| Viaje 旅の記録 |
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偶然の、そしてこの旅一番の出逢い
国境の街トゥンベスからトルヒージョへ。このトルヒージョで、この旅の中で一番想い出深い出逢いがあり、忘れられない日々を過ごすことになるのですが、もちろん行く前にそんなことがわかるはずありません。なんと最初はリマに直行しようと思ってたのでした。しかし、そうすると長時間バスにのらなければいけないし、グアヤキルを出てからずっと移動が続いてたこともあって、途中のトルヒージョで一休みということに急遽変更したのでした。バスに揺られること約12時間。途中、北部の砂漠地帯にある軍事施設のようなところで、チェック(多分)のため1時間ほど足止めをくったものの、夜中の1時過ぎになんとかトルヒージョに到着。翌朝、街中をブラつくと思ったよりもにぎやか、それなのになんとなくのんびりしてる。すぐリマへ向かおうと思ってたけれど、もう何日かいてもいいかな。次の日、ちょっとした広場のところのチョペリア(居酒屋兼食堂みたいなもの)へ入ってみる。「すいません。ビールだけでもいいですか」「かまわないわよ」「じゃあ、ビール下さい」。すると「日本人ですか」といきなり日本語での質問。いやあ、びっくり。こんなとこで日本語を聞くとは思わなかった。彼女ロシオさんは、以前2年間ほど日本で働いてたそうな。そのうちご主人のセサル(彼は日系3世)も加わり、何時の間にか隣りの店の人もジョインして、ビール一杯のはずが夜中までの大宴会となったのでした。この日以降、彼らとの一生忘れないであろう楽しい日々が始まったのでした。
素敵な中間たち
次の日、気持ち悪くて目が覚める。当然のごとく二日酔い。でも今日は女友達(恋人じゃないところがちょっと悲しい)の誕生日だ。日本にTelしなくては。久しぶりに聞く彼女(しつこいようだが、その意味の”彼女”ではない)の声はいいものであった。懐かしさと、あったかさと、そして少しホームシックめいた気持ちが入り交じって、妙に感傷的な気分に浸ってしまった。しかしそんなものは、翌日にはきれいさっぱり忘れることになる。その日はセサル宅へ昼食をごちそうになりに行ったのでした。ムイムイというカニのようなもののスープと、魚介類のピラフ。とてもおいしい。他の家族は、ロシオのお父さんのぺぺ、妹のミルシュカ、息子のタケシくん、そしていとこのランディ。ミルシュカ(当時19才、学生)は私がスペイン語をしゃべると少し驚いていた。デザートが終わった頃、セサルの友達がサッカーをやりに彼を迎えに来た。毎週日曜日の午後は近所の仲間が集まってサッカー。私はどうしたらええの?と思ってたら、セサルが他の友達ところに連れてってくれた。マヌエルとホルヘ。彼らも以前日本にいたことがあるので、日本語OK。マヌエルは元世界チャンピオンの渡辺二郎を太らせたようなかんじ。そして何たる偶然。彼と私は誕生日がまったく一緒。もちろん同い年。いやはや、こんな事ってあるんですねぇ。そんなこんなでマヌエルの家(正確には彼の奥さんの実家。駄菓子屋兼一杯飲み屋のような店)に場所を移して大盛上り大会。奥さんのカルメン、彼女のお母さんのレイナ、そしてたまたま買い物に来た近所の女の子2人も宴に参加。サルサ(これがカッチョいいのよ)を踊ったり、マヌエルが日本から持ってきた日本の歌のカセット(なぜか長渕剛)で歌ったり、女の子達にわからないように日本語でスケベなこと言ったり。もう大騒ぎだ。この日も夜中まで飲んだくれ、またもや二日酔いの朝をむかえるのでした。こんな調子で友達が次々増えていきました。近くに住んでる中学の先生をしてるチャーロ、その彼のワルテル、ミルシュカの友達のカティ、チョペリアの従業員のマリとその息子アレックス、店の常連で船長をしてるペレに似たオジサン、セサルのご両親、マヌエルの弟トーニョ、近所のマルティンにカルロスなどなど。トルヒージョを後にするまでの約1ヶ月、毎日彼らの誰かと会い、食事をごちそうしてもらったり、遊びに行ったり、観光に連れてってもらったり、家にとめてもらったりと、お世話になりっぱなしでした。
どんな生活? こんな生活
では実際にはどんな日々だったのか、ちょっと見てみましょう。
◇ぺぺの友達と飲む
セサルの店に昼食をとりに。セビーチェ(白身魚をかるく湯がいたものに、レモンソースをかけたもの)を食べる。これがうまいのよ。ビールも飲んだし、さて帰ろうかと思ったら、オープンテラスのところにぺぺと彼の友達が。当然のことのように引きずりこまれる。この友達たちというのが、またやたら能天気なこれこそラテンという感じの人たちで、やたらおもしろい。エイの鍋(本当かな?)を食べつつ、飲み且つ、しゃべりまくり。もうなんでもいいや。後半はほとんど私が金払ってました。4時前に始まり夜中に終了。La vida de Latino America es asi.
◇チャンチャンへ
セサル一家とチャンチャン遺跡へ。プレ・インカの遺跡です。でも彼らはインカのものだと言っていた。うーむ。土壁に魚やペリカン?の絵が刻まれていて、なかなかいい感じです。でも私としては、遺跡よりもタケシくんをみてるほうがおもしろかった。けっこうひろいので、そこらじゅうを走り回ってました。お昼過ぎにセサルの店に戻る。二階で彼のお母さんに写真を見せてもらう。で、このお母さんがすぐ泣くのだ。写真を見ちゃグスン、しゃべっちゃグスン、もの食ってグスン、別れる時にももちろんグスン。その後、マヌエルの店でホルヘ達とビールを飲んでるとロシオのお兄さん(彼もぺぺ)が迎えに来た。彼の車に乗ってマリがTVを買うのにつきあう。でも、なんで私もいっしょなの?ここらへんがよくわからんのよ。セサルの家に戻ると、ビデオカメラの日付の入れ方に始まり、ラジオのプリセット、CDからカセットへの録音、はては炊飯器の使い方まで、説明アンド実演。全部日本で買ったものらしいが、説明書がスペイン語じゃないので、よくわからなかったんだって。いやはや。
◇選挙だ
今日は県?知事の選挙。セサルの家で朝飯ごちそうになってから投票所へ。おもしろいことに、ペルーでは家族でも一人一人投票所が違います。セサルはA投票所、ロシオはB、ぺぺはCといった具合。私はセサルについていったのですが、パスポートを持っていかなかったので、中の様子は見られませんでした。フジモリ大統領に象徴されるように、日系人の政治家はけっこう多いらしく、今回も何人かの人が立候補してました。残念ながら、トルヒージョ県の県知事に立候補した日系人の人は落選してしまいましたが。
◇ミルシュカのガイド
日本にいらない荷物を送るため、郵便局へ。ミルシュカにつきあってもらう。その後、彼女に色々案内してもらうことに。最初に国立大学へ。ここはでかい、というか広い。なんと授業料はタダ。うらやましい。次に彼女が行ってる大学へ。ここはやたら狭い。おまけにまだあちこち建設中。彼女の教室へ行くと、彼女の友達が彼氏とキスしてた。次に行ったのは博物館とカテドラル。色々と説明してくれるのだが、私はその時別のことが気になっていた。彼女の名前なんだっけ。今思うとすごい失礼なのだが、ミルシュカってなんか覚えにくくて。そんなことを知っていたのか、いきなり「私の名前覚えてる?」だって。うーむ、すまん。その後、彼女の家に戻り、ロシオと2人から質問責めにあう。
◇19才はないだろう
午後、マヌエルの店へ。しかし、ホルヘと出かけてていないので、待たせてもらうことに。すると、マヌエルの奥さんカルメンのお兄さん夫妻が遊びに来る。今日は彼の誕生日とのこと。当然祝杯だ。で、カルメンが彼に私の年をいくつだと思うか聞くと、”19才”だと。あんた、そりゃないでしょう。確かに私は実際の年齢よりも若く見られるけれど、31才(当時)をつかまえて19才とは。まあ、そうこうしてるうちにマヌエルたちがご帰還。食事をごちそうになり、その後お出かけ。彼らの女友達と遊ぼうと思ってたらしいが、おらんらしい。チャーロのとこで何やら話してると、今度の土曜日、彼女の学校で遠足があるので、いっしょに行くことに。それからマヌエルの家に行き電話かけるが、結局女友達はつかまらなかった。彼の弟トーニョが帰ってきたので4人でプラサ・デ・アルマスへ。なんかえたいの知れない飲み物(寒天に黒砂糖をいれてミキサーにかけ、暖めたような感じ)を飲んで帰る。
◇インテルビスタ(インタビュー)
チャーロが学校で教材として使いたいということで、インタビューを受けることになった。12時にマヌエルの店でということだったので、行ってみるとおらん。まぁ、よくあることです。アルムエルソ(昼食)をごちそうになってると、マヌエル登場。でもチャーロが来ない。結局来たのは17時過ぎ。でも肝心の質問がまだできてない。トーニョ達も加わり、20個ほど作成。でも、これがけっこう難しくて、質問自体がよくわからなかったり、どう答えていいかわからなかったり。その日は途中で断念。翌日、昼飯食べにセサルの店へ。彼とカルロスが外で飲んでる。なぜかマヌエルの店に行くことに。ホルヘとチャーロがいたが、インタビューはなし。ここらへんもよくわからないところ。とにかく飲む。セサルは寝てしまい、みんなにいたずらされる。化粧をされ、股間にコンドーム。その後どういう訳か、近くに住むもう1人のセサル(若い)の誕生パーティに。家の中には20人ぐらい集まっててもうにぎやか。当然のごとく、呑めや、歌えや、踊れや、大騒ぎ。帰ったら2時。ちなみにその後インタビューは行われず、質問に対しての答えを紙に書いて渡しました。
◇最悪の遠足
そのパーティの次の日がチャーロ達の遠足。先生3人と生徒15人ほど。けっこうでかいちゃんとしたバスで出発。目指すはセニョール・シパンの遺跡。しかし私は二日酔いでそれどころではない。気持ち悪いし、頭ガンガンするし。しかし、そんな私のことなどおかまいもなく、このガキ達は大騒ぎ。ちょっとカンベンしてよ。遺跡に着いても、私は早く帰りたくてしょうがない。英語のできる生徒の1人が、ガイドの話しを通訳してくれるが、悪いけどほとんど聞いてなかった。帰りのバスも行き以上のうるささ。先生もまったく注意なんかしない。なんだかなぁ。チャーロの好意が裏目に。ああしんどかった。
◇天真爛漫娘カティ
今日はマヌエル兄弟(3人で経営してるらしい)のタクシー会社主催のサッカー大会。チャーロとワルテル(2人は恋人)といっしょに観戦。けっこうたくさんのチームが集まってる。マヌエルはなかなかやり手である。色々な意味で(愛人もいるらしい)。しばらく見てからパレルモ(セサルやマヌエルの家がある地区)へ戻る。こっちではセサル、ホルヘ、カルロス達おじさん(といってもわたしと同年代)チームと若者チームがサッカー。やっぱみんな好きだね。5時過ぎに終わり、ホルヘとビデオ屋へ行った帰り、セサル宅の前でミルシュカ、カティと小さな女の子がすわってお菓子を食べている。なぜかジョイン。その後チャーロも加わり、4人でプラサ・デ・アルマスまで散歩。しかしそれにしてもこのカティという女の子は、天真爛漫というか天衣無縫というか、とにかく彼女には勝てないなぁ。一回り以上下だけど、そんなこと全然かんけいない。もう、彼女にかかったら私はほとんどオモチャ状態。翻弄されっぱなし。カワイイだけに余計たちが悪い。すっごい魅力的な女の子だけど、つきあったら大変だろうなぁ。ちなみに彼女は私のことをふざけて”コイビト”(日本語で)と呼んでました。
◇チャーロの家にお世話になる
遠足に行った際、本当はリマに向かうつもりだったのでホテルをひきあげてしまったため、次の日からチャーロ宅に居候。朝4時ニワトリ鳴く。6時半、チャーロのおじさん、屋上の動物(クイとうさぎ)に餌をやるため部屋通過(屋上に出るには私が使わせてもらってる部屋を通らないといけない)。いきなりなので、ちょっとビックリ。それから、昼に屋上で飼ってるクイをごちそうになる。チキンみたいなかんじで、なかなかいける。翌日早朝、未確認物体が私の足にとまった。寝ぼけててよくわからなかったが、多分ハトであろう。なかなか楽しませてくれるわい。
◇チケット変更大作戦
楽しかったトルヒージョでの仲間達との生活にもそろそろ別れを告げるべく、リマまでのバスのチケットを買いに行きました。もちろん、ここにいれば楽だしオモシロイのはわかってるけど、旅人としてはそろそろ移動しなくてはと思ったのでした。実は前に2回ほどリマ行きを考えたのですが、その度に「選挙が終わってからにしなさい」「遠足に行ってから」と言われて延期?になっていたのです。パレルモに戻るとミルシュカ、カティ、チャーロにマルティンとなぜかみんな揃っていて、案の定「なんで行っちゃうの」攻撃。でもこの気持ちを説明するのは難しい。と、チャーロが「明日の夜パーティがあるから、その後に変更できない?」。そしてカティが「変更してくれたらキスしてあげる」とのお言葉。そこまで言われたら変えない訳にはいかんでしょう。でも、明日の分変更きくのかしらん。するとチャーロがバス会社に電話。いつの間にか、私は日本からの交換留学生になっており、カハマルカへ行ったのだが、急に帰って来れなくなった、とウソ八百。このデタラメをバス会社の人が信じたのかどうかは定かでないが、無事?変更とあいなったのでした。約束通りカティにキスしてもらい、その後マルティン宅でお食事。でも結局その問題のパーティは無かったのでした。さすがラテンアメリカ。
そしてお別れ
出発前夜は今までのことや色々な思いが頭の中でうずまいて、あまりよく寝られませんでした。食事の後、チャーロとワルテルに近くの遺跡に連れてってもらう。帰るとなんか険悪なムード。私のために特別な料理を作ることになってたのに、誰かが材料を買ってくるのを忘れたとか。気持ちはとってもうれしいけど、そんなことでケンカせんといて。そんな彼らをよそに私は昼飯を食べ過ぎて、レンチャンでセニョーラ・レイナ(カルメンのお母さん)のベッドで寝かせてもらう(前日も呑みすぎてお世話になった)。6時過ぎミルシュカが起こしに来る。みんなでお別れの記念写真。それからプレゼント攻撃。カティがペンダントと自分の写真、それからTシャツにキス、ミルシュカはミサンガとコースター、ワルテルはカードホルダーとカレンダー、マルティンは置物、などなど。そしてターミナルまで見送りに来てくれた。みんな本当にありがとう。みんなのこと絶対忘れない。いつかきっと帰ってくるよ。
リマ着
バスは一路リマへ。車内ではビデオ上映。”スピード”である。バスに乗ってバスが爆破される映画を見る。これはペルーの人のユーモアなんだろうか。何はともあれ、翌朝無事にリマ着。でも、マヌエルが言ってた彼の友達は迎えに来ていない。まぁ、あまりあてにしてなかったし。あとで電話しよう。プラサ・デ・アルマス(ペルーのどの街にもある広場)近くのホテルへ。落ち着いたところで電話してみるが、おらん。夕方近くに再度チャレンジ。今度もいなかったけど、お兄さんがでて、「ホテルで待ってろ」とのこと。一時間ほどしてロナルド登場。マヌエルが言ってた通り、なかなかの好青年といった感じ。彼はまだ仕事中だったらしく、彼ら(家族で革製品を製造、販売している)の店や印刷屋などをまわって家へ。そこは工場も兼ねていて雑然としている。暮らし向きはけっこうたいへんそうである。
ここでも飲んで騒いで
翌日、ロナルドと教会へ。プロセシオンというキリスト教の祭り?儀式?。キリスト像が上に乗ったみこしのようなものを大勢の男たちがかついで、下を向いてゆっくりゆっくり歩く。すごいおごそかな雰囲気。これに参加できるのはけっこう名誉なことらしい。ロナルドは1年ほど前に腎臓の手術をして、まだ体調が思わしくないため、本当はまだ参加できないのだが、特別に最初のほうだけかついでいた。夜、彼の弟がパーティを開くというので当然のごとくまぜてもらうことに。セントロから少し離れた空き地にあるバラックといった感じ。そこに兄弟、親戚大集合。ここでもやっぱりビールと歌と踊りと。ロナルドのお兄さんの奥さんにサルサ教えてもらったり、おばさんと無理矢理踊らされたり、トルヒージョの夜に勝るとも劣らない盛上り。やっぱこうでなくちゃね。
ニセ警官に騙される
一番にぎやかな通りユニオンをぶらつく。するとカップルに話しかけられる。ふたりは兄弟らしい。色々歩きながら話す。こいつらが「スペイン語うまいねぇ」などとおだてるもんで、ついつい気をゆるしてしまい、徐々にセントロから遠ざかるのもあまり気にとめなかった。近くにおもしろい博物館があるから一緒に行こう、と。にぎやかな通りをちょっとはずれた途端、2人のポリスがいきなり出現。曰く、ここはレッドゾーンだから身分証明書を見せろ。運悪く?いっしょにいたお兄さんの方が、不所持だったため、警察に来いとのこと。タイミング良くタクシー。ぎゅうぎゅう詰めの車内で、尋問?&身体検査。あろうことか、今度は妹が大麻を持っとるやん。普通ならここでちょっとおかしいと気づくはず。でもなぜかその時の私はまだその2人を信じてた。だって妹の方なんか、涙まで流しちゃって、悪いのは私でその日本人は関係ない、などと迫真の演技。結局、街のはずれのどこだかわからないところで私1人だけ降ろされたのだった。おわかりかと思いますが、この兄弟と警官(ニセ)はグルだったのです。当然のごとく、上着のポケットに入れてあった札(両替したばっかで、50ドルぐらいあった)は取られてた。でもなんか、現実に起こったこととしての実感がなく、ちょっと高い金払って見た、ショーのような感じであった。後日、ラ・パスの日本人宿で、まったくこれと同じパターンの犯罪(ニセ警官)が増えてるので注意しよう、と情報ノートに書いてあった。早く言ってよ。
クスコへ
ペルーと言えばインカの遺跡。インカの遺跡と言えばクスコ。と言う訳でクスコへ。リマからクスコまでは飛行機で60ドルちょい。軟弱バックパッカーである私は飛行機で移動することにあまり抵抗はない。コスト、時間、おもしろそう度、安全性といったことを考慮して、飛行機の方がいいと判断したら迷わずそちらを選ぶ。てな訳でやってきましたクスコ。 空港に着くとタクシーの運ちゃんたちが群がってきた。シカとしたり、断ったりしてるうちにだんだん下がってくる。結局2ソル(約1ドル)で決着。宿につくと早速ツアーの説明だ。まあ、どっちみちそうするつもりだったからいいけど。1日目は市内観光、2日目は周辺のみどころへ、そして3日目は当然マチュピチュ。あーでもない、こーでもないと交渉の結果トータル100ドルちょいで手打ち。まあ、こんなもんでしょ。さあ、明日から気合いれて観光だ。ところで、旅の途中で逢った人の話しだと「クスコでは5分おきにうしろ振り返らないと危険だ」とか言ってたけど、全然そんなことはなかった。もちろん治安がいいとは思わなかったけど、今まで行った他の街と比べてもそんなに悪くはなかった気がする。さすがに観光都市だけあってレストランや代理店、土産物屋や雑貨屋など数あるし、夜遅くまで開いてるから便利だ。それに街自体なんかいい雰囲気だし、クスケーニャ(クスコのビール)おいしいし。これでもうちょっと低いところにあればなぁ。
マチュピチュってこんなもん?
観光初日の市内ツアー。バスに乗ってカテドラル、ムセオ、サクセワマンなどなど見て廻る。まあ、こんなもんか。ギア(ガイド)のおばちゃんが私のためだけに英語で説明してくれる。スペイン語だけでもだいたいわかるのだが、英語と両方だとより理解できる。うーむ勉強になるぞ。2日目の最初はピサックのメルカドへ。ちょっといいアルパカのカーディガン購入。その後ウラバンバへ。このあたりから調子が悪くなる。頭痛いし、気持ち悪い。こりゃ高山病でんな。メシもろくに食えんかった。それからオジャンタイタンボ。ここはインカとプレインカの遺跡が同居してるとのこと。しかし、もはやそんなことはどうでもいい状態。早く帰りたい。最後にチンチェロへ行って終了。なんとかもったぜ。翌朝5時起床。なぜか体調は良くなってた。朝はお湯出ないとか言ってたけど、なんかシャワーの音しとるぞ。行ってみるとOKさ。6時前に駅へ。なんか思ってたよりちゃんとした列車だぞ。朝飯もついてるし。私の前の方の席で騒いでる団体がいた。ドイツ語っぽかったので「しかしドイツ人はどこでもいやがるなぁ」と思ってたらなんと南アフリカ人だった。ちょっと以外。3時間ちょいかかってやっとこ来ました憧れの?マチュピチュ。ケチュア語でマチュは古い、ピチュは山という意味なんだと。しかし、本当にすんごい山ん中にあるのだ。でも、遺跡自体は予想よりずっと小さかった。別に大きけりゃいいってもんでもないけど。確かにこんな所にすごい精巧な且つ色々工夫を凝らした建物をつくり、そして都市としての機能を持っていたというのは驚くべきことである。こんなんどうやってつくったの?って感じだ。でも、それにもかかわらず、正直言ってあまり感動できなかった。期待が大きすぎたのか。それとも私にはこういう歴史的なこととか、美術的なものを感じるセンスがないのか。多分、両方なんだろう。この後も色々な国で様々な遺跡や美術品などを見たけれども、どれも心の底から感動したというのはなかったように思う。それよりも自然(動物であったり風景であったり)に触れた時の方が印象に残ってるし、メルカドのおばちゃんと友達になれて、ゴハンをおごってもらたりしたことの方が自分にとっては大切な時だった。アカデミックなことには向かないんだなこれが。クスコ最後の日に偶然フジモリ大統領を見ることができた。ラッキー。
チチカカ湖だす
ここまできたら当然チチカカ湖でしょ。湖畔の街プーノ。ここでも楽してツアーに入っちゃった。まずボートで浮島のウロス島へ。でも今は乾季で水が少ないので浮いてないとか言ってたぞ。じゃあ、どうなってんの?島は観光化されてるものの、なかなかいい味だしてる。ボートはさらに進んで約3時間後メイン?の島に到着。しかし、着くとすぐ目の前にははるかに続く階段が。”こんな高地でそんなハードなことしては体に悪いやん”と思いつつ、負けず嫌いの私はけっこう気合入れて登り、最後は死にそうになりながら一着でゴール。とか言って別に他の人は競争してたわけじゃないだけど。完全な自己満足。でも気分いいやっ。上の小屋でマテ茶飲んで一服。いやぁ、疲れましたな。帰りの途中でボートのエンジンが数回停止。ちょっとビビルけど、よくあることらしく、スタッフの連中はのんびりしたもの。まぁ、私もこのころにはかなりラテンのペースに慣れてたので、なるようになるでしょ、ってな感じでしたが。
チャオ!ペルー
約1ヶ月半のペルー滞在。こんなに想い出深いものになるとは思ってもみませんでした。なんせ、最初は行く予定さえなかったのですから。だから、旅はおもしろいんですけどね。たくさんの友達との出逢いと彼らとの楽しい時間、安くておいしくて食事、みどころいっぱいの遺跡の数々などなど。これらのすべてが、私にとってペルーを一番好きな、印象に残る国にしてくれました。旅行者である私は次の街へ行かなければならない(必ずしもその限りではないのだが)けれど、いつか絶対戻ってくるよ。
Chao Peru! Gracias Peru!