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Ensayo ラテンなエッセイ

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★ 現在バイクでアメリカ大陸を縦断中のスギさんのエッセイ

ラテンアメリカ的道草見聞録

「メキシコ的大衆車のお話し」 「アンデス コーラ文明」 「ボリビア怖いものツアー」

◆ はじめに

 ”スギさんもエッセイ書いて見たら?旅行の話とか書けるでしょ?”メキシコ グアナファト。このサイトでもおなじみのカサ ビアへーロスにやってきた晩のこと。カラフルなソファーにからだを沈め、オーナーの京子さんはノートパソコンに目をやりながら話を続ける。”何か目的とか、やらなきゃいけないことがあったほうが旅行のし甲斐があるんじゃないの?”たしかに、ここまで特に目的なんて持たずに走ってきた。そのほうが気楽でいいと思ったから。だが現状はだらだらと旅の日常を消化しているだけのように思えた。京子さんはそういった僕のていたらくを見て取ったのかも知れない。その後数日をこの居心地のよい宿(お世辞抜き。街もメキシコ一美しい)で過ごすうちに、僕が書かせていただく、とゆうことになっていた。だが、それからが進まない。ここまでの旅の間、何を書こうかとずっと考えていた。
 僕は今、バイクで旅をしている。アラスカの北極圏から、南米大陸の最南端までのツーリングだ。アメリカ大陸はバイク乗りにとってポピュラーな所で、毎年ヨーロッパや日本から来たライダー達が南下、あるいは北上していく。アフリカやアジアに比べればバイクで走るのにそれほど苦労はしないで済むからだ。もちろん、アメリカ大陸、特にラテンアメリカの世界に魅力を感じ、ここにやって来たことは、他の旅人達と同じだ。オートバイだからといって大した冒険があるわけじゃない。有名な観光地で記念撮影もするし、安いがちゃんとホテルにだって泊る。時には道端にテントを張ったり、ひどい道を走り抜けなければならないこともあるけど、なるべくそれらは避けている。保守的になりすぎる旅もつまらないものだが、好んで冒険ばかりしていれば、どこかで致命的に痛い目に会うだろう。海外ツーリングは何年、何百万円とかけた計画だ。少々慎重すぎるくらいでちょうどいいんじゃないだろうか。そんな僕の旅行の中から、いったい何を書いたらいいだろう。おそらくこのサイトを見る方々の多くが、中南米への旅行をされたり、仕事で訪れたりした経験があるのではないか。そう思うと、いつも筆が進まなかった。ラテンアメリカ初心者の僕が、なにを書けるのか...。ずるずるとこの問題をひきずりながら、メキシコの出口まで来てしまった。
 そろそろ米川さん(Webmaster)に忘れられる、とゆう危機感(それもいいかな、とか少し思っちゃたが)もあり、”ここカンクンで書く、書くまでここを出ない 、”と決めて日々の海水浴もほどほどに考えあぐんだ。ほんの数日前、やっとテーマを決めた。”道の上の話” バイク乗りはこの道の上で旅の大半を過ごしている。そこにはごまんとお題があり、バスや電車や飛行機は緊急停止させられないような所でも、バイクなら気になったらどこでも止まれるではないか。当たり前のようなことだが、実はライダーはあまり道端で止まらない。止まるのが億劫だし、あまり意味もないのに時間に追われていたりするから。何度もそれで後悔した。
 そんなわけで、僕の旅のやり甲斐探しは、まずバイクにブレーキをかけることから始めることにした。なんでもいいから、止まって見てみようじゃないか。でも、時には走っている僕に向こうから近付いてくることもある...。

◆ 第一話  メキシコ的大衆車のお話し

 メキシコ本土を走りはじめて、数日が過ぎた。太平洋沿岸の道は熱帯雨林の山のなかを通り、乾燥したバハ カリフォルニア半島から来た僕にはまるで植物園のような植生と湿り気を帯びた風がとても新鮮で、ずいぶん南までやってきたことを実感できた。だが、内陸部へと走りはじめると、緩やかな丘陵地に農村風景が広がり、時折サトウキビ畑から甘い匂いがただよう以外に何も気をひく様な物もなく、少々退屈してくる。尻や手のちよっとした痛みが気になり、眠気を感じることもままあるような道。世界中、どこにでもこんな風景があるんじゃないだろうか。
 時速85キロ...僕の古バイクにはそれ以上の速度で走り続けるのは酷だ...このくらいのスピードで走っていると、大半の車には抜かれることになる。南下するにつれ車のマナーも悪くなってきたので、いかに暇な道とはいえ前後には気をつけていないと、不意に現れた車に驚くことになる。バックミラーに白い車影が見えてきた。独特の丸い形で、それがワーゲン ビートルだと解かるのに、大した時間はかからない。みるみる近づき、次の下り坂で何の躊躇もなくパスされた。”120キロは出してるな...”一目で営業と分かる白ワイシャツの男がハンドルを握っている。覗き込んだ室内はきわめてシンプルで、これ以上何を取っても走るのに支障をきたしそうな潔さだ。だからだろうか、不思議なほどこの車からは古臭さを感じ取れなかった。ボボボ...とゆう独特の排気音を残し、やがて丘一つほどの差がついて、急ぎの営業車は視界から消えていった。これも別に世界中どこにでもあるようなことだ。それぐらいこの車はありふれている。ただ、ここ数日、僕にはこのビートルが気がかりだった。あまりにその数が多すぎる。それにずいぶんピカピカで元気じゃないか!
 ビートルとゆう車について、あまり多くを話せる知識もないのだが、この車がドイツで作られたのは今から60年も前のこと。名の通りの国民車として、ヒトラーが作らせた車だ。戦後は世界の大衆車となり、日本でも一番手頃な外車として走り回っていたのは周知の通り(手頃であるが故に、当時スーパーカーに夢中だった僕等には何の魅力も無い外車のひとつだった。でも近所でカラフルなビートルに乗っていた家の人たちは、やっぱりちょっとおしゃれで、ちょっとお金持ちに見えたのだ。)。しかしもう20年近くも前に生産が終わり、年々街で見るビートルの数は減っていった。今や日本では趣味の車として残るばかりではないだろうか。
 先ほどの道の話の続き。しばらく走ると、小さな町の入り口のトペ(メキシコの道に過剰に多い、車に減速を促すためのコブ。トぺの大群は時に旅の予定をも狂わす忌まわしい物だが、廉価で効果的な安全対策とも言えなくはない。でもやっぱり僕は嫌い)で新車を乗せたトレーラーに追いついた。そこで思わず我が目を疑った。荷台で最新の車たちに混じって銀色に輝くビートルが追い越し際に目に入ったからだ。メキシコではいまだにこの車を作っていて、新車を買うことができる!?驚きと同時に、なんだか嬉しくなってしまった。現役を退いたプロ野球選手を、異国のマウンドで偶然見かけたような(実際そんなの見たことないのだが)、切なくなるような嬉しさだった。
 メキシコにはフォルクスワーゲンと日産の現地工場がある、と少し前に聞いた事があった。ビートルもそこで作られているようだ。確かにツルとかツバメとかいう名のサニーもたくさん走っているのだが、ビートルの数にはまだまだ遠く及ばない。メキシコシティを訪れた方ならご存知だろうが、リブレ(流し)のタクシーの半分近くがビートルだし、路上にこの車が見えないことがないほどで、交通マナーの悪さ同様にシティーの名物になっている。使われ方は様々、時に信じ難いほどの荷物を積まれる商用車であり、家族旅行のRVであり、若い連中のアシにもある。程度も同様、前後左右の部品の色が違うスクラップ寸前のものから、前述のような新車の輝きを持った車もある。そんな訳で、どゆうわけかメキシコではこの車が現役バリバリの人気車なのだ。
 後日、街のディーラーでショウウインドウに飾られるビートルを見かけた。お値段4万7千ペソ(約70万円)也。なるほど、他の新車と比較しても桁違いに安いこの車(それでも当地の排ガス対策のために昔より多少の進化はしている)が道に溢れるのは当然かもしれない。それにしても、一見可愛げだけどじつは質実剛健なドイツ生まれのこの車を見事にラテン文化に吸収してしまったメキシコ人って、何と懐の広い人達なのか、あるいはなーんにも気にしないお国柄なのか...。次の旅行は、ボロボロのビートルに乗ってメキシコ中を走り回る、なんてゆうのも楽しそうに思えてきた。

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◆ 第ニ話 アンデス コーラ 文明

 いつの間にか、ここはペルー。海沿をゆくパン アメリカンハイウエイは、行けども続く砂漠の風景。沖を北上する寒流がもたらす霧に空は覆われ、どんより薄暗く、まだここが熱帯圏だなどと信じられないくらい冷たい風が吹き付けてくる。砂塵が道を這い、時に荒々しくバイクに襲いかかる。ヘルメットの僅かな隙間にも砂が入り込み、目を開けているのも苦しい。横風で自然と横に向けられた顔から何とか前を見据えながら、霞んだ視界の先にまっすぐ続く道をたどる。バイクを止めたところで、砂から身を隠す場所などありはしない。やっと風がおさまった時には、下着の中まで砂が入り込み、バイクの一部は吹き付けられた砂に磨かれて、きれいな艶消しになっていた。
 砂漠の東は、山。標高4600m。数度にわたるアンデスの峠越えで体は次第に慣れてきたものの、息苦しいことに変わりはないし、何より寒い。なだらかに起伏を繰り返すアルティプラノには所々に最近降った雪が残り、道端には木一本生えていない。そんな所でも、時々人が歩いていたりする。インディヘナの夫婦が、背に丸々と膨らんだ風呂敷きを背負い、黙々とどこかに向かって歩いている。アルパカの番をしている子供が、道端にひょっこり現れたりする。10数キロ先の村目指して、ガス欠になったバイクを押しているなんて男もいる(さすがに彼は通り掛かりの僕に助けを求めてきたが、この行き当たりばったりがいかにもペルー人らしい)。さらに驚かされたのは、大きなアルパ(ペルーの民族楽器で、ハープより一回り小さい竪琴)を背中にしょって峠を登ってきた男。一体どこに行くとゆうのか...。道端で出会う彼等は、この高地でごく普通に生活しているように見える。家がどこにあるのかすら分からない殺伐とした土地なのに。僕にとってはただそこにいるだけでも大変なことなのに...。
 アンデスのさらにその東には、バイクですら行けないアマゾンのジャングルが広がっている。ペルーは自然の厳しい所が凝縮された国だ。厳しいだけに、美しい。こんな所を走れる体験はこの先そうないだろう。だから寒かろうと苦しかろうと、心の奥の方をくすぐられるような僅かな興奮を感じながら、僕はペルーの旅を楽しんでいる。

 さて、ここからが今回のお話。平原の中をひたすら真っ直ぐ続く道に、その看板はいつもひょっこり現れる。5、6mほどの高さのビンの形そのままの、インカ コーラの看板。その下には ようこそ○○へ...つまりこの看板が出てくると、町は近いのだ。
 インカコーラは言わずと知れたペルーの国民的飲料で、そのシエアはコカコーラやペプシを凌ぐほど。最近では隣国エクアドルにも進出していて、僕もキトでこれを初めて飲んだ。コーラといってもインカコーラは黄色い透明色をしている。味は昔飲んだソーダ水のような感じで、シロップ臭い甘さが口いっぱいに広がる。日本人にはちょっと甘すぎるのだが、ペルーの人はレストランで食事するとき必ずといってよいほどインカコーラの小瓶を横に置いている。ペルーに限らないが、ラテンの人たちは甘い物に免疫ができているようだ。コカ茶やマテ茶も普通は砂糖を入れて飲む。コーヒーなどは始めから砂糖と一緒にローストしてある。甘くない飲み物といえば水とビールぐらいか...。ところが、始めは好奇心で買ったインカコーラだったが、何度か飲んでいるうちに僕はこの甘さにすっかり毒されてしまっていた。そうなると今度は他のコーラも飲んでみたくなり、いまやペルー中のコーラと名のつく飲み物を収集することに余計な金と暇を使っている。ペルー国内で売っているインカ以外のコーラをいくつかご紹介してみると...。

コーラ レアル
かつてインカに次ぐ勢力を持っていたと思われるコーラ。現在ペルー北部から撤退し、褪せた看板があちこちに残るのみ。だがワラス以南ではよく見かける。またエクアドル、ベネズエラにも拠点を持ち、国内シェア復活を目指しゲリラ的展開を行っている模様。コカコーラのような黒色と他数種。毒々しい緑色をした瓶が意外にさっぱりしていておいしい。
トリプルコーラ
ポストインカをねらう最有力?バックに大企業がいる模様。ダイエットコーラが販売されているのはこれとインカだけ!!
ペルーコーラ
これも黒色で一番コーラらしい味。ラベルをよーく見ると、ナスカのハチドリの模様が書いてある。
コーラエスコセサ
ユーラ アレキパ地方で売っているクラシックなコーラ。少し赤みのある黒色。ちょっと癖のある甘み。このような地コーラとも言うべき種がペルーにはまだ多数存在する模様。
ドン キホーテコーラ
リマ以南で売られているドン イサックコーラ(インカと同じ黄色いコーラ)をパクったもののようだが詳細は不明。チバイとゆう町の商店で一本だけ目撃。絶滅危惧種か!?

 その他にもペルーには数多くのコーラが存在し、現在までに僕が確認したのは外資系3種を含んだ16種類にも及ぶ。ラベルを見ていて面白いのはコーラにはCOLAとKOLAの2種類の綴りが存在すること。商標の関係かもしれないが、KOLAのほうは炭酸飲料全般を表すのに使われているようで、まったくコーラらしくない飲み物も多数ある。上に挙げた例はいずれもコカコーラやインカコーラに近い味のコーラだ。
 これまで旅してきたラテンアメリカ諸国にも幾つかの国産コーラがあったのだが、これほど多種にわたってコーラ、あるいは清涼飲料水が出回っている国はペルーをおいて他にない。種類が多く存在する理由としては、流通のし難さがあると思われる。ペルーの交通事情はまだまだお世辞にもいいとは言えない。そのため地方単位で独特の商品が生まれているのではないか。これはコーラに限ったことではないと思うが。また歴史的に見ても、例えばインカコーラは1935年から作られ、地コーラの中にはもっと古いもの(いわゆるプレ インカの時代?)もあるようだ。ひょっとすると、スペイン統治時代からメジャーの影響を受けることなく作られ続けているソーダ水もあるかも知れない。 そう考えてゆくと、ペルーのコーラとゆうのはこの国を特徴づける一つの文化になっているのではないだろうか。
 さて、この先まだまだ新しい発見があるのか、楽しみではあるが、正直いってこれらのコーラは酒みたいに味に特別個性がある訳でもなく、コカコーラが1番うまいといってしまえばそれまでだと思うし、最近糖分の摂りすぎで体が心配になってきたので、この先調査を続けるかどうは...微妙なところだ。

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◆ 第三話 ボリビア怖いものツアー

 さて、今回のお話もバイクとは関係ないんですが...。
 ボリビアとゆう国は南米の中でもとりわけ発展途中の感がある国の一つ。例えば道路。主要な街を結ぶ道もまだまだ未舗装のところが多く、地方の道は雨季は走れなくなったり、山ではバスやトラックの遭難や転落事故が相次いだりとかなりワイルドだ。そのくせ南米の中でもかなり高い道路通行料を何度も徴収されるのだが、新しい道の建設現場も度々見かけたので、さっき払った10ボリビアーノがこの道の何センチ分かと思えば我慢も出来なくはない。数年後にはボリビアの道もだいぶマシになっているのだろう。
 首都ラパスは近代的な建物が立ち並ぶ都会だが、夕方になると道端には所狭しと露店が並び、けっこうな賑わいになる。そこはインディヘナの市そのもの。売ってる物こそ違うが、遠い昔と変わらない光景のようだ。どこかちぐはぐで、混沌とした国。そんな所だからか、僕ら旅行者には驚きを通り越して呆れてしまうような事が少なからず起こる...。
 今回はそんなボリビアを代表するような怖いツアーを2つご紹介。いずれもガイドブックに載るほどの有名な所なのだけど、実際行ってみるとホントに期待を裏切らぬ怖ーい所。とゆうことで今回はその体験記です。さすがボリビア、他ではこんなのちょっと真似できないんじゃないか!?

1 ラパス刑務所ツアー
現役の刑務所内を見学できるツアーが、首都ラパスの真ん中で体験できるという。行った人達に感想を聞くと、ウーンと困った顔をしたり、あれはあれでよかった、とか曖昧な返事が返ってきたり...一体どんな所なのか?場所が場所だけに最小限の装備で行ってみることにした。
ラパスの目抜き通りからわずか2ブロック坂を登ったところ、ごく普通の広場の向かいに高い塀で囲まれた1区画がそのサン ペドロ刑務所。入り口にパスポートを預けて一歩中に入ると、早速ツアーのお誘いがかかる。面会待ちの受刑者達が騒がしい中庭で待つこと数分、お客が集まった所でツアーは開始された。ガイドは英語を話すドイツ人のハンス。ボリビア入国時に覚醒剤所持で捕まった受刑者だ。他4人ほどのボディーガードがつくが、彼等も皆その辺で暇をもてあましていた受刑者達だ。ツアー客は6人ほどだし、所内ののんびりした雰囲気からすれば物々しい警備だが、これは彼らのアルバイトだから仕方が無い。中南米の町に良くある古びたアパートが寄せ集まった様な所内を歩いてゆく。狭く、薄暗い通路の両脇にはドア一枚分そこそこの幅の部屋が並び、それなりに刑務所らしい感じがしたが、少し奥へ入るとぽつぽつと店が並び、広い中庭では若い受刑者達が、寄付された真新しいユニフォームを着てフットサルに興じている。それを取り囲む建物からは大勢の男達が暇そうに見物している、といった具合いで、牢屋を見物して回るような刑務所見学をイメージして行くとがっかりする事になりそうな光景だ。ハンスは所々立ち止まっては所内の説明をしてくれたが、まずここのシステムに驚かされた。受刑者はまずお金を出して牢屋を買わなければならない。しかもその所得に応じて部屋のランクが違うというのだ。まったく金の無い人は調理係などになって何とかしのぐのだが、何ヶ月も金が出来なければ床に寝る事になる。反対に数千ドル出せばテレビ付きのホテルのような部屋に住む事もできる。そして出所の時に部屋を売り払うのだという。店も全て囚人の個人経営。雑貨屋、食堂はもちろん靴屋や写真屋まである。金さえあれば外から何でも手に入るらしい(現にここでハッパを買って帰った旅行者もいるとか)。受刑者の中にはなんと家族ぐるみで入所している人達もいる。その子供達は毎日バスで学校に通っているそうだ。「もうじき幼稚園が所内に出来るから、送迎などで外に払う金も少なくなる」とハンスは言っていた。つまりそれだけここが潤うとゆうことだ。刑務所の財源は国からの支給の他、所内で作られた製品の売買益、このツアーの約10ドルの参加料も半分は所内に還元される(残り半分は政府に行くそうだが)などなど、微々たる身入りも有効に使われている。ここはより良い生活環境を求めて発展し続ける、コミュニティー刑務所なのだ。だから映画で見るような抑圧された刑務所の雰囲気は何処にもない。男ばかりな事を除けば、ちょっと貧しい人達の住む居住区と同じような感じだ。
ツアーも終わりに近づいた頃、数人の取り巻きを連れた恰幅のよい白人とすれ違っ
た。「彼はここのプレジデントだよ。」とハンス。プレジデントとは刑務所長の事なのか、と思いきや、「彼は数tのヤクを密輸しようとして捕まったんだ。ここで一番高いペントハウスに住んでる...」いまだにこの刑務所の事を思い出すと頭がこんがらがってくる。世間から隔離され
ているとゆう意味では確かに刑務所なのだが、更生させるという考え方はまったくないのか!?今やラパスのNo.1アトラクションと受刑者自ら言っているこのツアー、行く価値については...賛否両論。

2ポトシ鉱山ツアー
 そんな刑務所とはある意味正反対の環境の人達に会うのがこのツアー。かつて銀の採掘量世界一を誇ったポトシの鉱山で働く男達は、最悪の労働環境のなかで生涯を送り、独自の信仰を持っている。その姿はまるでまるで隔世の地に生きる修道士達のようであるという。その一方、4000mの標高で穴もぐりを強いられるこのツアーはかなりハードで、時として危険ですらあると評判だ。はたしてどんなものか...。(以下日記調に)
 午前九時、ホテル前に迎えのバスがやってきた。(かしまスイミングスクール 生徒募集中)と車体に大書されている。この町のバスはほとんどが日本からの輸入中古車で、ハンドルとドアはうまい具合に反対側に移されているのだが、どのバスも塗装だけは日本のままだ。これが流行りだなんて話も聞いた事があるが、あまり気にする人もいないのだろう。さてバスは町をぐるりと回ってお客を拾ってゆく。おおよそ満員になったマイクロバスの中には何と10人の日本人が乗っていて、その殆どの人とはすでに顔見知り同士だから、南米旅行者の世界の何と狭いことか...。で、バスは狭いポトシの町を上へ上へと走り、町外れで止まった。全員下車。とある家の一角で頭から靴まで作業員姿に着替える。泥だらけにならないための装備だが、みんなハリウッド映画の消防士の出来損ないみたいな格好になった。お次は近所の店で鉱山労働者への差し入れを買いもの。この差し入れが並ではない。コカの葉、煙草、エタノール(これは一応飲み物だが、純度95%とアルコールそのもので飲めたものではない)そして、ダイナマイト...。こんなものが店でジュースといっしょに買えるのは、世界でこの町だけだろう。ちなみにダイナマイトは一本200円ぐらい。意外に安いものだ。ふたたびバスに乗り、町のすぐ後ろに赤々とそびえるコペラティベ鉱山に到着。たちまち鉱山育ちの子供達がさまざまな鉱石屑を売りにやってくる。金色や濃い青色の綺麗な石もある。これが全部この山で採れたものなのかは定かではないが、子供が拾ってくるものだからこの近所であることは確かだろう。また、あとに出てくるように、ガイドに付添って鉱山を案内するのも子供達の役目だ。さてツアー開始。が、穴に入る前にまずはガイド氏、我々が買ってきたダイナマイトをひとつ手に取り、その使い方をレクチャーしはじめた。ダイナマイトと言ってもこれはプラスチック爆弾の一種のようで、一般に想像する筒型の状態では使用せず、紙からほぐしたうえにビーズ状になったアンモニア(硝酸アンモニウム?)と混ぜて使う。これで安上がりに威力を倍増できるそうだ。これを袋に詰め、1.5mほどの導火線の雷管を袋に、もう一方の端に火を...なんと、ほんとに火を点けた!ガイド氏は調子にのって口に袋をもっていくパフォーマンスを披露。すると僕等の仲間で好奇心旺盛なDaiくんが俺もやりたい!と袋を横取りした。だが次の瞬間、谷から不意に風が吹き、導火線が絡まってずいぶん短いところに飛び火してしまった...。「ワーッ!何やってんだDai君!!」...まぁ冷静になればまだすぐ爆発とゆうこともなさそうだ、と悪乗りした我々は爆弾を回して写真を撮り合ったりしていたのだが、そろそろ洒落にならない導火線の長さになってきたので、袋を鉱山育ちの少年チンチン君(本名らしい)に任せた。チンチン君は一目散に崖を中腹まで下り、素手でモソモソと穴を掘り始めた。大丈夫なのかチンチン君!!だが我々の心配をよそにチンチン君は悠々と袋をその穴に埋め、離れたところに退避した。僕等は崖の上からカメラを手に固唾を飲んで待つ。...爆発!!!!その瞬間、僕のカメラは空を写し、数人が驚いて後ろにひっくり返りそうになった。それほど予想以上の衝撃だったのだ。そんなものがこの山の中でドカンドカンと爆発しているのだから、たまにツアーで死人が出るなんて噂にも信憑性が出ようとゆうもの。
 さて、いよいよ鉱山内部に突入!!チンチン君に先導された我々ツアー一行は縦横無尽息切れ必至の大冒険を繰り広げるのだが、この続きは是非ご自身でご体験いただくことに。とゆうのも今回は悪乗りしすぎてちっとも話が前に進まなかったもので...すみません。