| Ensayo ラテンなエッセイ |
★ 現在、中南米を自転車で縦断中のマサユキさんのエッセイ
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中南米自転車珍道中
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「はじめに」 「旅立ち編」 「灼熱のバハ・カリフォルニア編」 「雨季のメキシコ本土編」 「快適なり高速道路編」
「メキシコ出国編」
◆ はじめに
「なんで自転車なの?」自転車で旅をしているとよくこう聞かれる。自分でも時々、「なんでなんだろう?」と思う時があるが、いきつく答えは簡単なものだ。「たのしいから」これしかない。もう少し付け加えるなら、バックパッカーが点を旅行するのに対し、自転車での旅は点と点を結ぶ線を旅行することになる。さらに、自動車やオートバイと違い、スピードがとても遅い(車だと一時間の距離が、自転車だと一日がかりになることもある)ので、その国、土地を肌で感じ、良く見ることができる。自動車では何でもない道も、自転車では妙に感動したりすることもある。そして、それこそが自転車旅行だけの醍醐味なのだ。
このエッセイを読んでもらい、一人でも多くの人が興味をもち、そしてチャレンジしてくれたらと思う。自転車での旅はとてもおもしろいし、とても気楽だ。好きな場所へ行けるし、好きな所で休める。好きな時に走り、好きな時に寝る。もちろんつらいこともたくさんある。でも、嫌になったら走らなければいいのだ。自転車は電車にもバスにも、飛行機にだって乗せることができるのだから。気楽に楽しく旅行ができる。これが自転車旅行のいい所だろう。
マサユキ:1978年生。東京出身。学生時代は自転車で日本を旅行した経験を持つ。海外でのサイクリングどころか、海外長期一人旅も今回が初めて。現在グアテマラにて沈没中。(笑)
◆ 旅立ち編
今回の僕の旅は、アメリカのロサンゼルスから南下してメキシコに入国し、バハ・カリフォルニアを走り、中米、南米を自転車で南下しようというものだ。なぜ、このようなルートをたてたかというと、国境越えが多くておもしろそうだということ(しかもビザ無しがほとんど)と、自分自身のレベルアップにちょうどいいと思ったからだ。アメリカ→メキシコ→中米→南米と、治安や政情が比較的安定しているところから、そうでないところを旅することになる。旅慣れるためにはこのルートが適当だった。一般的に、自転車で世界一周をする人のルートは、アラスカからアメリカ大陸を縦断して、中米、南米と走り、アフリカ大陸に渡りヨーロッパ、ユーラシアと旅をする人が多い。僕も最初はアラスカからアメリカ大陸横断のルートを考えていたが、以上の理由と、物価の問題でこのルートに決定した。
自転車は日本からもってきた。重ささえ超えなければ追加料金はまずとられない。サイドバッグなどの装備品のほとんどはロスでそろえた。アウトドア用品に関しては、日本より性能が良いし、種類も豊富で安い。
自転車に全ての荷物(テントや食料・水など)をくくりつけると、とんでもない重さになった。おそらく自転車とあわせて50キロくらいにはなるのではないか。最初はこんなんで走れるのだろうかと思ったが、ロスから海岸にでるころには慣れてきた。アメリカの道は自転車にとってはとても走りやすい。専用道路まである。フリーウェイも走れる。ロスを出発してから三日目、国境を越えてメキシコに入国したのは7月19日だった。
◆ 灼熱のバハ・カリフォルニア編(7月19日〜8月6日)
メキシコの西に位置するバハ・カリフォルニア半島。南北1500キロにも延び、太平洋とカリフォルニア湾とに接し、中央は砂漠地帯が広がる灼熱の大地だ。メキシコはサボテンの国と聞いていたが、北部の方は木や畑が多く全然そんな感じはしなかった。しかし、南のほうに行くにつれて、大地は乾き、サボテンと岩だけの砂漠地帯に突っ込んだ。砂漠地帯のサイクリングは辛い。地平線に向かって延々と延びる道、その周りにはサボテンと水気のない大地。日光をさえぎる物などありゃしない。太陽は真上にあるのでなおさら日陰がない。日中は40度くらいまで気温が上がるので、暑すぎて走れない。でも、距離を稼がなければならないので、午前中にどれだけ走れるかが勝負となる。まず、朝はなるべく早起きし、朝焼けとともに走り出す。12時くらいに休憩ポイント(日陰)をみつけて3時くらいまでは休憩。とにかく日中の暑さは半端じゃない。地元の人も働かないで休んでいる。野良犬や家畜でさえ暑すぎて昼間はずっと寝ている。で、夕方涼しくなってから再び走り始め、日が暮れる前にサイト地を決める。砂漠でのキャンプはとてもすばらしい。サボテンの森の中にテントを張り、夜は満天の星空を見ることができる。それに、砂漠の夜は涼しくて比較的すごしやすい。夜は10時には寝袋の中に入り、朝は6時には起きる。一日の行動パターンはこんなものだ。
バハ・カリフォルニアの治安はとても良い。(Tijuanaを除く)人々は親切で、英語も喋れる人が多く、最初に旅行するにはうってつけの場所だった。自転車旅行をしているとたくさんの人が話しかけてくれる。「どこから来た?」「どこまで行くんだ?」などからはじまり、「その自転車はいくらだ?」「お前はいくら稼いでいるんだ?」など、最後はお金のことを聞いてくる。こちらとしては、そんなこと喋りたくないから、いい迷惑と感じることもしばしばあった。
自転車旅行者は、けっこういろいろな人に親切にされる。僕はバハ・カリフォルニアでは昼飯をおごってもらったり、水をただでわけてもらったりしていた。昼に暑さでばててたら、水とジュースとビーフジャーキーをキャンピングカーで旅行していた人達から頂いた。昼にガソリンスタンドで休憩していたら、客からサンドウィッチをもらったこともあった。人に親切にされるとうれしいものだ。
海がきれい、というのもバハ・カリフォルニアの魅力の一つだが、砂漠地帯のすばらしい景色も忘れてはならない。バハ・カリフォルニアは18日間走っていたが、とても辛かった。しかし、あの景色と夜のキャンプは最高だった。特に砂漠地帯でのキャンプ。あんなにすばらしいサイト地はこの先ないかもしれない。
◆ 雨季のメキシコ本土編(8月7日Mazatlan〜8月13日Guadalajara)
La PazからフェリーでMazatlanに渡った。灼熱のバハ・カリフォルニアから雨季のメキシコ本土へ。ここからは、雨と坂と虫に悩まされる日々が続いた。バハ・カリフォルニアでは、雨にふられたことは一度もなかった。大地は常に乾燥していたので、蝿はいても蚊はいなかった。きつい上り坂も何ヶ所かあったが、基本的に平坦な道だった。しかし、ここからは毎日雨の心配をしなければならない。夕方になるとバケツをひっくり返したような雨が毎日のようにふる。蚊も多くなった。そして上り坂。メキシコ・シティの標高は2200メートルあるので海抜0メートルのMazatlanから最低でも2200メートルは登ることになる。荷物を満載にのせた自転車での上り坂はかなりきつい。Guadalajaraの手前の街Tepicまではけっこうきつい上り坂があった。
Tepicの街ではものすごく親切にしてもらった。自転車で街に入ると、自転車に乗ったおじさんにスペイン語で話しかけられた。辞書を片手にコミュニケーション開始。そのおじさんは僕に「腹は減ってないか?何か食うか?」と言ってきて、「金がない」と言うと、そのおじさんは「大丈夫だ」と言い、一階がショップで二階がレストランになっている建物に案内してくれた。その建物のオーナーに僕は彼に紹介されて。そのレストランで食事をさせてもらった。彼は英語も話せて、昔は自転車の競技をやっていたそうだ。その日は彼の部屋に泊まらせてもらった。次の日は日曜日だったので、彼は僕を自転車の大会の会場に連れて行ってくれて、そこでいろんな人に紹介された。メキシコ人のアミーゴが増えた一日だった。メキシコ人はお祭り好きで、週末には何かしらのイベントがある。次の日曜日にも自転車の大会があるといっていた。その日の夜も彼のところに泊まらせてもらった。彼は僕に、メキシコでの旅に必要な知識をいろいろと教えてくれた。スペイン語での旅行会話はもちろんのこと、ガソリンスタンドやバスターミナルで眠れば安全だということも教えてくれた。結局2日間彼のところにお世話になり、滞在費は一切かからなかった。
さっそく次の日からガソリンスタンドで眠ることになった。市街地だと野宿は難しい。そういう場合は常に人がいるところで眠ったほうが安全である。ガソリンスタンドでの交渉は、最初は戸惑ったが、けっこう簡単に許可がおりた。外じゃ雨が降ると濡れるからといって、物置小屋の中に泊まらせてくれたところもあった。ガソリンスタンドでのお泊りは結構快適である。音はうるさいが、きれいなトイレはあるし、飲み物や食べ物も売っている。メキシコ・シティまで、何回かガソリンスタンドを利用させてもらった。時には高速道路の料金所にテントを張らせてもらったこともあった。メキシコは高速道路を自転車で走っても何も言われない。自転車禁止のマークがあっても、「走って良いよ」と言われる。
Tepicから先は急な上り坂も無く、ゆるやかなアップダウンの続く道だった。何よりも涼しくて走りやすかった。景色もすばらしかったし、人々も親切だった。メキシコ本土に入ると、治安が悪くて危険なのではないかと思っていたけど全然そんなことは感じなかった。
◆ 快適なり高速道路編(8月14日Guadalajara
〜 8月20日Mexico 〜 8月28日Oaxaca)
Guadalajaraの街はでかかった。でかい街は自転車では走りずらい。交通量は多いし、道は狭いし。それに、詳しい地図を持っているわけもなく、市街地では必ず道に迷う。Guadalajaraでも例外ではなかった。西に延びる高速道路をみつけ、ひたすら西に自転車を走らせる。メキシコの道で、一番走りやすい道路は高速道路だ。まず、対向車の心配をしなくていい。メキシコ人は運転が荒く、追越をどんどんかけてくる。対向車がこちらの車線に思いっきりはみ出してくるので、度々道路の外によけざるを得ない場合がある。高速道路ならその心配が無いし、路肩が広いので、自動車を気にしないでひたすら走ることができる。しかし、デメリットもある。まず、日陰が無い。高原地帯ならさほど気にならないが、直射日光にさらされるのは正直しんどい。そして、ジュースやおかしを買える場所が、料金所にある売店しかない。しかも割高。しかし、そのデメリットを上回るメリットがあるので、ひたすら高速道路を走っていた。
僕は結局、Guadalajara 〜 Guanajato 〜 Mexico 〜 Oaxaca とすべて高速道路を走って移動していた。Mexicoから先は、時々「自転車走行禁止」の標識があったが、無視して走っても全然問題無し。料金所で「Oaxacaまで行きたいんだけど、どこを走ればいいんだい?」と聞くと「ここを走っていけばつくよ」と高速道路を指して答えてくれる。警察も「危ないから端っこを走るんだよ」と、とても親切だ。「自転車走行禁止」の標識があっても誰もそれに触れない。僕にとってはありがたいけど。Oaxacaまでの道は想像以上に険しかった。ひたすら登り、そして下り中心のアップダウン。覚悟していたとはいえ、こういう時にはさすがにライダーやバックパッカーがうらやましく思える。しかし、景色は最高だった。
Oaxacaの街は一泊したが、買い出しや自転車の整備に追われ、観光は一切しなかった。今思うと大変に悔やまれる。自転車で旅行してるとよくあることなのだが、観光ポイントをよくスルーしてしまう。軽量化のため、ガイドブックも必要最低限のものしかもってなく、下調べもろくにしていないからこんな目にあう。後で、他の旅行者に会って話をすると、「あ、そこ行ったけどそれ見てないや」とよく口にしてしまうのだ。その度に、やはり下調べはきちんとやっておいた方が良かったな、と悔やんでいた。
◆ メキシコ出国編(8月29日
Oaxaca 〜 9月6日 Tapachula)
オアハカから先は高速道路もなくなり、ひたすら山道が続いた。山奥の村では、アメリカン・クラッカーのカチカチという音が響いていた。後にわかった事だが、隣国のグアテマラでは、今、このアメリカン・クラッカーが大流行しているのだ。グアテマラについてはこの後、詳しく書きたいと思う。
オアハカから南東に進んで、一旦太平洋に出るのだが、とにかく山道がきつかった。徐々に高度を下げながら、山をいくつも越える。標高が下がるにつれて、じわじわと暑くなっていく。覚悟していたとはいえ、今まで涼しい高原道路を走っていたため、これには参ってしまった。バハ・カリフォルニアほどの暑さではないが、その暑さは確実に僕の体力とやる気を奪っていった。暑さによる疲労のため体調を崩し、ペースがあがらない日が3日もあった。この時は、精神的にもかなり参っていた時期だと思う。
タパチュラに着いた時は、だいぶ調子を取り戻していた。その街で一泊し、次の日に国境へ向かった。国境に着くと、まず怪しい両替商がむかえてくれる。インチキ臭いIDをちらつかせて「俺は政府公認の両替人だから安心だぜ」みたいな事を言ってきて、メチャメチャ悪いレートで話をもちかけてくる。こういう奴は相手にせず、無視してしまおう。イミグレの手前には、警官の数も多いので、そこで両替人と交渉すれば、無茶なレートでふっかけてくることも少ないように思える。僕は二組目の両替人とは割と良いレートで取り引きすることができた。一番最初に声をかけてきた奴等は、明らかにこちらをなめてかかってきているので、間違っても両替に応じないようにしよう。
一ヶ月半に及んだメキシコのサイクリングもここで終わり、僕の旅は次の国グアテマラへと続くことになった。メキシコはとにかくでかかった。自転車で走るのには過酷な場所(特にバハ・カリフォルニア)もあったが、日本では体験できないようなこともあったし、とりあえずメキシコという国に満足して出国することができた。