貴重品の管理は怠ってはいけませんが。
恐怖のイースター
日本では休日でも、というか休日だからこそ、お店開いてますが、外国ではそうはいきません。レストランも銀行も観光地も映画館もみんなお休みだったりします。クリスマスぐらいだったらわかりますが、イースターホリデーなんて日本人にはピンとこないでしょ。で、ここでそいつにつかまっちゃったんだなぁ。まいったよ。とりあえずクレジットカードでお金おろせたから良かったけど。ケープタウンは治安もそこそこいいし、街中もきれいだし、見所もあるし、イースターじゃなかったらもっとおもしろかただろうな。残念である。
H氏と会う
夕方、バーに行って酒飲んで、メシ食うまでの時間つぶし。8時近くなったので、飲み屋兼食堂といった感じのところへはいる。なんか日本人っぽい人がいるなぁ、と思ってると、その人が話し掛けてきた。H氏38才。坊主頭の童顔のため、とてもそうは見えない。彼がいる宿は私がいたとこより安く、しかも街中に近い。じゃぁ、移ろうってことに。彼はなかなか変わった人で、なんとカメラを持っていない!こんな人他に知らん。で、他の荷物も圧倒的に少ない。私の1/3くらいである。確かにその時の私の荷物は今考えると、ちょっと多すぎたと思う。でも本と音楽のない旅なんて私には考えられないので、ある程度重くなってもしゃーないのである。話しがそれましたが、彼はジンバブエ方面から来て、この後は南米へ行くとのこと。私とまったく逆のコースである。ということはお互いにこれから行く国の情報を仕入れられるということ。おかげでこの後とっても助かりました。(ちなみに彼とわかれて2年程あとで、彼から手紙が来ました。なんと私のペルーの友達のところにいるとのこと。なんでもチリでバイクで事故って、1年ぐらい入院してたらしい。)
緊張のヨハネスブルク通過
ケープタウンからジンバブエのブラワヨという街までバス。しかし、途中ヨハネスブルクでバスを乗り換えなきゃならん。しかも待ち時間が10時間近くもありやんの。ヨハネスと言えば、旅行者の間では最も恐れられてる街の一つである。アパルトヘイトがなくなってから、一気に治安が悪化したらしい。街中をバックパックしょって歩こうもんなら、どうぞ襲ってください、と言ってるようなもんだ。と、ある旅行者はその恐怖体験?を回想していた。という訳で、いくらバスターミナルの建物から出ないといっても、10時間近くも大荷物抱えて一人でいたくない。こういう時、パートナーがいると便利なんだよね。トイレや食事の時、複数だと楽々。まぁ、精神的にとても疲れましたが、何事もなくジンバブエ入国を果たす。
ビクトリアフォールズへ
ブラワヨへ来たのは、ビクトリアフォールズへ行くためである。ここから列車で向かうのですが、これがけっこうちゃんとした寝台車。翌朝、7時くらいに着く。すぐにキャンプサイトへ。でもいっぱいだ。近くの安宿を求めてひたすら歩くが、ない!仕方ないので、再びキャンプサイトへ。ベッドあるじゃん。そこで日本人旅行者と会う。彼は協力隊でラ・パスにいたとのこと。2人で「スペイン語はいいですよねぇ」などとお話し。ちょっと休んでから自転車借りて、いざビクトリアフォールズへ。まずはザンビアサイド。そう、ここもイグアスといっしょで国境地帯なのである。両国のイミグレの間の橋でバンジーやってた。なんでも世界一の落差とか。でも$90は高いぞ!肝心の滝はまぁ良かったけど、個人的にはイグアスの方が好きだな。次の日ジンバブエサイド見て帰りの列車に。
ブラワヨのゲストハウス
ブラワヨではH氏に教えてもらった宿へ。街中からはバス(これがなかな来ないのよ)で行かなきゃならないけど、自炊できるし、私の好きなネコ(ひとなつっこい子猫が5匹)いっぱいいるし、オーナーのトニーは気さくないい奴だし、なかなかよいとこ。ドミの同じ部屋によくしゃべるアメリカのおやじがいた。話しを聞いてると、H氏が言ってたジュリーではないか。本当かどうかわからないけど、100ヶ国以上旅したとか豪語しとったぞ。彼曰くナイロビよりダルエスの方が危ないとか。なんでもダルエスで刺されたらしい。バッグを。ちょっとエキセントリックなオヤジで、長い時間いっしょにいると疲れそうだ。 トニーがちょうど誕生日だったので、歌舞伎シールをプレゼント。
ハラレの日本人宿
首都のハラレには日本人宿がある。と言っても、ここは日本人がやってるわけではなく、日本人旅行者が多く集まる宿である。日本の文庫本があるのがありがたい。ここにはちょっとユニークな滞在者がいました。足に障害があるのか、歩行器を使って部屋からリビングまでやって来る、宿の主的な多分イギリス人とおもわれる老婦人。このオバちゃんがやたらうるさいのよ。ドアの開け閉めから、ガスレンジ(自炊用)の使い方まで。もう一人はヒゲのオネーチャン。地元の人っぽいけど、よくわからん。いつも夜出かけてって、朝方帰ってくる。人類最古の職業の方?でも、他の人の話しだと違うらしい。ヒゲそればけっこうカワイイのに。それからここにはネコがいる。でもここのネコたちはまったく人になつかない。毎日のようにメシのあまりとかあげても、食べては逃げる、ヒットアンドアウエィ戦法。かわいくないなぁ。
中島らも似のN氏
ここの中庭にテントを張ってた(こちらの方が少し安い)のがN氏、43才。とてもそうは見えない。全体の雰囲気が中島らもにとても似ている。彼は私と似たようなルートをたどってきたとのことだが、その過程はアクシデントだらけである。まずコロンビア・エクアドル国境でバス強盗に遭う。このフロンテラはそういう話しをよく聞く。次にコスタ・リカで夜飲み歩いてたところを襲われ、腹を刺される。現地で1ヶ月入院。さらに帰国して半年入院。ふつうこの時点で旅を続けようという人はあまりいない。しかし彼は再び旅の空に。なにが彼をそうまでさせるのか。少しはわかる気がする。そして南アフリカ、ケープタウン。またしても、夜、今度は腕を刺される。たいしたもんでしょ。同じ目にあいたいとは思わないけど。彼とはこの後マラウィにて再会。
姚さんと行ったグレートジンバブエ遺跡
やはり同じ宿にいた上海出身の姚さんとグレートジンバブエ遺跡に行くことに。彼は日本に5年間いたので、日本語まったく問題なし。遺跡に行くにはバス等を何回も乗り継がなきゃならないので、ちょっとめんどうである。姚さんはバスが多少(1時間ぐらい)遅れたので、ブツブツ文句を言っている。でもそんなことを気にしてちゃ、第三世界は旅行できまへんで。なんとか遺跡着。かなり大きな規模だし、確か世界の何大不思議のひとつとかになってた気がするけど、まぁ、こんなもんか。彼は写真撮るのに一生懸命で、途中ではぐれる。帰りにヒッチ初体験。
ビザ取得週間
これから行く国はビザが必要なところがほとんどなので、ハラレでまとめてとることにする。国境でとれる場合もあるが、そこまで行ってダメだったら悲惨である。モザンビーク、マラウィ、タンザニア。モザンビークは滞在はしないが、マラウィに行くのに通過しないといけないので、ビザがいるのだ。モザンビーク、マラウィは翌日発行。問題なくゲット。しかしタンザニアの場合、5,6回足を運ぶことに。最初に行くと、おつりがないからくずしてこい、とのこと。まぁ、このおつりはないぞ攻撃はよくあることなので、よしとしよう。しかし、次の日(金曜)は祝日だから発行は、月曜だと。で、月曜に行って見ると休みだ。なじょして?火曜。今度こそと思って出かけると、午後来いとのお言葉。カンベンしてください。