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Viaje 旅の記録

hailand ambodia &eit Nam


 帰ってきましたアジア

マドリッドからカイロを経由してバンコクへ。カイロに寄ったのは、日本へ帰るチケットがカイロからになっていたため。本当はパキスタンで友達に会ってからバンコクに入る予定でしたが、席がとれなかったのと、イスラムの世界はちょっと自分には合わないなぁ、と感じていたため。カイロでいっしょにピラミッドに登ったD氏といっしょにいざバンコクへ。この便がバンコク経由成田行きだったので、乗客の大半が日本人。おかげで?日本の新聞や週刊誌読めたし、キャビンアテンダントも日本人だったし。やっぱ楽チンである。そんなこんなで約9時間のフライトにてバンコク着。やっとアジアに帰ってきたよ。やっぱほっとしたのであった。

 なんでもありますカオサン

私はバンコクは以前トランジットで寄っただけなので、実質初めてである。そこで、何回か来たことがあるというD氏におまかせ。とりあえずカオサンに向かう。説明するまでもないと思いますが、カオサン(通り)とは全世界からバックパッカーが集まって来るところ。単に安宿が集まっているだけでなく、旅行代理店、両替所、みやげ物屋、安い食堂や飲み屋、はたまた古本屋からマッサージ、タトゥーを入れるとこまである。お値段も金を持っていない(本当は持っているけど、安いものしか買わない)バックパッカーがターゲットであるので、まぁ、妥当なところが多い。貧乏旅行者にとってはいたれりつくせりである。また、そういう環境であるから、旅行者がたくさん集まって来るので、情報交換もできる。この通りから出なくても、ほとんどのものは手に入ってしまうのである。その便利この上ない通りに着いたのが、夜中の3時すぎ。でもけっこう明るかったりするんですね。なんの苦もなく安宿にチェックイン。

 チケット購入

D氏と夕メシ食ってから路地裏の飲み屋へ。そこにいたイスラエル人たちと飲む。彼はカンボジアから帰ってきたところで、「カンボジアは7割ぐらい日本人だ」と言っていた。これから行く予定なのに、あまりいい情報ではないな。翌日、D氏と別れる。彼は日本から彼女が来るとのこと。彼はとても面白いし、きちんとしてたので、いっしょにいてとても楽だし、楽しかった。日本でまた会えるといいなぁ。わたしゃ、その日から代理店廻り。カンボジア、ベトナムを効率的に廻れるチケット探し。10軒ぐらいあたって比較検討。バンコクープノンペンーサイゴンープノンペンーバンコクのオープンチケットが7,450バーツ。これかな。

 プノンペンに着くとどしゃ降り

バンコクからプノンペンまでは約1時間。着いたらどしゃ降りだった。ビザ代$20払うが、パスポートで一悶着。「なんで日本で発行したものじゃないんだ?」「ずっと旅行してきて、途中で期限切れそうだったので、新しいのに変えたのだ」「じゃ、古いやつ見せなさい」「いいけど、それは預けた荷物に入ってるの」ということで、通常よりも早く?荷物を受け取り(鍵壊されてた)、古いパスポートを見せて、納得してもらう。やっと放免してもらったが、まだ外はどしゃ降りが続いてる。この旅に出る前の私だったら迷わずタクシーであるが、ここはペルーで買ったカッパを取りだし、バイタク攻撃だ。1ドルにてバックパッカー御用達のCapitolへ。その日のうちにベトナムビザの申請。

 プノンペンのミポリン

”プノンペンにミポリンがいる”。最初にその情報を目にしたのは、ナイロビの旅行代理店にあった情報ノートだった。なんでもプノンペンには中山美穂に似た女のこがいて、その子を目当てに行く旅行者もいるだとか。その時は「ホンマかいな?」ってかんじであまり気にしてなかったのでした。しかし、カイロのサファリホテルやブダペストのテレサハウスでもそのミポリンの情報が載っていた。うーむ、そんなにカワイイんだろうか?やはりこの目で確かめなくては。情報ノートによると彼女はCapitolのとなりのカフェで働いてるとのこと。早速行って見る。そこはメニューにカレーやインスタントラーメンがあったり、日本の雑誌が置いてあったりして、まさに日本人バックパッカーの溜まり場といった感じである。そこに居ました!いやぁ、情報通りカワイイし、確かに中山美穂に似ている。彼女目当てにわざわざプノンペンまで来るというのは大袈裟にしても、通ってしまうのは無理もない。私も写真を撮らせてもらうため、何度となく足を運んだのでした。しかし、何度かチャレンジするも他の旅行者が話ししてたり、彼女がいなかったりして、うまくいかない。プノンペンを去る前の日にようやく写真をとることができて、「もうこれでこの国でやり残した事はない」とまで、思ってしまった私でした。(ちなみにさる筋によりますと、現在、彼女は日本人と結婚してもうカフェでは働いてないとのこと)

 プノンペンで歯医者

日本を発つ前に歯の治療は済ませたはずだったのに、カイロあたりで右下奥歯の金属がとれてしまった。以来、アテネ行ったら歯医者行こう、いやマドリッドの方がいいか?などと思いつつ、結局行かないで、左側だけで噛んでいたのですが、ここにきてもう限界。頼みの左側も痛くなってきた。仕方ないので、覚悟を決めて歯医者へ。日本でさえ歯医者行くのはイヤなのに、ここはカンボジアである。大丈夫なんだろうか?まっ、とれた金属をつけるだけだから、と自分に無理やり言い聞かせ、歯医者へ。入る前は相当ビビッテましたが、器具を見て一安心。思ったよりもちゃんとしてる。治療は10分ぐらいで無事終了。こんなことならもっと早く行っときゃ良かった。治療費$10は高いのだろうか?しかしいまだに謎なのは、なぜ歯医者の入り口がゲーセンになっているのか。

 情けない悪徳警官

どこの街に行っても必ずすることは、自分の足で街中を歩き回ること。市場、公園、駅、郵便局、安そうなメシ処などなど、時々地図を見ながら、特にあてもなく歩き回る。その日もプノンペンの街中を散策すべくホテルを出ると、そこにはバイタクのお兄ちゃんたちがたむろしていた。ちょっと離れた観光スポットへ行くには彼らを利用するのだが、今日はその予定はないので無視。「キリングフィールドは?ツールスーレンは?シューティングガンは?ガンジャは?女は?」とうるさいったらありゃしない。適当に「明日あたり行くかもね」とか言ってやりすごす。いきあたりばったりに歩いて行くと、何やらお寺らしきものが見えてきたので、そちらに向かう。道幅は広いが人通りが少ない通りを歩いていると、3人の警官(ひとりはMPか?)に呼び止められる。「何人だ?」「日本人だよ」「パスポートは?」「コピーはある」「コピーじゃだめだ。実物はどこだ?」「宿に置いてきた」「じゃあ、$20払え」「やだよ」「$10」「払わない」「$5」「金を払う必要はない」「じゃあ、ビールおごれ」「そんなこと言うのならそこの日本大使館行こか」と言ったら、どっかいっちゃった。本当言うと、確かに日本大使館は近くにあったのだが、その日は日曜日でしまってたのだ。まぁ、幸運にもそこまでつっこんでこなかったし、見た目がいかにも弱そうなやつだったので事無きをえたのだが、一歩間違えるとちょっとやばかったかも。

 シェムレアップへ

カンボジアに来て、アンコールを見ない人はいないでしょう。プノンペンの北西にあるシェムレアップという街がアンコール遺跡観光の拠点となる。そこへは飛行機かボートで行くのであるが、カンボジアに入る前の情報では、ボートは襲われる危険あり、とのこと。しかしプノンペンのCapitolのおやじや情報ノートによると、ボートも今はそんなに危なくないらしい。ほんじゃ、ボートで行こう。バイタクの兄ちゃんと交渉すると、船着場までタダで乗っけてってくれるそうだ。なんでも金はボートの会社からもらうとのこと。翌朝、6時半ごろ船着場に行くと、予想よりもまともなボートだ。少なくともチチカカ湖で乗った何回もエンストしたやつと比べると数段近代的。ちょっと安心して乗り込むと、なんと冷房まではいっとるやないの。乗客は地元の人が半数以上。数人の欧米観光客がデッキ部分で日光浴。約6時間後、襲われたりすることなく無事シェムに到着。デッキの欧米人は真っ赤に火傷。港?につくと安宿の客引きがいっぱい。事前にチェックしてた宿のおにいちゃん(ちなみに彼の本名もニー)が日本語で話しかけてくれたので、彼についてく。彼にはこの先、遺跡めぐり等お世話になる。爽やか系の好青年である。

 やっぱアンコール遺跡でしょ

アンコール遺跡のパーミッションは3日間有効で$40。初日はアンコール・ワットのご来光だ。エジプトのピラミッド頂上からのご来光もなかなかだったけど、こちらもけっこう神秘的なかんじで良い。堀にかかっている橋を渡って建物の中へ。一番外側が第一回廊。細かいところまで描かれた壁画がびっちり。こりゃすごいわい。次が第二回廊。ここには首がない仏像がたくさん。ポルポトやタイ軍に持ち去られたらしい。一番奥が第三回廊。最後の日に一番上から夕陽をながめる。なかよくなった男の子と階段にならんで座る。夕陽もなかなかのものである。次に行ったのがアンコール・トム。有名なバイヨン寺院。例の顔がいっぱいあるやつ。ここでは日本の修復チームが作業中であった。その他に像のテラスとかタ・プロムとか行ったけど、アンコール・ワットとバイヨン寺院を先に見てしまうと、後のは印象がうすくなってしまう。今までいくつも遺跡を見てきたけど、どれもイマイチ感動するとこまではいかなかった。でもここアンコールはすごかった。

 シェムのゴクミ

Capitolにあった情報ノートによると、シェムにはミポリンならぬゴクミがいるらしい。そこに書いてあった簡単な地図をもとに捜索開始。ゲストハウスからちょっと行った屋台街?にいました、ゴクミ。けっこうカワイイじゃないの。おまけにお父さんは周富徳に似てるぞ。パイナップルシェイクを飲む。これがけっこういけるのよ。次の晩も出かける。お互いカタコトの英語とジェスチャーでなんとかコミュニケーションをとる。それだけでも気持ちは伝わるんだよね。あんかけ焼きうどん?のようなものをごちそうになる。ありがとさんです。当然のごとく、最後の夜も出陣。でもなぜかその日はみんな機嫌がよろしくないみたいだ。しかし、写真は撮らせてもらえたのでOK。

 悲しい現実

再びプノンペン。バイタクでキリングフィールドへ。でも予想とは違ってた。モニュメントの塔の中に数千の頭蓋骨。オドロオドロシサは全く感じられない。ツールスーレンは夢に出てきそうだったのでパスして、アーミーマーケットへ。でもメボシイものないなぁ。バイタクの兄ちゃんが次に連れてってくれたのは置き屋街。まだ真昼間だというのに、通りの両側にある薄暗い小屋から、濃い化粧をした女の子たち。よく見ると小学生みたいな、本当に子どももいる。おしろい塗ったくった、お化けみたいな化粧。なんか薄ら寒い、暗澹たる気持ち。大人の女性が自らの意思で娼婦という職業を選ぶならまだしも、まだなにもわからない幼い子どもが、ケバイ化粧して客に色目使うなんて。でもこれがカンボジアだけでなく、貧しい第三世界の現実である。久しぶりに、とても沈んだ気分だ。貧乏旅行などと言っても、彼らから見れば大金持ちのわがままにすぎない。でも旅は続く。

 2度目のベトナム

プノンペンから飛行機でサイゴン(ホーチミンシティ)へ。ベトナムは2度目である。4年前に初めて来て、ものすごく気に入ってしまったので、今回また寄ってしまったのである。しかし前回と比べると「本当にここはあの時と同じ街なのか?」というくらい変貌をとげていた。まず空港。前回のうらぶれた感じの建物とは打って変わって近代的なビルに変身。しかもDutyFreeShopまであるぞ。税関のチェックも以前はえらい厳しかったのに、今回はほとんどフリーパスだ。街中に出てまたびっくり。車と大きな建物の多いこと。街の中心部へ向かう道路の両側には大きな広告の看板が。アジア急成長の顕著な例を目の当たりにしたかんじ。でも前の方がよかったなぁ。このぶんだと前に仲良くなった屋台のおばちゃん(1号と2号)とは会えないんだろうなぁ。宿を決めて近くの屋台でフォー食べても、前の方がおいしかった気がするし、そこらへん歩いても以前のちょっと怪しげな雰囲気は感じられない。もしかしたら違う街に来ちゃったのだろうか。

 衝撃の事実

例によって特にあてもなくぶらぶら歩いてると、オッサンが日本の新聞や週刊誌を売ってるじゃありませんか。しかも新しいやつ。思わず週刊朝日を20,000ドンにて購入してしまう。宿に戻って読んでいると、一つの記事にしばし呆然。その記事とは、風俗店(SM)の店長と社長が殺されて、コンクリートづめにされて発見された、というもの。この店長という人についての記述を読むと、どう考えても私が勤めてた会社の先輩である。しかも入社当時できの悪かった私が、公私にわたりお世話になった方である。仕事はできるし、人間的にも大変素晴らしい先輩だった。私が違う部署に異動になってからは、あまりお話しすることもなくなってしまってはいたが。先輩は私が退社する数ヶ月前に、実家の都合でお辞めになっていた。それ以来、思い出すこともあまりなかったのだが、まさかこんな形で先輩の消息を知ることになるとは。真相は明らかになったのか?犯人は捕まったのか?今の私にはどうすることもできない。1日も早く犯人が捕まること、せめて死ぬ時に苦しまなかったことを祈るだけ。それにしても人間とは不思議なものである。こんなショッキングなことがあったにもかかわらず、私はいつものように屋台でメシを食い、文庫本を交換し、みやげ物をねぎって買い、次の予定を考えている。そんな自分がちょっと悲しくもあった。

 ベトナムはやっぱりオイシイ!

「フォーもあまりおいしくないし、違うとこみたいだ」などと書いてしまいましたが、前言撤回。やっぱりベトナムはおいしい。おまけに安い。タイの屋台も安くてオイシイが、個人的にはベトナムに軍配をあげたい。中華ほど油っこくないし、タイほどスパイシーでもないし。日本人に合う味付けだと思うのですよ。あとビールが安いの助かる。タイは食べ物安いのになぜかビールだけ高いんだよね。ある日の夕食。茹でたカニまるごと。焼きハマグリあんどアサリ(多分)。魚の干物みたいなもの。それとビール3杯。これで500円しないんだもね。街中には日本食レストランが4軒くらいあったが、結局一回も行かなかったなぁ。ここがアフリカだったら利用価値大なんだけどね。

 なんもなかったダラット

サイゴンにずっといるのも芸がないのでダラットまで行ったのです。本当は鉄道に乗ってハノイまで行ってみたかったんすよね。北のほうは前回も行ってなかったし。しかし金がなかったし、また戻ってくるのもメンドウだったので断念。ということでダラット。マイクロバスみたいなので向かう。いっしょだったオランダ人の女4人のうるさいこと。おまけにこっちに足向けて寝やがるし。8時間強で着く。早速市場のあたりをうろつく。なんかいいかんじじゃないですか。メシも予想通りウマイし。でも、それだけ。特に見るとこもないし、けっこう寒いし、雨降ってるし。うーむ、私はいったい何しに来たんだ。次回(いつのことやら)は絶対ハノイに行こう。

 穴場です、フーコック島

次に行ったのがフーコック島。カオサンで買ったLet's Go(ロンプラみたいなもの)に載ってたんですよ。朝ホテルを出て、長距離バスのターミナルへ。フェリーの出る港のあるRach Giaを目指す。このバスはジモティ御用達のバスで観光客は私だけ。席は狭いし、窓ガラスはないし。となりに座ったオジサンが少し英語話せたのでおしゃべるするが、香港に6年いてその英語力はないだろう。まっ、他人のことは言えないけど。バスは南部のメコンデルタを通過するため、途中2ヶ所でフェリー。夕方やっと到着。今日はここまで。翌朝、宿のおねーちゃんの「フェリーは7時発」とのおことばに従い、港まで行くが、チケットカウンターには誰もおらん。近くに居た英語の出きるオバちゃんに聞くと、あと1時間くらいとのこと。で、待ってるとやっと来ました。途端、ほとんどバーゲン会場状態のパニック。運良くその日は2便あったので、後の便に乗れることに。席に着くと、一人の青年が怪しい英語で話しかけてきた。ミン君24才。兄弟2人が日本で働いてるとのこと。8時間ぐらいで島に着く。それからさらにバスで1時間。宿に着いた時はもう真っ暗。翌日、宿のオニーちゃんに釣りに連れてってもらう。渓流ってかんじで、いいんですよ。でもまったく釣れなかったので、さらに上流に行って見ると、地元の家族がピクニック。で、いっしょに水遊び。天然モノ?のウォータースライダー(ただし規模をうんと小さくした)だ。ただ滑るだけなんだけど、これがおもしろい。ガキんちょやオバサンたちといっしょになってすべる。その後、彼らが持参してきたビールとハム(これがメチャうま!)をごちそうになる。久々に楽しませていただきました。これだから旅はやめられまへんなぁ。

 タイ式マッサージ習う

プノンペン経由でバンコクに戻る。で、前から気になってたタイ式マッサージを習うことに。習うところはもちろん、タイ式マッサージの総本山ワットポー。お寺である。境内にマッサージ場?みたいなところがあって、そこでは当然マッサージをうけられるし、習うこともできるのだ。私の先生はカニカ。彼女のだんなさんはイギリス人。とても愛くるしいキャラクターだ。やってみて気づいたのだが、私はこれを習うには大きな問題があったのだ。それはくすぐったがりやであること。先生や他の生徒とお互いにマッサージしながら憶えていくのだが、これがけっこうしんどい。打撃系は問題ないが、揉み系や指圧系はもうこらえるのに必死である。おまけにいっしょに習っているアメリカ人のボブの下手なこと。何度悶絶したことか。それでもなんとか朝7時からというバックパッカーにあるまじき?早起きをして、10日間で無事終了。フランス人のパスカルという生徒が「今度東京でこのマッサージの店開く予定なんだけで、手伝わないか?」だって。

 別に恐くなかったコ・ワイ

マッサージも終了したので、ちょっと移動しようかしらん。北の方は寒いしなぁ。かといってバリバリのリゾートは一人で行ってもなぁ。(数年前に行ったチュニジアのジェルバ島ですっかり懲りた)色々考えたあげく、行くことにしたのはコ・ワイ。タイ語でコとは島のこと。ワイ島である。まずバスでタラットへ。そこからバンの荷台で、港の街まで。その日はそこで一泊。雨に濡れたせいか、ちょっと熱っぽい。着込んで汗だし作戦。翌朝、熱は下がった。港に行って船に乗り込むがなかなか出ないぞ。食料品等積み込んで、結局1時間遅れでやっと出発。約2時間で島に到着。バンガローに行くと日本人のおじさんがいた。彼は屋久島で楽器を作っているとのこと。翌日は朝から目の前の(ほんの3,4m)ビーチにて日光浴。水もきれいだし、気持ちよか。午後白人の女のコの二人ずれが来る。一人はボーズ頭だ。旅で出会った誰かが言ってた。「白人の女2人の旅行者はレズが多い」。彼女達がそうかはわからないけど、なんとなくそういう目で見てしまう自分がちょっと情けない。日本人のおじさんは大きな竹のようなもので、楽器を作ってた。ガキんちょが集まってにぎやかだ。ここは本当に時間がゆっくり流れていくかんじで、すごく穏やかな気持ちになれる。でも、1週間いたら飽きちゃうんだろうな。帰りは信じられない程、乗り継ぎがスムーズであった。こんなことってあるのね。

 タイの屋台はすばらしい

バンコクは屋台の都である。誰が言ったかって?そりゃ私だ。いたる所に色んな種類の屋台がある。しかもその中でマズイのを探すのは至難の技?少なくとも私が食べたとこで、おいしくないとこはなかった。バンコクといえば大都会である。高層ビルだってこれでもかっ!ってくらいある。そんなオフィス街にもやっぱり屋台はある。カオサンや他の安宿が集まってる地域にたくさんの屋台があるのは当たり前だ。でも高層ビルと屋台ってミスマッチっぽい。しかし、昼時になると制服姿のOL達が屋台に群がる。日本もこうだったらどんなにいいか。すかしたレストランなんかより百倍素晴らしい。確かに冬なんかは辛いものがあるだろうし、衛生面でも難しい点は多いとは思うが。せめてバンコクの半分でも屋台があったらなぁ。