| Viaje 旅の記録 |
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テレサハウスにたどり着くまで
グァテマラにいた時、学校がいっしょだったW氏が言っていた。「もしハンガリーに行くのならブダペストのテレサハウスに泊まるとおもしろいかもしれない」。なぜかその言葉をずっと憶えていた。ただ住所も電話番号もわからない。いつもの「まぁ行けばなんとかなるっしょ」ってなかんじでカイロから飛びました。IBUZ(観光案内所みたいなとこ)で、尋ねたが「知らん」と軽く一蹴される。しゃあないので、とりあえず今晩は他の民宿にとまるか。ちなみにハンガリーやクロアチアでは安宿はなくて、民宿でした。ところがこのIBUZに登録されてる民宿はちょっと高い。一番安いところをなんとか紹介してもらって、けっこう歩いてやっと着いたら、IBUZから電話。6泊する客が来たから他に移ってくれだと。おふざけになっちゃいけませんですよ。当然丁重にお断り。さてとそれではテレサハウスを捜索に行きますか。まず寿司屋に行って昼食兼情報収集。しかしみごとに空振り。次に行ったのが繁華街にあるみやげもの屋。日本語できる店員います、の張り紙。早速聞いてみるとビンゴ。彼女の友達(後で婚約者である事実が発覚!)の日本人旅行者が以前いたことがあるので、道を知っていた。早速行って明日からお世話になりますと、予約を入れる。
ここが噂のテレサハウス
翌日昼前にお引越し。民宿のオヤジは私が出て行くので?、嬉しそうだったぞ。テレサは駅に客引きにいってて不在。番頭さんのO氏とお話し。ここテレサハウスには、番頭として色々な雑用をする代わりに宿泊代をチャラにするという番頭制度?があるのです。確かO氏は四代目だったかな。しかしここの最大の特徴はなんと言ってもオーナーのテレサである。まずかなり人種的偏見をお持ちの女性とのこと。なんでも彼女の中では客のランクがあって、一番上が西ヨーロッパおよび北米、次が日本人、そして韓国、最低がブルガリア等の東欧諸国(だったと思うけど、違ってたらゴメン)。それからとてもヒステリックな性格らしく、特に悪いこと?をしてないのに「フィニッシュ!」の一言で宿から追い出してしまうことは超有名。幸か不幸か、私はそのどちらも身をもって体験することはできませんでしたが。ただO氏曰く「料理の腕は最高」とのこと。実際一度だけご相伴にあづかりましたが、けっこうなお手前でした。
謎の人物O氏
テレサハウス四代目番頭O氏。彼は謎の多い人である。風体は小柄でちょっと小太りのオッサンといったところでしょうか。年齢は39才(当時)だったと思う。彼の話しが本当かどうかはわからないけれど、なかなかユニークな人であるのは間違いない。たとえば元共産党員で、色々な国家機密を知っているので、内閣調査室から目をつけられている。スロベニアかどっかでパスポートの更新をしようとしたらできなくて(ウソの情報を教えられたらしい)、期限が切れてしまったため、特例でハンガリーとスペインだけに行けるパスポートを発行してもらった。オズタカヤマの日航機墜落事故は米軍が関係してた。長野かどっかにある日本で一番傾斜のきつい線路がある路線を廃線にするのは、そこを軍事目的で使用するためである。などなど。しかし、個人的にはマジャール語を教えてもらったり、クロアチア行きの列車のアドバイスをしてくれたりと、色々お世話になりました。ちょっと変わってるけど、おもしろい、いい人です。私が出た後、スペインに行くと言ってましたが、その後どうしてるんでしょうか。気になるなぁ。
ティメアちゃん
テレサハウスの場所を教えてくれた女の子の名前はティメアちゃん。日本語がとても堪能。そんでもって可愛くて性格もよろしいのですよ。かてて加えてがんばり屋。ガイドの資格もとっちゃった。でも日本の不況の影響がこんなとこにもおよび、ハンガリーに来る日本人旅行者が少ないので、現在は現地のソニーで通訳としてご活躍。しかもこの7月に婚約者のSさん(日本人)とめでたくご結婚。とってもうらやましいぞ。話しは戻って当時のブダペスト。土曜日彼女のお仕事が終わってからおデート。と言っても市内を案内してもらっただけですけど。後日、ご自宅にお呼ばれして夕食をごちそうになる。ご両親が笑顔で迎えてくれる。やっぱり家庭料理ってやつはいいもんですなぁ。フィノン(おいしい)連発です。別れ際の彼女のことば。「さよならは言いません。また会う日まで」泣かせるじゃありませんか。日本のバカ女子高生とかに見習ってほしいもんです。
フォルクロ−レ In ブダペスト
街中を歩いてると何やら懐かしい響き。南米のフォルクローレ。エクアドルから来たというグループの一人に聞いてみた。「なんでこんなとこにいんの?」「我々は金になるとこなら世界中行くのだ」。そういえば日本でもよく見かけるようになったなぁ。あくる日、地下鉄の駅に行くと別のクローレのグループが。お話ししてみると、なんと私の友達がたくさんいるペルーのトルヒージョ出身とか。で、彼らには地元の追っかけの女の子達までついてた。彼女たちは一応クローレの追っかけだけあって、多少スペイン語が話せるので、私にとっては好都合。その場は写真とって別れる。数日後、宿の近くの飯屋に他の日本人旅行者と夕食にいったら、たまたまその追っかけの一人であるぺトラが店に入ってきた。明日、恋人のカンボジア人を追って、ブダペスト郊外の町に行くつもりだとか。オマエ、さっき17才だとか言わなかった?。色々と話しをしてると彼女の友達登場。この女がアブナイ。手震えてるし、ヤク買うのに金くれとか言い出すし。シカトしてたらソーダ水だけ飲んで、当然金払わずに帰った。一同ほっと胸をなでおろして、食事に戻ったのでした。
ブダペストの夜
同時期にテレサハウスにいた他の日本人旅行者のI氏、O氏、H氏、そしてもちろん番頭のO氏といっしょに夜のブダペストの街を徘徊。けっこういるんですよ、所謂「立ちんぼ」と呼ばれてる人類最古の職業の女の方達が。番頭のO氏いわく「最近はレベルが落ちたよね。治安もあまりよくなくなってるし」。確かに昼間ブダペストの街中で見かける女性は、「東欧のアルゼンチン」(あくまで個人的見解)と言える程、キレイな人が多かったのですが、夜になると事情は変わるようです。しばらくうろうろした後、ビール飲んで帰りました。
予定変更してクロアチアへ
カイロで立てた計画では、ハンガリーからユーゴを抜けてマケドニア、ギリシャに行くというルートでしたが、情報を集めてみると、どうもユーゴに入るのは難しいらしい(ボスニア・ヘルツェゴビナの関係で)。ほんじゃ、どないすっかな。色々考えた結果、クロアチアからアルバニア通ってギリシャへ行くことに。ブダペストから列車でザグレブへ。列車での移動は久々だなぁ。窓の外を見ると一面のひまわり。なんか「世界の車窓から」みたいだぞ。ザグレブまでは4回ぐらい乗り換えなくちゃいけなかったけど、ボーダーとかものんびりしてて、とても穏やかな気分でクロアチア入国。ザグレブ、スプリットに一泊づつして、アドリア海沿いの街、ドブロブニクへ。
ドブロブニクの民宿
ドブロブニクのバスターミナル。客引きのオバちゃん。番頭?の白人の大男。妥当なお値段だったので、とりあえず見てみましょ。オールドタウンからはちょっと遠いけど、けっこう良さそうなとこなので決定。さっきの白人の名前はロバート。ウェールズ出身の刺青入れてるブディスト。3週間ぐらいここにいて、客引き等の手伝いをして、部屋代安くしてもらってるとのこと。テレサハウスの番頭方式だ。ちなみにここのオーナーもオバさんである。で、彼女の親戚かなんかがたまたま遊びに来ていた。その子ども(女の子、2才くらい)が可愛いのよ。私のことをタータ(お父さんという意味らしい)と呼ぶのよ。グァテマラのアレハンドラを思い出しちゃったぜ。それからここの民宿で特筆すべきは料理のうまさ。オプションではあるが、とってもおいしい。ある晩のメニュー。ポテトとふき(だと思う)のスープ、パン、サラダ、白身魚のグリル、などなど。これを中庭のテーブルで、ワインかなんか飲みながら、海からの風を感じながら食す。すばらしい。もしドブロブニクに行かれる方がいたら、お奨めです。
全裸は気持ちイイ?
オールドタウンはなかなか趣のあるところである。ザンジバルのストーンタウンを大きく、且つきれいにして、坂をつけたかんじ、といったらおわかりになるでしょうか。(これでわかる人がいたら偉い!)石畳の街並み。みやげ物屋やレストランが軒を連ねるメインの通りをちょっとはずれると、細い坂道の路地。そこを抜けると市井の人々がそれぞれの生活を営んでる。そんなオールドタウンからフェリーで20分弱のところにロックラム島があります。ここはナチュラリスト(ヌーディスト)のビーチ(と言っても岩場しかなかったような気がするが)がある。何事も自分で体験してみないとね。と言うわけで、行ってみました。そこのアナタ。アナタが今思ったようなイヤラシイたくらみは、まったくなかったので、念のため(ウソやっ)。上陸してみると、ジジババが多いのだな。まっ、とりあえず初体験で恥ずかしいので、他にだれもいないところで脱いでみる。やってみると開放感があってけっこういいものです。普段日に当たることのないモノを虫干しするって感じなんでしょうか。
日本脱出一周年記念日
日本を出発して記念すべき1周年をむかえました。いやぁ、すごい早かったなぁ。そもそも親には半年ぐらいって言って出てきたのに。まぁ、こんなことはもうできないだろうから、大目にみてもらいまひょ。でも、グァテマラやペルーの友達には「絶対また来るからね」と約束しちゃったしなぁ。こんなに長期間、色々なとこへ行くということは当分無理だとしても、単発ででもいいから旅したいぞ。目指すは金井シゲさんのような年金バックパッカーか?
イタリア経由でアルバニア
ドブロブニクからアルバニアまでは、ほんのちょっとの距離である。しかし、これが真っ直ぐには行けないのですね。なぜなら間にユーゴがあるから。もしかしたらと思って、一応確認したのですが、やはりダメ。じゃあ、どうする。一旦フェリーでイタリアのバリに行き、そこで再びフェリーに乗ってアルバニアのドゥルスへ入る。とってもめんどうだがしょうがない。イタリアのイミグレでは私だけパスポートを穴のあくほど調べられた。なじょして?ドゥルスに着いたのが夜9時すぎ。はて、今夜のお宿はどないしょか。街の中心とおぼしき方向へ歩いてくと警官がいたので、聞いてみる。よくわからないが案内してくれるらしい。ホテルに着いたが満室。ボーイのあんちゃんが言うには「俺の家にとめてやるよ。$20で」。アルバニアの物価を考えるとえらく高いけど、この状況ではやむを得まい。そのうえ、警官は当然のようにチップ要求するし。あまってたイタリアリラでかんべんしてもらう。
バスで大喧嘩
翌日、首都のティラナへ移動すべくバスターミナルを探す。が、実際はバスじゃなくてワゴン車であった。すると車掌というか助手のやつが、私の荷物を指差してなんか言っとる。もちろんアルバニア語なんてわからないが、今までの経験上、荷物は別料金だぞ、と言ってるのであろう。すかさず荷物を自分のひざの上にのせる私。しばらく走ったところで、徴収タイム。予想通り、通常料金の倍払えと言ってくる。やだ!じゃあ、降りろ。絶対やだ。降りろ!降りない!5分ぐらい押し問答(というのか?)が続く。その間車は止まったまま。悔しかったが他の乗客に迷惑がかかるので、しかたなく倍の料金分の札をそいつの顔に押し付けてやった。そしたらそいつは半分の札を私の顔に押し付けてきた。なんだよ、最初からそうしろよ。ティラナについてどうしようかなと思ってると、さっき私の隣に座ってたオニイサンが街の中心まで乗っけてってくれた。彼のことば。「アルバニア人はアイツのようなやつばかりじゃなくて、イイ人が多いよ」。そうかもしれない。後でよく考えて見ると、500円分損すると思って粘ってたのだが、桁を1つ間違えてて、本当は50円だった。やれやれ。
タクシー代でまたもめる
ティラナから南部の街、サランダへ。しっかし、なんもないな、ここは。早いとこアテネに行きましょ。観光案内所なんてもんは見当たらなかったので、旅行代理店に行って、アテネまでのバスをチェックする。するとそんなもんはない、とのお答え。ボーダーからタクシーで行って、そこからバスに乗るしかない。仕方ないのでそこで、明朝のタクシーを予約。翌朝、代理店のオバさんが30分ぐらい遅れて登場。タクシーは?なんでも彼の兄弟がタクシー運転手をやっていて、それを当てにしてたのだが、つかまらないので、他のタクシーで行くしかない、とのこと。でもって、兄弟のじゃないから料金は昨日言ったのよりも高くなる。もう、朝からブチキレ。そんなことはあなたのミスであって私には関係ない。したがって昨日決めた料金しか払わない。そんなこと言われても...。絶対ダメだ。結局半べそ状態ながら、差額の$10出してくれた。ちょっとわるいことしちゃったかしらん。
アテネでチケット購入
アテネに来た最大の理由はマドリッドまでのチケットを買うため。スペインに行くのにどのルートがいいか考えたのですが、イタリア、フランスなどの物価が高いところをを通ると金が減ってスペインで学校(もう一度スペイン語やろうと思ってた)行けなくなってしまう。なら、飛んじゃおう。アテネはヨーロッパの中ではチケットが安いのだ。宿を決めると早速代理店歩き回る。でもなかなか私の希望に合うのがないのだなぁ。安いとおもったら週一便しかなくて、1週間近くまたないとダメだとか。でもなんとか許容範囲内のモノを手に入れたのであった。まっ、これも直行便じゃなくて、ローマで乗り換えだったけどね。