金安オーナー編集長の編集日記
けっこう大変なんすよ、これが
思わず涙(笑い?)を誘ったりして
これ以降の日記はブログへ
二日酔いで具合が悪く、一日中寝てた。 その間、昔の会社の友人2人からメールがきて、返事を書いた。
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すずきさん、アクセスの畠中さんと3人で食事をした。場所は高田馬場の「OLE」。楽しい会だったが、ずいぶんワインを飲んだ。
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晴天。とある組織の新年会だった。場所は北坂戸。参加費2000円なり。途中で中座して世田谷区へ。アルパ奏者の少女の取材。駅前でカメラマンと 待ち合わせた。カメラマンは違う改札で待っていたので、お互い待ち合わせ時間をこえてずいぶん待った。取材が終わって2人で新宿で飲んだ。カメラマンから相談事を受けたが、世の中いろいろ問題が多いと感じた・・・。その後、北池袋まで歩いた。
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メキシコ学勉強会の日だった。講師はアルフレド大山氏。いい勉強会だった。音と映像を使って、とてもためになった。
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やったぞ。戸田から「メキシコ音楽タコス」&中南米マガジンの注文がきた。夜は新大久保の韓国料理店「ハレルヤ食堂」で「メキシコ音楽タコス」の打ち上げ。安斉さん、上野さん、大山さん、コララテ、寺本さん、土方さんなどなど。その後、安斉さんが「イタリア料理店にいこう」というので、2人でいった。考えてみれば、安斉さんはいままでの中南米マガジンの日々において、本当に力になってくれたのである。わたしの疑問に的確に答えてくれたり、デザイナーとしての優秀さを見せられたりして、そのたびに感謝していた次第である。ほかの人たちにも大いなる感謝の気持ちを持っているけれど、安斉さんは、「こういうときはどうすればいいんだろう?」というときに、答えてくれるという意味で、格別な存在なのである。すずきさんにいわせれば、金安=のびた、安斉さん=ドラエモン、とのことだ。食事の後、北池袋まで歩いた。
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「メキシコ音楽タコス」イベントの打ち合わせの日だった。場所は吉祥寺。終わったあと、土方さんとかなり長い間、駅前のドトールで話した。その後、西荻窪の「ナワ・プラサード」にいって売れ行きチェック。
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1月7日 くらい気持ちになってもしょうがないぞ!! 印刷料金なんていつかかならず払わなければならないものなのだ。元気出していこう! と思っていたら、ロンドンから「メキシコ音楽タコス」の注文。やったね。
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昼、印刷会社から私の携帯に電話。印刷料金762153円を早く払って欲しいとの督促の電話だった。やはり、きた・・・。 というより、いつかかならず来るものなのである。くらい気持ちになった。
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郵便局のバイト、最終日だった。 楽勝だった。
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郵便局のバイトの日だった。何の問題もなく順調。
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郵便局のバイトだった。
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引き続き郵便局のバイトだった。仕事も順調だった。
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新年明けましておめでとうございます。 今年も新年は年賀状の配達で明けた。 朝早く、郵便局の前の駐車場に勢ぞろい。みなで簡単な式の後、年賀状の配達。全然順調で、午後3時15分くらいには終わった。そのあと、自宅に帰り、テレビを見たり酒を飲んで過ごした。
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前日のパラダイスさんのイベントから眠らずにユウメイトのバイトへ。路面が凍っていて配達がたいへんだった。29日に打った腿がまだ痛い。それでも、また路面で滑って転倒。思い切りからだを打った。またしばらくその場にうずくまった。雪はまだ地面にかなり残っていて、横たえた体に冷たい。だが、立ち上がってまた仕事続けなくちゃ。虎! 虎! お前は虎になるんだ! それでもなんとか仕事終わる。その後帰宅し、すぐ就寝。
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ゆうめいとのバイト、きょうも町は雪景色だったが、雪はもう降っておらず、なんとかこなした。その後、パラダイス山元さんのイベントに参加。
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(雪の日の郵便配達、地獄を見た) 朝から大雪の日だった。雨具を装備し、完全武装で郵便配達。おかげで荷物は重い。途中で雪にスリップし転倒。腿をひどく打った。あまりの痛さにしばらく動けず、道路の真ん中に倒れたまま、悶絶。雪で周囲はまったく音がない。完全な沈黙の世界。降りしきる雪の中、「天国とはこういうところか・・・」と雪景色をみながらぼんやり空想した・・・。しかしだ。たちあがらなくてはならない。起き上がって配達続行。午後4時配達終わる。散々な日だった。
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ゆうめいとの配達バイト、今年もやるぜ!気のいい人、大友康平さん、谷原さんに今年も会った(去年の12月参照)。皆さん元気で変わりない。再会を喜び合った。天気もいいし、全然快適。仕事もきつくないし、コツもわかってきて、楽しい。夜は中南米マガジンの忘年会。場所は高田馬場のOLEというスペイン料理店。おいしいし安いから、みんな食べに行ってくれ。夜11時、会終わる。そのあと、北池袋まで歩いた。そうすると・・・・・・・、最終電車がでてしまったのである! もうわが町上福岡のはるか手前の成増までの電車しかない。しかたなく成増までいき、成増から川越街道をとぼとぼと歩いた。夜3時ごろ、朝霞に着く。疲れたし、明日もゆうめいとのバイトがあるので、しかたなく駅前でタクシーに乗った。 タクシーの運転手は中年の女性だった。「お客さん、どうしたんです?」 「それが最終電車に乗り遅れてましてね、成増から歩いてきたんです」 「それはたいへんでしたね」 「ええ、お金がなくてね。実は中南米マガジンていう雑誌を仲間とつくっているんだけど、これが赤字でね、ハハハ」 「でも好きなことをやってるんだからいいじゃないですか」 「よくそういわれるんだけど、意地でつくってるようなもんで・・・。おかげで会社はやめるし結婚はできないしで、まったくいまいう負け組ですかね」 「いまにいい人が見つかりますよ」 拙宅の前にタクシーが着くと、タクシー代5千何百円だった。運転手の女性は5000円でいいという。そこで、5000円札を相手に渡した。すると、彼女は「おつりです」と1000円札を5枚、私に渡したのである。(俺、10000円札渡したのかな)と思ったけど、タクシーが出たあと、財布を確かめてみると、確かに私が渡したのは、5000円札なのである・・・。暗がりでよく見えなかったが、5000円渡して、5000円おつりをもらったのである。きつねにつままれたのか? そんな不思議な話でした。
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メキシコ学勉強会の日だった。水口さんという方のペルー音楽の講義だった。面白かった。 その後、メキシコ学勉強会の忘年会。
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「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」を買った方から、グランワークショップというイベントがあって、そこで雑誌&書籍を売りなさいとアドバイスがあった。そこで、そのグランワークショップという イベントに出店した。場所は新橋だった。会場にいくと、ビルのわきから中年の男の人たちが数人、一生懸命に参加者の写真を撮っていた。たぶん、カメラ好きの人たちだと思う。中に入って係りの人に「今日はお世話になります」と挨拶。中南米マガジンの販売スペースに案内された。隣の販売スペースの人はチェルノブイリの子供たちのカレンダーを売っていた。挨拶すると、「ブントの人ですか?」と聞かれた。なんでも、このイベントは実行委員会形式ではあるが、実質的に主催しているのはブントという人たちなんだそうだ。そこで違う販売スペースにあいさつにいって「すいません、蜂の羽音の人たちですか?」と聞いた。「はあ?」「ブ〜ント、なんちゃって」 思いっきり白い目で見られた・・・。でも参加者の食いつきはいい。結構売り上げ好調。チェルノブイリの皆さんとも世間話。ひとりは秩父市からきたそうだ。蜂の羽音の人ではないとのこと。そこらへんの事情も教えてもらう。もう一人はアイドル好きだそうだ。木村カエラという歌手が好きだとのことで、アイドルといってもグラビア系が好きな私はその存在を知らなかった。年を聞くと37歳とのこと。40歳の男と37歳の男が、アイドルについて熱く語り合ってしまったぜ! この日の売り上げ7000円くらい。ご苦労様でした。
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とあるラテンアメリカ関係のイベントに参加。場所は文京シビックセンターの最上階。なんと16日のバイト先のすぐそばだった。夜6時半開始。しばらく関係者の挨拶が続いた。その会場は、尊敬する先生はいるが、気のおけない友人はいなかった。そんなわけで、することといったらものをたべるか、酒を飲むかしかない。ワインをすすりながら、遠くに広がる東京の夜景をぼんやりと眺めていた。下を見下ろすと、米粒のような人影がかすかに見える。ついさっき、私もその米粒のひとつだったのだ。 板橋区のジャズ好きの人は元気だろうか・・・。しかし、なんと人生は様々なのだろう! そのとき「金安さん!」と誰かが呼びかけた。会の関係者が、とある少女を紹介してくれたのである。若干11歳。紹介してくれたのはとてもうれしかったが、しらふの時に少女とお会いしたかった・・・。その時はかなり酒を飲んでいたのである。子供にとって、酒飲みほど理解できない動物はいないだろう。たしかに、粗相はなかったが、少女の目に、この酔っ払いはどううつったのだろうか?会が終わって春日通りを北へ! 北池袋まで歩いた。
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バイトの日だった。場所は小石川の製本工場。この工場はいままでの派遣先のなかでももっとも感じのいい職場だと思う。活気があり、社員も無表情ではなくて、表情豊か。私と一緒に派遣されてきた男性は、ジャズが好きとかで、その工場の社員とジャズ談義をしていた。12時、休憩。ジャズ好きの人と世間話をした。お勤めの会社が倒産したとかで、しばらく前からこの工場で働いているそうだ。板橋区在住で、「私も東武東上線沿線に住んでるんすよ」といったら、「あの線の住民は貧乏人が多い」と意気投合。わたしが中南米マガジンのことを話すと、うらやましがっていた・・・。夜8時仕事終わる。疲れたぁー。感じのいい職場だったが仕事はきつかった。しかしだ。ここで気を緩めてはいけない。歩くのだ! 春日通りを北へと。でも途中の大塚駅でラーメンを食べてしまった。それから北池袋まで歩いた。
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みんなでキューバの歌を歌おうという会があったので参加。場所は六本木。「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」も売った。帰りに、原史奈のイメージDVDを買った。
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チェコ語教室の皆さんの懇親会に出席。私は入門クラス(一番初心者のいく教室)の幹事をつとめた。場所は新宿のとあるイタリア料理店。日本人とチェコ人が半々くらい。ツックル誌のチラシを持って、皆さんに配った。皆さん快く受け取ってくれる。チェコ人のなかでもツックル誌の期待は高いらしい。「旅の指差し会話帳 チェコ語」によると、チェコの女性は権利ばかり主張する人が多いそうだが、わたしのチェコ語の先生であるチェコ人女性はやさしい感じの人で、ツックル誌のことも心から応援する気持ちのようだ。 誰にも知られず創刊した中南米マガジンに比べると、ツックル誌は恵まれている。中南米マガジンの創刊の時は、わたしは本当に強い気持ちで創刊したものである。会の席上、中南米マガジンのことを聞かれたので、簡単に説明すると、買いたいという人あり。ラッキー! 国立市在住で、ご主人がプルゼニュに赴任したとき、一緒に行き、それが縁でチェコに興味をもったとのこと。プルゼニュはチェコの小さな町で、ビールが名物。「いい町ですね」と話が盛り上がった。会は一人4000円の予算のはずが、こない人がいるとかで、一人5000円払うことになった。私は5000円しかもっていなかったのである。中南米マガジンを売った500円が、帰りの電車賃というわけだ・・・。みなは二次会にいくといっていたが、私は一人さびしく別れて、新宿から北池袋まで歩いた。
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朝日新聞の取材を受けたぞ! といっても埼玉版だから、埼玉県の人にしか存在は知られないでしょうが・・・ 朝、感じのいい若者が拙宅を訪ねてきた。朝日の若き記者である青年と、ラテンアメリカ関係の話で彼と盛り上がった・・・。 朝日新聞を取ってて良かったぁー。若き記者は、本をなぜつくったのかとか、今後の抱負などを聞いてきた。記者は、卒論はゲバラだそうだ・・・。お昼には、記者は帰っていった。ありがとう。
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昼、雑事。夕方、のまどの店長夫妻と会食。場所は下高井戸のメキシコ料理店「ポセーダ・デル・ソル」。奥さんはきれいなひとだった。安斉さんと以前あったことがあるという。オアハカの話、プラハの話などでもりあがる。終わって京王線で新宿へ。そこから北池袋まで歩いた。
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晴れの日。バイトの日だった。場所は鳩ヶ谷。初めて埼玉高速鉄道という地下鉄にのったが、改札の前で職員が大声で「いってらっしゃいませっ!」と叫んでいた。はっきりいって、職員をQC活動やらISOなんたらでがんじがらめに管理している感じで、不愉快だった。 女性の多い職場だった。割と楽な仕事だったが、途中で便意を催して、激しく我慢。これはバトルだ! 午後5時仕事終わり、高田馬場のチェコ語教室へ。埼玉高速鉄道は運賃が高い。チェコ語は難しい。終わったあと、北池袋まで歩いた。
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夜のバイトの日だった。場所は、前回いった川崎の物流倉庫だった。夜8時、川崎駅で待ち合わせる。集合したのは4人。すべて男性だった。 路線バスに乗って職場に向かう。真夜中の倉庫街は不気味だった。運送会社の皆さんはみなフォークリフトの使い方がたくみだった。1人、人遣いのあらい人がいたけど、私は金さえもらえば問題なし。午前2時、休憩。前回のバイトで、私たちに仕事を教えてくれたおじさんがいた。27日の仕事で彼は、WEBデザイナーだといっていたので、私は中南米マガジンのこと、「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」のことも話した。そんな世間話をしていると他の2人も話に加わり、みなでお互いの身の上話を始めた。WEBデザイナーさんは仕事がなく、とりあえずこの仕事を始めたという。もうひとりは、お勤めの会社が倒産したのだそうだ。紡績会社だという。そこで生活費がほしくて、派遣に応募したとのこと。この仕事のほかに、もうひとつバイトをいれたいのだそうだ。 休憩が終わってまた仕事。仕事の合間に外の見える場所にいくと、外は薄明るかった。仕事の終わりが近い。午後7時、仕事終わる。外は快晴。路線バスで川崎駅に行くと、駅のそばのコンビニの前に老人が座っていた。「すいませんが・・・、電車賃を貸していただけませんか・・・」という。「病院から帰るお金がなくて」「そうですか。いくら入用なんですか?」「200円です」「わかりました。これも何かの縁でしょう」と200円を渡した。
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コラソン・デ・メヒコの発表会の日だった。場所は南浦和。この前バイトした工場のすぐそばだった。単行本5冊売れる。みんな親切でよかった。終わったあと、大塚にフラメンコを見に行った。
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真夜中に、まったく知らない人の指示で、いったことのない場所にいき、しかもそこで何をするかわからない、という経験をお持ちの方は、この文章をお読みの方に何人いるだろうか? なんともしれん不気味さがあるものだ。夜10時ころ川崎駅に着き、携帯電話で会社に電話をかけると、駅の地下街に待っている人と合流しろという。指示どおりその人に合流すると、二人してタクシーに乗れ、という。駅前のタクシーに乗ると、携帯電話で運転手と話をさせてくれ、と電話の向こうの人材派遣会社の人はいった。 運転手は指示を聞き、いくべき場所を教わったようだ。タクシーは出発すると、海に向かって走る走る。20分近く走ると、大きなトンネルに入ったが、スピードを緩めず止まる気配はない。トンネルを出てしばらく走ると、大きな倉庫街みたいな場所に着いた。とある倉庫に着くと、「ここが指示された場所ですよ」と運転手はいった。そこでタクシーを降り、倉庫に入ると、「ここにいってください」と係りの人に指示された。 いった場所は、たいへんに大きな倉庫だった。そこにおつまみ、缶詰、缶ジュースなどがやまのように置いてある。そこにトラックがひっきりなしにやってきて、荷物を積み、また日本各地に出発するという次第。私たちは着いたトラックにワッセ、ワッセと走りより、荷台に荷物を積む手伝いをするというのが仕事だった。といっても重い荷物はフォークリフトで積み下ろしするから、私たちが扱う荷物は軽いものだけ。楽な仕事だった。 午前2時頃、人材派遣会社の人がやってきた。タクシー代だといって2000円くれる。ラッキー! 私の同行者はお金に困っていたみたいで、賃金を前借できないかと彼に相談していた。しばらくして窓のある場所にいくと、もう朝で外は薄明るい。海がすぐ近くだった。午前7時、とうとう仕事終わる。外は快晴。バスで川崎駅に着くと、朝のラッシュアワーだった。南武線で府中本町へ。イベントで単行本を売った。
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前日につづき、夜のバイトの日だった。夕方、待ち合わせの南浦和駅で待っていると、人材派遣会社の人がやってきた。彼は、私が契約している会社の人だったが、しばらく前にその会社を辞めたらしい。いまは違う会社にお勤めだとのこと。携帯電話で話している感じでは、新しい会社の、かなり重要なポジションに彼はいるみたいだった。彼が語るに、誰か、私が行ってほしいところに行ってほしい。そこで仕事をしてほしいのだと。時給1500円払うからというのである。私は立候補した。整理して書くと、もともと契約していたA社の仕事を待っているときに、B社の人がやってきて、B社の仕事をしてほしいといってきた、A社とB社で話はついていると。そして、私はそれをOKした、ということなのである。 私は南浦和駅で待つことになった。しばらくすると携帯電話に指示があった。いますぐ京浜東北線に乗って川崎駅に行けと・・・。夜9時だった。南浦和始発の京浜東北線に乗った。(明日に続く)
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夜のバイトの日だった。夜8時に南浦和の駅前へ。4〜5人がそろったところで、手帳工場にいった。住宅街のなかに工場はあった。中は狭い。すぐラインに入り、作業を開始した。手帳を1つずつ箱にいれていく仕事だった。結構楽勝だった。夜の2時に休憩時間。人材派遣会社の人がやってきて、ドーナツを差し入れてくれた。1つドーナツをもらう。人材派遣の人に初めて、「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」のことも話すけど、関心ないみたい。「あすもここで仕事があるから、来てくれませんか」といわれたので、OKする。朝5時半、仕事終わって、帰宅。
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朝早く、吉祥寺で起床。すぐ上福岡の自宅に帰らなければならない。吉祥寺→西国分寺→朝霞台→上福岡という道のりで帰宅。郵便局のゆうめいとのバイトの面接に参加。 面接が終わってから、自宅で何もやることがなくブラブラ。
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「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」発売の日だった。
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昼間、五反田で営業活動。夜、タロット占いをしてもらう。「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」について、売れるのか、売れないのか、うらなってもらったのだ。 「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」は、私が心の中で考えているほど、売れないそうだ。けれど、大きな損もないとのこと。そして、半年内に、私に大きな教訓を残す出来事があるのだそうだ。病気とか、金銭的なことではないとのこと。なんだろう・・・。失恋とかか? 占い料2000円なりだった。
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戸田の製本工場にバイトにいった。8時半から5時まで働いた。結構楽な仕事だった。そのあと和光市まで歩いた。そこから、東上線で上福岡まで帰った。 帰宅後、メールを書いたり電話など。
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朝早く、吉祥寺で起床。すぐ上福岡の自宅に帰らなければならない。吉祥寺→西国分寺→朝霞台→上福岡という道のりで帰宅。郵便局のゆうめいとのバイトの面接に参加。 面接が終わってから、自宅で何もやることがなくブラブラ。
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吉祥寺ののまどでのさかぐちとおるさんのトークイベント。内容があってよかった。 その後、カストロマニアのanikiさんとのまどの人が2人、私の4人で夜遅くまで飲んだ。のまどのMさんの家に泊めてもらった。
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雨。というより、台風の日。とにかく風が強かった。一日中家にいた。夜、台所にいくと、なめくじが5匹もいた。 ひえー! おれの大嫌いななめくじが! 急いで逃げた。
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メキシコ学勉強会のメキシコ料理教室の日だった。 セビッチェ、タコスなどつくった。おいしかった。
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「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」のことで各所へ電話、メール。夜、チェコ雑誌への原稿執筆。
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昼まで都内各所で「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」の仕事。夕方、高田馬場のチェコ語教室へ。ところが、教室はマンションの4階の1室で、マンションはオートロックになっており、玄関から教室によびかけてドアをあけてもらうことになっていて、当日も玄関からマイクに「すいませーん、チェコ語教室の金安です」と呼びかけたのだが、返事がない。そうしているうちに、ほかの生徒さんもやってきた。かわいいお嬢さんで、一度席が隣だったこともあり、その名前を覚えていたのである。チェコ・フィルに興味があるそうだ。みんなで「きょうは授業ないんすかねえ」などと話していたのである。そうしているうち、そのマンションに入る人あり。扉が開いた。その人とともにマンションの中に入り、チェコ語教室をやっている部屋に入ると・・・・・ やっぱり授業はやっていたのである。マンションのマイクの調子(か、原因不明の理由かで)で、玄関からの呼びかけが、4階で聞こえなかったのである。教室の担当者は「たいへん申し訳ありません」 とあやまった。 このときこそポイント獲得のチャンス! ここで寛容な態度を示して好印象をつくり、「ツックルの人たちは感じがいいから、ひとつ雑誌も買いましょう」という方向にお集まりの皆さんの気持ちをもっていかなければ。 「私は全然気にしていませんよ。そんなこともあるでしょう」と早速、気にすんなよ攻撃で恩を売ったのである。あまり効果のある攻撃だとは思えないが、チェコ語教室の皆さんにいい印象を与えておかなければならないのだ。 教室が終わって、ナス・フレダノウでした。
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構想5年、実質的な作業に入ってから3年、思えば長い日々だった。きょう12日、とうとう、「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」の原稿を印刷所に渡したぜ。思えば自分にとっても、人生でもっとも興味深い時間だった。でも、これがゴールではないことは自分自身がよく知っている。わたしどもにとっても、このテト攻勢が成功するか、それが問題なのだ。歴史の教科書によると、テト攻勢は軍事的には大失敗で、甚大な損害をこうむったけれども、当人たちが企図していなかった政治的成功を収めたのだけれど・・・・。
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スロバキア人との交流イベントに参加。場所は西東京市。 朝、吉祥寺駅に待ち合わせ。同行のみなさんは、全員しらない人たち。スロバキアに興味を持つ人たちはどういう人たちなんだろう。チェコに興味を持ったか、チェコにかかわりがあってそこからスロバキアのイベントに参加、という流れの人が多いみたい。スロバキアという国はかつてチェコと同じ国で言葉も同じ、2国は双子のリリーズみたいな関係なのである。スロバキア人の皆さんは企業の研修できているのだそうだ。皆さんやはり酒が好きみたいだ。私もウォッカなどかなり飲む。 酒が入ったあと踊りましょう、みたいな話になって音楽がかかった。彼らがもってきた音楽(カセットテープかCDか、だと思う)がかかった。 かかった曲は欧米のポップスだった(たぶん、シーナ・イーストンだと思う)。案外、音楽のセンスがないんだな・・・・、というのが、そのときの偽らざる感想だった。もっと民族的な音楽がかかるのかと思ったのである。おいしそうなスロバキア料理の店だと思って入ったら、マクドナルドだった、というようなものだろうか。でもしょうがないか・・・。シーナ・イーストンが悪いわけじゃないし・・・。 そのあとチェコ文学者だという方のお宅にお邪魔し、書庫など見せてもらう。大きな書庫だった。私もチェコにかんする知識を総動員して皆と会話。 夜9時頃会が終わったので歩いて帰宅。真夜中の町を歩く。夜の10時頃、電柱を見ると「関町北」と書いてあった!北に向かって進んでいると思っていたら、いつの間にか南へ南へ、と進んでいたのである。今すぐUターンして、北北東に進路を取れ! だ!! 午後10時半、保谷駅通過。まだまだいける、というより、金がないから、電車賃だけでも節約しなければ・・・。午後11時、関越自動車道通過。ということは、いまだいたい新座市あたりを歩いていることがわかった。午前0時、朝霞台駅に到着。東上線にのって上福岡市まで。ご苦労様でした。
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あることでメキシコ音楽の本で連日、写真屋さん45、いろんな人に電話&メール。極めておおきな障害が、ここ数日の私を苦しめている。夜、御茶ノ水の写真屋さん45へ。夜の御茶ノ水は結構裏通りに人がいない。不気味な感じだ。そのあと神保町でアイドルのDVDなどを眺める(買わなかったけど)が、あんまり楽しい感じはしない。暗い気持ちで帰宅。
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曇り。来日中のチェコ人のガラス職人が帰国することになり、彼のお供をして、お買い物等を手伝うことになった。 渋谷で待ち合わせの予定が、寝坊して、待ち合わせ時間に大幅遅れ。ガラス職人氏たちは、待ち合わせのホテルにはいなかった。と、私の携帯電話がなり、ご一行様は吉祥寺にいると連絡が入った。井の頭線で吉祥寺に向かう。ようやく、チェコ人のガラス職人、これからチェコ語を習う教室のチェコ人の先生、それから日本人2人の計4人と合流。みんなでお寿司を食うことに。チェコ人のガラス職人氏から、自分がつくったボヘミアン・ガラスの写真、かわいいお嬢さんの写真など見せてもらう。皆にチェコの雑誌のことも話すが、いまいちよく理解していない様子だった。見たこともない男がやってきて、雲をつかむような話をしている、という印象を与えたみたい。 午後3時頃、吉祥寺の喫茶店でお茶。私はコーヒー、ガラス職人氏はビールを注文。明るいうちから、皆とお茶の時間に、ビールを注文するのは、私など抵抗があるのだが、なんのためらいもなく ビールを注文するのは、文化の違いだろうか? 面白い。(私があったチェコ人の男性は皆酒好きだった) チェコ語を習って、その過程をおもしろおかしく記事にするという宿題があるのだから、これからもチェコ人が参加するイベントにはまめに顔を出そうと思う。 午後6時20分から、高田馬場でチェコ語の初めての授業。生徒は女性が多い。皆さんヨーロッパ渡航体験があるみたい。ほかのヨーロッパ言語を習っている/習っていた、という人が多くて、発音もカタカナっぽくないあちら風に聞こえた。 チェコ語は、とにかくむず過ぎる! なにがなにやらさっぱりわからん。 高田馬場から上板橋まで歩いた。
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雨。連日のトッピング充実 メキシコ音楽タコスの写真問題で、御茶ノ水の写真屋さん45に通う。安齋さんのところにも行く。やることやまほど。
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昼間、トッピング充実! メキシコ音楽タコスの仕事。夕方、チェコ雑誌の皆さんのお食事会に出発。 チェコ雑誌の皆さんはなかなかグルメなのである。きょうはどういう料理か・・・・・・楽しみだ。お袋から金借りて恵比寿までいった。 チェコ雑誌の皆さんは皆いい人なので、会話も楽しい。ザビエルレコードの方も紹介される。午後11時、お食事会が終わった後、少し歩くが、新しいチェコ雑誌のことがやはり気がかりだ。その雑誌--------もう書いていいかと思うが、ツックルという名前なのだが--------やはり、実用的な名前ではないというハンディは否めない。ツックルとはチェコ語で砂糖という意味だそうだが、たとえば、書店員に「あのー、ツックルという雑誌が欲しいんですけど」とたずねてもそれが何の雑誌かわからなくては、書店員は捜しようがない。旅行書なのか、音楽書なのか、語学の雑誌なのか、広い書店のなかで、名前の知られぬ迷子になる可能性が高い。また、チェコという言葉でインターネット検索できないのも痛い。 けれどもそれでも、ツックルというタイトル案を支持したいのは、彼女たちがそのタイトルでやってみたいと強く望んでいるらしい(深い付き合いはないので、彼女たちそれぞれの心模様はわかりませんけど) からなのである。やりたいなら、そのタイトルでやってみたら? という感じなのである。どうせ人生は一夜の夢だ、やりたいことやらなくてどうする! って感じなのだ・・・ というようなことは全然考えてなくて、「金落ちてねーかなー」と下を見ながらかえりましたとさ。チャンチャン。
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9月26日 前日に引き続き、お台場のフィエスタ・メヒカーナにいく。天気はあめで、あまり人手よくない。ビールやタコス、テキーラなど食べる。雑誌は4冊売れたけど、そんなこんなで全然赤字。でも、食事はしたし、まあいいか・・・。やはりというか、当然というべきか、メキシコ人がたくさんいた。夕方、ショー始まる。メキシコ人はみんなで大合唱。おなじみの曲がかかると、待ってましたと歌いだす。 中南米マガジンを売ってくれたブースの人は、埼玉県小川町にお住まいだそうで、帰りは上福岡まで車に乗って送らせてもらった。レインボーブリッジから池袋で高速を降りて川越街道へ。道中でお互いの身の上話。
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朝早く、フィエスタメヒカーナに参加のため、お台場へ。早くきすぎたためやることがなく、会場内をブラブラ。開店していないブースをみてもしかたがないので、ボンヤリとレインボーブリッジなどみていた。その後、係りの人がきて打ち合わせ。会場のブースで雑誌を売らせてもらう。ブースは、とあるアクセサリー屋さんのもので、中南米のアクセサリーなどといっしょに雑誌を売らせてもらう。私は売り子としてずっといようと思ったが、そのアクセサリー屋さんが、「私がうるから、あなたはずっといなくていい」とありがたいお話。失礼して、「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」の仕事のため、飯田橋に向かう。
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トッピング充実! メキシコ音楽タコスの著者の一人、アルフレッド大山さんと恵比寿のリンコン・デ・サムで会食。大山さんにも頼みごとをしたが、快く引き受けてくれた。ありがとうございます。店主のサムさんにもごあいさつした。それから、歌舞伎町のパラダイス山元さんのイベントに参加。雑誌も売った。
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メキシコ音楽の本のことで上野清士さんにちょっとした頼みごとをした。 この日はそのことで上野さんと会う。会った場所は池袋北口の喫茶店「伯爵」。 上野さんは頼みごとを快く引き受けてくれた。ありがとうございます。 それから横浜へ。
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熱烈歌劇第2号完成の日。早速神田神保町〜銀座〜新宿〜高田馬場に配達した。
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バイトの日だった。朝、川口駅に集合。そこからバスに乗る。国際興業だった。 コージーコーナーの工場だった。工場内はルイスやフェリペといったラティーノも多い。すぐお菓子売り場に配属。クリーム、チョコレートなどがたくさん入った鍋を違う鍋に移し変え、熱湯をかけて洗う。洗い終わるとすぐつぎの鍋がやってくる。鍋は重いし、お湯まみれになるきつい仕事だった。 5時であがらせてもらう。工場からでるとあいにく外は雨。しかたなく国際興業のバスに乗って、川口駅までいき、京浜東北線で帰った。
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この間、「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」の作業。簡単に見える作業がどうしてこんなに時間がかかるんだろう・・・。とうとう完成だと写真原稿を入れた箱を開けたら、写真のうち何点かがないのである。なぜ? どうして??? いくら捜してもない・・・。必要でないときは、箱は開けず、紛失しないように気をつけていたつもりなのに・・・。写真原稿は、著者等から借りていたものだが、長時間かりているのは悪いので、写真屋で写真のコピーをとってもらって、原本は返却していたのである。つまり、私はコピーをもっていたのだが、そのコピーの何点かがないのだった。 そこで可能性は二つ。原本を紛失したのか(原本は確かに借りたので)、原本をコピーし忘れたまま、原本を返却したか・・・。後者の場合は、もう一度、貸してもらえばいい(それも恥ずかしいけど)、前者の場合は、人から預かった品物を紛失してしまったので、もう言い訳のしようがない。 貸してもらった人に尋ねればいいのだけれど、その勇気もなく、悶々としながらすごした。あるとおもっていたものがないということで数日この問題にかかりきり。本当、本を作ることなんてできないんじゃないだろうか・・・
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吉祥寺ののまどで、アマゾン河くだりをやったフリーライターの坪うた。坪井さんのイベントがあった。雑誌を売らせてもらう。結構人もきてよかった。会が終わると、すごい雨だった。「トッピング充実! メキシコ音楽タコス」の作業。家に帰る電車賃がふじみ野(うちの最寄り駅の1つ手前)しかなかったので、ふじみ野からびしょぬれになりながら帰った。
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いい天気だった。五反田でキューバ映画の試写会にいった。それから、土方さん、上野さん、上野さんの友人、米川さんたちと近くの喫茶店でお茶を飲んだ。駅前でみんなと別れる。それから恵比寿まで歩き、たこ焼き屋で夕食。中南米マガジンも買ってもらう。
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朝、吉原のホテルで起床。きのうの興奮がまださめやらない。朝の吉原というのは、なんだか変な感じ。よびこみの人だろうか、黒い服の男とすれ違う。 自宅に帰って中南米マガジンを抱えて夕方から渋谷のチャランガ・アバネーラのコンサートで中南米マガジンの販売。 ところでロビーには村上龍さんがいたけど、VIP席でドデーンと構えていればいいものを、ロビーをウロウロしていて、入りを心配しているみたいな感じ。(ちなみに会場は満員でした) 案外いい人なんじゃないかという感じを持った。話したわけではない印象批評なのだが・・・。 26日にあったグリオレコードのかわいい女性やアオラの皆さんにもあいさつ。すずきさんもきてくれた。雑誌も結構売れる。愛想がいいのは11万円効果だろうか。すずきさんがつけてくれた記録によると、1号1冊、6号1冊、8号2冊、11号1冊、13号2冊、14号1冊、15号8冊売れた。終わったあと、渋谷のサブウェイですずきさんとサンドウィッチを食べた。わたしがご馳走した。
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(嵐のような一日だったぜ) 日中、飯田橋のレフでメキシコ音楽の音楽の本の作業。終わって東上線で帰宅。夕方、ふじみ野駅に電車が到着する頃、突如私の携帯が鳴った。とある定期購読者が「めしをご馳走したい。今すぐ来い」というのである。どこで? と聞くと、浅草とのことであった。そこで、急遽Uターンし、浅草に向かった。 浅草に着いてしばらくまっていると、件の人が現れた。 その人のことを仮にミスターXと呼ばせていただくが、彼は、タクシーに乗ろうという。タクシーに乗ってしばらく走った後、着いたのが向島だった。高級そうな料亭の前に着き、のれんをくぐる。高級官僚とか政治家(小沢一郎とかいってた)がよくくる店とのことだった。ミスターX氏のいきつけの店だった。ミスターX氏の注文で料理が運ばれてくる。キンメダイ、まつたけ、冷えたお酒などなど。乾杯の後、お互い、身の上話を始めた。ミスターX氏は古いニューヨーク・ラテンがすきとのことだった。マチート、ティト・ロドリゲス、ティト・プエンテ、ペレス・プラードのレコードを収集しているそうだ。わたしも中南米マガジンを創刊することになったいきさつや、会社を辞めたこと、メキシコ音楽の本のことなど話した。ミスターX氏は中南米マガジンをとても評価してくださって、私にも過分な評価をいってくださる。私はこれからのラテンをしょってたつ存在だとまでいってくれた。いえいえ、わたしはそんな立派な人間ではないですよ、といったら、謙遜するところがまたいいというのである。 適当に食べると、今度は2次会に行こうという。お店にタクシーを呼んでもらって、店をでた。タクシーの車中で、「これは少ないが、これからの活動に役立ててくれ」といって、10万円をくれた。そして「これからは身だしなみも大切だから」と、高級そうなシャツも3着くれた。 タクシーは浅草の雷門の前で止まった。雷門の前にソウル・バーがあって、そこにいこうという。ミスターX氏もはじめていく店だったが、「金安さんと会食できて、いくきっかけができた」という。ビール、おつまみなど注文(ところで、いままでとこれからのすべての食事代、タクシー代は全部ミスターX氏が払ってくれたのである)。ミスターX氏は最近大病をして、手術跡を見せてくれた。だから、いつまでいきられるかわからないから、有意義なことをしているひとに、お金をつかってもらいたいのだと。 もう遅いので帰りたいというと、知り合いにホテルを経営しているやつがいて、そいつのホテルに泊まっていけ、もう予約しておいたから、というのである。なんでも風俗嬢が宿泊のために使うホテルで、吉川エミリさんもとまった由だ。ソウル・バーを出て、吉原の方に向かって歩く。吉原の方に目指すホテルがあるのである。 ところで、ミスターX氏は何をしているどういう人なのだろう? くわしく聞くことはしなかった。聞くことで相手にいやな思いをさせることを恐れたし、いきなり圧倒的な感動がわが身に押し寄せてきたので、気持ちの中がそれどころではなかったからである。 吉原につくと、近くにコンビニがあった。「入ろう」とミスターX氏はいう。店内に入ってスタミナドリンク、ペットボトルのウーロン茶、おにぎりなど計約4000円購入。「栄養をつけなければだめだ」という。目指すホテルにつくと、あれだけじゃすくないからと、また1万円くれたのである。 すさまじい感動だった。会社づとめのころは、何十万円というボーナスをもらって、それでも「ちぇっ、すくねえな」と悪態をついていたのに、11万円で一生忘れられない感動を感じるなんて? でも金額ではないのだ! めくるめく興奮を感じて床に就いた。
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チャランガ・アバネーラの公演で中南米マガジンの販売。場所は川崎のクラブ・チッタ。夕方いくと、アオラの社員さんがいた。彼らと世間話。グリオレコードの社員さんもきていた。以前わたしが電話したときに応対してくれた女性にも挨拶。かわいい女性だった。途中からすずきさんもきてくれた。結構雑誌売れる。ペルー人たちがたくさんきていた。川崎はペルー人の多いところだが、どういうつながりでくるんだろ・・・。終わったあと、駅前のスターバックスですずきさんと1時間くらい話した。
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バイトの日だった。場所は戸田。ドンキの倉庫で商品を箱に詰める仕事だった。9時から5時まで。そんなにきつくなかった。楽勝でもなかったけど・・・。終わったあと、和光市まで歩いた。帰宅してサッカーのアジアカップ観戦。
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夜のバイトの日だった。夜11時から仕事。場所は川崎だった。大手コンビニチェーンの惣菜工場。茄子を大きな機械に入れる。それが油で揚げて出てくる。適当な量がたまったら大きなトレイに入れてたれをかける。それを車に置き、冷蔵室に運ぶ。そのくりかえし。 熱い仕事だった。しかも重い。きつい仕事だった。熱い仕事場から寒い冷蔵室へ。そしてまた熱い仕事場へ。また寒い冷蔵室へ・・・。冷蔵室に入ったとき、なぜか出口のドアが開かなかった。思いっきり引っ張っても開かない。その間、10秒ぐらい。ホント、あせった。でも何度か取っ手を回したら無事開いた。 5時ころやっと休憩。 休憩があけると職場の掃除。ゴミを集めて台車にのせ、外のゴミ捨て場に出す。ドアを開けるとそとはいきなり朝だった。寝不足の目に朝の陽が痛い。7時仕事終わる。その足で溝ノ口駅まで歩き、横浜へ。横浜駅の喫茶店でモーニング食べる。そのあと中華街→厚木へ。
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昼間、熱烈歌劇誌のオーナーから電話。 彼女が語るに、熱烈歌劇誌の2号が自宅に届き、定期購読者に発送しようと箱を開け、新刊を見たが、写真の印刷が悪い、これでは発売することはできない、全冊、すりなおししたい、というのである。 すりなおしは何十万円もかかるけど、しかたがない、1週間後に店頭販売の予定だが、延期させてほしい、それが彼女の話であった。(定期購読者に優先的にお届けするため、店頭販売の1週間前に新刊がオーナーの手元に届くのである) 「何十万円も損するのに、よく決断しましたね」と私はいった。役者相手の雑誌だから、その決断もしかたがないが、これでは第2号は完売しても赤字決定。もったいな〜い。 なぜ写真の印刷が悪かったのかというと、オーナーは関西に住んでいるが、印刷やデザインは東京でやっていて、オーナーは製作のたびに上京していたのである。写真は彼女が紙焼きプリントをデザイナーに渡して、直接製版していたのだが、それでは大変だというので、写真はCDに焼いて、それを印刷会社に渡そうという話になった。その際、直接紙焼きプリントを製版するのと、データ化したそれを製版するのと、写真の仕上がりに違いはないのかと確認したが、デザイナー氏は問題ないといったので、印刷会社にCDをわたした。そこで仕上がりを見たら、よくなかったということだった。 素人のわたしからみたら、それほどひどい写真とは思えなかったが、とにかく、オーナー氏のイメージは違うできになってしまったのである。 こんなことを書くのも、オーナー氏は2チャンネルとかいうインターネットの掲示板でさんざんに書かれているので、彼女は結構苦労していて大変だということをちょっとみなさんにご紹介したいからである。
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終日、中南米マガジンの配達&集金。電話したりFAXしたりメールを送ったり。夕方、新宿のタワーレコードへ。山田広野監督のイベントにいった。山田監督は中南米マガジンのこともおっしゃってくれて、山田監督のファンが中南米マガジンをたくさんかってくれた。ありがとう。終わったあと、渋谷さんとマクドナルドで会食。そのあと、北池袋まで歩いた。
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日曜日。いい天気だった。暑かった。川越にコラソン・デ・メヒコの公演を見に行く。
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15号完成の日。神楽坂→飯田橋→神保町→渋谷へと配達&集金。渋谷のインタースペイン書店で、オリーブオイルを2本いただく。ありがたい。そこから阿佐ヶ谷→新宿の模索舎。模索をでてしばらくすると・・・。オリーブオイルが1本、振動で割れてしまっていたのだ! 15号の数冊がオリーブオイルまみれに。 しかたがない・・・。そこから神楽坂→高田馬場へ。お疲れさん。
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夕刊フジの取材を受けたぞ。昼の3時、池袋 で待ち合わせ。取材者のフリーライター氏とは面識があり、しばらくぶりの再会だった。昔話に花が咲く。ビールを注文。結局5時まで話した。その後用事で都内某所へ。深夜帰宅。スペイン語会話見る。今年のスペイン語会話の先生はあまり感じよくない。会ったこともない人で、画面を通じて の印象なので、ただの勝手な批評ですが・・・
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きょうは、延びに延びた15号の印刷所入れの日。暑い日だった。朝から出力センター、印刷会社、安齋さんとこなど駆け回る。1時30分ころ、無事入れる。その足で神保町の新世界レコードへ。チェコ雑誌のことで新世界レコードの社長さんと作戦会議だったのだ。 約束の時間よりかなり遅れて到着。皆に謝罪した。いろいろチェコ雑誌について話し合う。チェコ雑誌は、とあるチェコ語の言葉がタイトル候補として上がっていて、その名はチェコ好きガールズらしいセンスのいい、かわいらしい語感のあるものだったが、日本人にはまったく意味のわからない言葉なのである。社長は的確にもそれを指摘して、「チェコ」とか「プラハ」をタイトルの一部に使ったほうがいいというのだった。 たとえば「プラハの春」とか、「チェコの友」とか、そんなイメージだろうか・・・ 話が終わった後、チェコ好きガールズの皆さんは新世界レコードの店内でお買い物して、高ポイントを獲得。店内の出てとある書店であいさつの後、喫茶店でお話しした。タイトルの件だが、結局、金を出す彼女たちが決めることで、最後は自分の感性を信じるしかない、というようなことを私は述べた。 実は私は彼女たちよりかなり年長者なので、アドバイス役というポジションにどうしてもなってしまうのである。 話が終わったあと、神保町から徒歩で帰る。途中、後楽園球場前で、突如球場の門があいて、ロールスロイスやベンツやセドリックがたくさん出てきた。ガードマンがでてきて、巨人の野球帽やらメガホンをもった家族づれをそこのけそこのけとどかして、どでかい高級車が何台もでてきたのである。どんなじいさんが乗ってるか知らないが、今の野球界を象徴する光景ではないだろうか? それから北池袋まで歩く。
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私のメキシコ現代史講義の日。しかしだ。この日は15号の印刷所入れの日なのである。なんとかがんばりたい。昼間いっぱいその仕事で追われる。やることやまほど。 それが終わって夕方会場に着く。ここ2か月ばかり、この講義の準備のため、図書館に通って勉強していたのだ。 上野清士さんも聞きに来てくれた。 上野さんはとてもいい人だが、お付き合いがマメなところがいい人だと思う。私ごときの講義なんて、わざわざききに来ることもないのに、きてくれてとてもうれしかった。 メキシコ現代史の中でもっとも苦手な部分が質問されるんじゃないかと思って、その部分をずいぶん勉強したつもりなのだが、その部分は質問されなかった。 苦手な部分は累積債務問題だった。 ビリャやサパタの逸話も小話的に使おうと思ったが、うまくいかなかった。 講義がおわったあと、みんなで飲みに行ったが、別に講義について質問されることもなく、ぼーっとしていられた。考えてみればチェコからメキシコへと、脳内世界旅行をこの間繰り返していたのである。メキシコ現代史について考えるのは当分やめにして、しばらくは巨乳ギャルのことでも考えていよう・・・
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チェコ雑誌をつくる計画が進行中だ。夜、そのスタッフの皆さんと会食。場所は銀座。 チェコ雑誌をつくるスタッフの一人がチェコにいっていたそうで、皆にチェコ土産をくれた。私もお土産をもらう。 スタッフの一人はチェコのポップスにくわしい女性で、川越女子高校出身だとのことで、話がもりあがる。 雑誌のあり方についても議論があった。意見を求められたので、今、目の前に二つの道がある、一つは本格的雑誌経営の道で、大規模な投資をして、ハイリスク覚悟で危ない勝負をするという道。大きな借金をしなければならないし、昨今の出版不況をみれば、かなり厳しい道といえる、もうひとつは自分たちが使える資金と余暇の範囲内で雑誌をつくるというもので、したがってその条件なりのつくりになるが、大きな傷にはならない、というようなことを述べた。 私もスタッフのひとりにいれてもらって、9月からチェコ語を習うことになった。お願い状のような書類をいただく。こういう書類がさっさとでてくるのは、さすが女性で、私たちなら「適当にやってよ」と口頭ですませるところ。彼女たちはすでにホームページももっていて、チェコ語も堪能。チェコ好きの人たちが集まる市民団体でもご活躍で、もうチェコ好きの皆さんのあいだではそれなりに知られた存在なのだ。わたしたちの創刊のころよりよほどしっかりしていて、偉そうに意見をいっている自分が恥ずかぴい。 考えてみればコララテさんといい、チェコ好きガールズといい、まじめで能力もあり、語学に堪能で現地での生活体験もあり、チャレンジ精神も旺盛な女性というのは、知的刺激を受けて、話して面白い。男同士だと、スポーツねたやしもねたばかりで、それも気楽で悪くないが、頭のいい女性たちに「なるほど!」と思わせるのは知的爽快感にみちた体験だ。
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ある人と池袋で会食。池袋で待ち合わせて高級そうな店に入った。その女性は中南米マガジンを8号から全部買ったそうで、すばらしい。終電まで飲んでわかれた。
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バイトの日だった。天気は晴れ。暑かった。朝早く、赤羽の駅前に集合。国際興業のバスに乗って目的地に出発した。(ところで、私は国際興業バスのうす緑色が大好きで、国際興業バスに乗るときはいつもわくわくするものだが、皆さんいかがですか?)バスを降りて、川沿いの石鹸工場に向かう。場所はたぶん川口市だと思う。仕事は流れ作業でやってくる石鹸がおかしいものがあれば、取り除くという仕事で、超楽勝だった。昼休みの午後12時55分、午後の仕事にそなえてトイレにいこうとすると、その持ち場の責任者から激しく叱責される。仕事が始まったばかりにトイレにいくとはなにごとだ、というのである。その会社は、午後12時55分が午後の始業時間なのだそうだ。「あんた、クリスタル?」といわれた。派遣の親会社のことをきいているんだろう。「いえ、○×◇です」と正直に答えた。(このチビはいったい何がいいたいんだ? 告げ口でもするつもりなのか)と思ったけど、とりあえず、その場は何もなかった。3時から職場がかわり、大きな倉庫にいかされた。非常に大きな袋があり、粉石鹸が入った箱が大量に置いてあって、箱をあけ、大きな袋の中に粉石鹸を入れる。いっぱいになったら、袋をしめて、フォークリフトがやってきて、それを奥にしまって終わり。それのくりかえしだった。すごい粉塵の中の仕事で、きつかった。そこの親分は女性だった。小柄で、皆に指示を出すのならそれなりの年齢なのだろうが、中学生ぐらいにしか見えない。アイドルみたいだ。たとえば、小倉優子がテキパキと周囲に指示をだしている図といえばなんとなくイメージがつかめるだろうか。「ゆうこりん」はやさしい感じの女性で、2時50分になると、「みんな疲れたでしょう。ちょっと早いけど、もう休みましょう」といってくれた。(でも姿格好は西村知美に一番似ていると思う)午後5時仕事終わる。ここからが肝心だぜ。帰りはバス使うのもったいない。川口市は、はるか遠くからでも見ることができる高層マンションがある。はるかに聳え立つ高層マンション目指してあるけば、そのすぐそばに川口駅がある。川口駅目指して、命の炎燃やそうぜ!
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やったぞ! サンディエゴから中南米マガジンの大量注文だ!! ほかに在日キューバ人ミュージシャンインタビュー記事がきたり、忙しくて希望に満ちた日だった。
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鈴木さんと一緒に、新世界レコード社の社長と飲んだ。場所は神田神保町。社長はその日、歯の治療をしたとかで、本当は体調がよくなかったらしいけど、付き合ってくれた。酒代2000円だった。
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晴れ。暑い日だった。安齋さん、山大と上野清士さんのお宅にお邪魔し、メキシコ本の表紙について、資料を貸してもらう。駅前のイトーヨーカドーでお礼のフルーツを買う。上野さんはいい人だった。奥様にも挨拶した。めずらしいメキシコの資料など見せてもらう。
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吉祥寺にのまどという旅の本屋がある。そこで月1くらいでトーク&スライドイベントをやっている。友人の旅行ライターを9月ののまどのトーク&スライドイベントの報告者に推薦したので、彼(坪井さんという、アマゾンを漂流した経歴を持つフリーライターだ)とふたりで吉祥寺ののまどにいった。のまどの店員の方、私、坪井さんの3人で懇談。坪井さんは、自分の経歴をまとめた冊子を持ってきて、簡潔に自分の仕事実績を話していった。やはりというか、当然というか、経歴をまとめた冊子というものは、よくフリーの仕事をしている人は持っている。途中から店長の川田さんもきて、しばらくみんなで世間話。川田さんは、比較的最近のまどの店長になられたのだが、それ以前のお勤め先の頃からHPを持っていて、そこに日記を書いていた。川田さんは当時も書店員で、大手の書店にお勤めだったから、私はまだ見ぬ川田さんを頼りにその書店に営業にいったものである。1回か2回ぐらいいっただろうか・・・。2回とも川田さんはいなかったがそれも道理で、私はいつも夜にいったのである。当時は勤めの関係で、夜が、一番時間があいたのだった。夜、高速道路沿いの書店の中の喫茶店で、私は一人コーヒーを飲んだ。そして3回目ぐらいに書店をたずねると、川田さんはその書店をやめたと聞かされたのである。ところが、それからしばらくして、のまどに中南米マガジンを配達にいくと、なんと店長が川田さんに代わっていたというしだい。いろいろお世話になってるんだから、私もイベントの成功にがんばりたい。
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バイトの日だった。9時から5時まで仕事。パイナップルを熱湯につけるという仕事だった。パイナップルは虫がついていることがあるので、熱湯に一度ひたすのだという。パイナップルを箱から出すのが午前中、午後は熱湯にひたす。パイナップルはフィリピン製だった。
熱い仕事だった。一緒に仕事した人に「お仕事は?」と聞かれたので、いろいろ説明するのが面倒くさいし無職というのはなんとなく気が引けたので「自営業です」と答えた。(こうした偽りの職業説明で愛用するもう一種類のウソは「著述業です」というのがある)
終わったあと、メキシコ学勉強会の日。土方さんの講演の日だった。 |
ある旅行ライターが「旅行ライター同士話し合う会」というのを開くというので行った。場所は新宿。アイリッシュパブだという集合場所のお店はナンパスポットとして有名だそうで、私はあまりいい感情をもっていなかったのだが、はじめていってみると、白人ばかりなのを除けば普通のお店だった。様々な旅行ライターの人たちと懇談。雑誌も結構買ってくれた。中南米マガジンのことでメールのやり取りをしたあるライターともはじめて会う。夜、六本木のボデギータで日本人2人とキューバ人2人の4人で会食。当日はサンテリーアのイベントだった。部屋を真っ暗にして、キューバ人のダンサーが激しく踊り狂い、恍惚状態になる(という演技をしているのかもしれないが)だしものはとても面白かった。しかしだ。5000円払ったのはいたかった。それだけのお金を払う価値のあるものだということはわかってるけど・・・。イベント2件と電車賃などできょう1日で1万円つかってしまった・・・
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| チェコの雑誌をつくりたいという人たちから手紙をもらった。そこでこの日、安齋さんの事務所でチェコ雑誌発刊希望の皆さんと会うことになった。 これでも私はチェコという国に強い興味があり、彼の国のことはよく知っているつもりなのである。 実は私はガキの頃、意味もよくわからずマルクス、クラウゼヴィッツ、キッシンジャーといった人たちの著作を読んだことがあって、彼らの著作の舞台となった東欧諸国への興味を異常にかきたてられたことがあったのである。そのなかでもチェコはその「イジメられっ子」の歴史ゆえに、私の脳内で大ヒットを記録したのだった。 「イジメられっ子」。それが私のチェコに対する興味の核心だと思う。 こういう興味の持ち方をする人は案外多いのではないだろうか。侵略され、迫害された民に強く同情し、その人たちをもっと知りたいと思ううちにその文化や風俗に関心を持つという興味の流れだ。 たとえば隣国のポーランドも受難の民だが、彼らはかつて大国だったこともあるし、彼らが一時亡国の憂き目にあったのは彼らの自業自得的要素が強い。チェコは落ち度がないにもかかわらず、つねに隣国のイジメに苦しめられていた(そして当時の有名人だったドプチェクとかチャスラフスカヤとかザトペックとかが、悲しい逸話に満ちた生涯を送っていることもあって)だけに、チェコを東欧諸国の中でも共感と強い好奇心の目で見ていたのである。 しかし、いくらピルゼンビールを飲んでも、ポーランドの映画を見ても、アンドリッチの小説を読んでも、「それでどうなる?」という問いを拭い去ることはできなかったから、虚しさは残った。 「チェコはイジメられっ子だったから好きなんです」といわれても、チェコに興味を持つ多くの人の頭脳は「?」マークだらけになってしまうだろう。チェコ雑誌を作りたいといっている人たちの興味の方向性とも全然違うのである。だからそのことは詳しくは話さなかったけど、思ったより、チェコ雑誌を作りたいといっている人たちの感覚は柔軟で、チェコの知識も相当あり、雑誌を作りたいという気持ちも昨日今日の思いつきではないことがわかった。 彼女たちが去った後、安齋さんと「今時新しいことやろうなんというのは、みんな女性だね」などと世間話。それから、池袋まで歩いた。 |
| とあるコロンビア人美女を求めて横浜へ。当日、京浜急行のとある駅ですずきさんと待ち合わせた。私は先について、ラーメンを中華料理屋で食べた。天気はいいしすこし暑い。すずきさんといっしょにコロンビア人美女に会う。いい娘だった。取材終わった後、横浜駅へ。地下のエクセルシオール・カフェで遅くまで話した。 |
| 企画会議やった。場所は飯田橋のレフ。6人集まった 面白かった。 |
| 友人がペルー音楽について、講演するというので、聴きに行った。場所は青山。いい講演だった。終わったあと、なんとなくさびしかったので、すぐ表参堂から地下鉄にのって帰った。 |
| バイトの日だった。戸田の製本工場にいった。朝8時半に出社。いい天気だった。5時まで仕事。 |
| 夜、ロベルト杉浦さんのコンサートを聴きに行く。山田監督の映画もあってよかった。 終電で帰宅した。 |
| 朝、台東区からバックナンバー全部の注文がある。ラッキー! 夜、中南米マガジン軍団の一人がある雑誌の編集長になるというので、その創刊イベ ントに。場所は牛込。 日本人のソンのバンドが演奏していて、聴く。バントの名前はメルカディート。ブー スをひとつ貸してもらって、雑誌もうる。 隣のブースの青年と世間話。清瀬市在住だというその青年は起業家を目指すそうだ。 イベントの最中、ちょっと失礼して、ちかくの喫茶店で仲間と打ち合わせ。 イベント終わる。雑誌1冊売れていた。。 |
| 朝、名古屋の金山のカプセルホテルで起床。喫茶店でモーニングの朝食。まず名古屋駅前のジュンク堂へ。反応いい。次は栄の紀伊国屋へ。ここも反応GOOD。お昼、中央線で帰宅しようと帰宅路変更。中津川へいく電車に乗った。とっさの判断で(というよりきまぐれで)山沿いの道をいくと楽しかろうと・・・。途中から車窓は山あり谷ありに。中津川からディーゼルの松本行きに乗車。缶入りチューハイ、いかのくんせい等購入。夕方、松本着。松本城など観光。松本→甲府→高尾→西国分寺→朝霞台→歩いて柳瀬川へ→上福岡という経路で帰宅。 |
| きょうは帰る日だ。尼崎から普通列車で出発。ところがだ。大阪→奈良→三重→愛知と進めば早いんじゃないかと思って急遽天王寺から関西本線を東に進むことにした。しかし、列車の接続が悪いうえに途中単線ときてるから、非常に時間がかかる。途中雪が降ったりして旅の風情を味わったけど、名古屋に着いたのは夜。メキシコ料理店で夕食を食べて、金山のカプセルホテルで就寝。 |
| 朝、尼崎を出発。関西各地で営業活動。夜、京都市伏見区へ。とあるキューバ家庭料理の店で中南米マガジンの定期購読者と会食。待ち合わせの竹田駅というところにいく。商店街もないさびしい駅。グリコ・森永事件の犯人がでてきそうな闇がひろがる、ダークシティだ。待ち合わせからしばらくして、私を含め4人が揃ったので、タクシーにのって出発。
タクシーはすぐ幹線道路に入り、そこはお店などもあるにぎやかな通りみたいだ。車の交通量も多い。しかし、京都特有の雅はない、ダサい町並みだ。マクドナルド、デニーズ、高速道路・・・。典型的な日本の中小都市って感じ。 タクシーはお店に到着。お店を紹介してくれた人と、適当に料理を注文する。ラム酒、おでん(キューバ料理の店だけど、メニューにあった。おいしかった)、お店を紹介してくれた人(Aさんとでもいおうか)は、葉巻を注文。葉巻はけむりがあまり不快でない気がする。日本のたばこはちょっとでも煙いとそれだけで体がかゆくなるのに、葉巻はそういう症状はない。 「キューバの葉巻は化学物質が入っていないからですよ」とAさん。 10時ころ、店を出て帰宅。帰りの新快速でAさんと世間話。Aさんは、スペイン語も上手だし頭の回転もいい。いい意味での要領のよさを感じる人物だ。しかし、私のみるところ、その能力を充分いかせる仕事なり目標なりにめぐり合っていない気がする。ふと、昔、会社で一緒に仕事をしてた同僚を思い出す。彼もそんなやつで、私よりはるかに仕事のできる、要領のいい(いい意味でね)やつだったっけ・・・。 |
| 朝、元気よく尼崎を出発。まず梅田のジュンク堂へ。熱烈歌劇とメキシコ音楽の本の営業。反応はいい。やはり熱烈歌劇の売れ行き良好が利いているのだろうか・・・。熱烈歌劇は残1冊だ。次は梅田の旭屋書店へ。担当者に会う。やはりここも反応よし。御堂筋線に乗って難波へ。ジュンク堂難波店に営業。ここも反応はいい。熱烈歌劇は2回追加注文をしたそうだ。その後、地下鉄から京阪電車に乗って門真市の定期購読者のお宅へ。午後2時、阪急西宮駅へ。浪花さんと待ち合わせて宝塚へ。 宝塚は初めていくけど、巨大なテーマパークのようだ。街全体がおとぎの国のよう。パチンコ店と大型マンションが興ざめだが・・・。熱烈歌劇を置いている宝塚ショップと中南米雑貨の店にあいさつした。 |
| 早朝、関西旅行に出発。「青春18きっぷ」を使うから、普通電車の東海道線でゆっくりいく。 お昼、浜松で下車。読者の一人と昼食を食べる。浜松は、町のどこからでも見える高いビルがあるが、あれは何のビル? てなことが話題に。その後、名古屋で下車。取材。夕方、名古屋出発。夕方から夜にかけて疾走する電車。岐阜を過ぎると客はまったくいない。銀河鉄道999みたいだ。夜、尼崎の友人宅に到着。友人は食事も作ってくれ、風呂にも入れという。かたじけない。 |
| 明日から関西に旅行にいくので、その準備の日だった。いろいろ用事かたずける。 夜、母の友人が「話がしたい」というので自宅で会う。会話の内容は秘密。ま、私も各方面 から心配されているということでしょうか・・・ |
| 昼、映画「アドルフの画集」を見る。私はヒトラーという人に結構興味があって、期待をしてみにいった。しかし、私としては、なんとなく甘い映画という感じがした。 この映画は「人間としてのヒトラー」を描くことで、彼が浮世離れした怪物ではないことを描きたかったんだろうが、その結果、ヒトラーが状況に流されてナチス党員になっていったような印象のある映画だと思う。私がイメージするところのヒトラーはもっと意志的に悪の道に入ったのじゃないかとおもう。しかし、私はヒトラー研究の専門家ではないし、現実は、この映画のように彼の人生や考えに周囲が与えた影響はいわれるより大きかったのかもしれないが・・・。 |
| 夜10時、パラダイス山元さんのイベントで中南米マガジンの販売。場所は歌舞伎町。 夜、会場に着く。パラダイスさんのCDやグッズとともに販売。 パラダイスさんはいわゆる芸人的な謙虚さのある人で、いろんなことをよくご存知なのに、知識をひけらかすところもなく、「バカな人」を演じているところがある。そういうところが、いい人だなあ、と思うところだ。この日も販売を快く販売をOKしてくれた。 販売していると、早速背広姿の紳士が登場。待ってました!前回のパラダイスさんのイベントで、バックナッバーを全部買ってくれた気前のいい旦那なのだ。今日も来てくれ!と再会を祈っていたのがわかってくれたのか、この日も販売ブースにやってきてくれた。「私が買ってから販売されたものはどれ?」といって、前回以降の中南米マガジンを買ってくれた。しかも熱烈歌劇も創刊号、創刊準備号と買ってくれたのである。期待に答えた先頭バッターがいきなり2700円をかっ飛ばしてくれた。 それから、コート姿の女性が登場。名刺を交換した(雑誌は買ってくれなかった)。名刺には「パフォーマー OX」と書いてあった。コートを脱ぐと若干肌が露出気味の素敵な衣装が目の前にあらわれた。見事な脱皮を遂げたパフォーマー嬢は鞄から黒いはえたたきみたいな棒を取り出した。ムチだ・・・。その姿で、トカゲみたいにペロペロ舌を出し、会場の客と記念写真を撮るパフォーマー嬢だった。会場には関西からきたというDJもいた。午前4時、疲れたDJが販売ブースに休みにきた。鞄からなにやら取り出し、口にあてた。しゅっ、しゅっ。喘息用の噴霧器なのである。体に気をつけてね・・・。 朝、みんなお疲れ。朝の歌舞伎町で解散。カラスがたくさん鳴いていた。DJ氏はまた午後4時から仕事だという。 |
| 土曜日だというのに朝からすることもない。冷蔵庫も開けたが、食べるものもない。でもこういうとき、実家に住んでいるっていうのはいいね。なんだかんだといっても食材はあるもの。まずごはんをたいて、近所のイトーヨーカ堂にいき、パックに入ったキムチを購入。炊いたご飯の上にのせてたべる。キムチ丼だ! お好みで生卵、納豆、きざんたニンニクをトッピング。これが進化すればビビンパになるんだろう。あとビールがあればとりあえずOKかなと。あ、ビールじゃなくて発泡酒ね。 |
| とりあえず、何もすることがない一日だった。朝から寝てた。昼、おきてコーヒー沸かす。テレビのニュース番組を見た。NHKBSの海外ニュース。夕方もニュース。夜もニュース。もうすぐスーパーボウルだというのに、最近アメフトってやつに全然興味がない。前はアメフトが大好きで、この季節はビデオに録画とかして楽しみにしていたのに・・・。イラクの侵略以降、アメリカの粗暴な面がすっかりイヤになってしまったのである。アメフトも選手が勝ったあとヤクをやってるみたいに大喜びするし、いかにもアメリカンだ。アメリカではフレンチフライをフリーダムフライに名前を変えたそうだが、おれもお返しにアメリカンコーヒーを飲まないことにしたよ。 |
| とあるイベントに出席。場所は市ヶ谷。会費が5000円だったので、参加を断ったけど、2500円でいいから受付をやってくれといわれたので、早めにいって会場設営を手伝ったりしたりしてポイントを稼いだわけ。受付してると早速、キューバの有機農業ファンのおばさん登場。埼玉県にお住まいで、キューバの有機農業イベントでよく見かける顔。お友達3人も連れてきた。合計15000円也。それから国会議員、旅行代理店の社員数人などが続々やってきた。続いて最近、ベネズエラのチャベス大統領の演説集を出版された版元の社長さん。思ったより年配の方で、宅急便で送った本を会場で売ろうと、「送った本どこですか?」と捜してらした。そして受付で長々と世間話を始めるおじさん。「いやあ、○×ちゃん元気、きょうは盛況だねえ。そういえば最近こんなことがあってねえ」などと受付の女性に話しかけてる。後ろでは受付をすませようと人がならんでるのにお構いなし。困ったものだ。そうこうしているうちに、最近キューバの有機農業についての本を2冊出版された築地書館の社長さんが社員の方々とやってきた。やはり会場で本をうるらしい。会場ではチャベス大統領やキューバの有機農業の本はよく売れていたらしい。結構高い本なのに、まるで羽根が生えたようになくなっていったとのこと。私はずっと受付をしていたので、会場にはいなかったので、友人の証言です。来場者もひと段落しひまになったんで、ぼんやりと井上和香のこととか考えていた。すると築地書館の社長さんがモヒート片手にやってきた。会場の喧騒を逃れてきたみたいだ。思ったより若々しくて、30代といっても通用する感じ。ある人がその社長さんを、二代目だけどしっかりしてる、と評しておられるのを聞いたことがある。その評判もうなずける感じのよさだ。「私は中南米マガジンをつくってる金安です」と自己紹介しても社長は如才なく接してくれるだろうけど、なんとなく気後れして、彼の姿を黙って見ていた。わたしもモヒートをちょっともらう。夕食を食べず帰宅。深夜、突如、大事なメールを書いていないことにきづく。メールを何通ももらって、返事を書いてうち、書き忘れたメールがあったのだ。もう何週間も前の話。あわててメールを書いて送信した。Sさん、どうもすいません。 |
| 三多摩で地域通貨事業をしている皆さんが交流しあうイベントに参加。場所は府中。バザー形式だったので、家の中のがらくたなんかももって行った。朝、東上線に乗り、北朝霞で乗り換えて武蔵野線に乗車(ところで北朝霞駅をご利用の方にききたいのですが、私は北朝霞という駅名を聞くといつも「北朝鮮」という言葉を連想するのですが、皆さんはいかがですか?)。府中本町駅で下車。会場について早速販売。調布代表とか、茅ヶ崎代表などいた。この場は地域通貨(現金に換わる新たな流通手段)を勉強し啓蒙する場なのに、受付で「安いと思ったからきたのに、全然安くないじゃない」と変な抗議をしている勘違いばーさんとかいた。三鷹代表の女性が「酒とつまみ」誌を手に取ったので「奥さん、それをつくっているの、三鷹の方ですよ。ひとつ、ご購入いかがですか?」と呼びかけたら、その女性いわく、「酒とつまみ」の編集長氏は自分と小学校、中学校と同級で、うわさで雑誌のようなものをつくったときいていた、今日はじめて実物を目にして、うれしいからぜひ買いたい、というのである。その女性としばらく「酒つま」編集長談義。彼は子供の頃、大変頭のいい生徒だったとのことである。正直、あまり深い付き合いでもない「酒とつまみ」編集長氏が、なぜ三鷹在住だと知ってて営業トークができたのかというと、「酒とつまみ」誌のようなミニコミ誌をつくる動機に興味があって、しかも「酒とつまみ」誌面で自伝的な小説もお書きになってるから、普段からその人となりを観察にこれつとめていたからなのである。ミニコミ誌をつくる人というのは、どういう人なのだろう? なぜつくるのか? 金儲けではない。我が才能を認めてくれない世間への復讐みたいなものだろうか? それとも、ラテンアメリカの文化を紹介しようというご立派な志だろうか・・・。 (ここからが肝心だ!)会が終わって、西武の小平駅まで歩いた。しかも帰宅まで夕飯は食べないという荒行。そうしないと、きょうは赤字だから。 http://www.saketsuma.com/ |
| 寒い一日だった。友人がイベントやるというので参加した。参加費1500円。場所は北浦和。雑誌も売った。 |
| 所沢まで中南米マガジンを売りにいった。終わったあと、所沢から浦所バイパス→川越街道と上福岡まで歩いた。 |
| ゆうめいとの配達バイト。きょうが最終日。配達の途中、「ちょっとちょっと。郵便屋さん」と呼び止める声。老婆が私を呼び止めたのだ。「最近の郵便局はどうなってるの! あたしん家もいつも間違って配達されるし、郵便局に電話してもらちがあかないし」「はあ」「最近の郵便局はバイトの子に配達させてるんだって! だからだめなのよ!」 くどくどくどくどと私に向かって郵便局批判をいってくる。ちょっと尋常な話し方ではない。「すいません、私いま配達してるんで、これで失礼します」と強引にその場を去った。 午後、配達は問題なく終了。郵便局に戻った。「大友康平さん」、「谷原さん」、教官のあんちゃんに「お世話になりました」あいさつ。「来年もぜひお願いします」「今年の夏もどうですか」とうれしいことを言ってくれる。帰宅。 |
| 朝からゆうめいとのバイト。今日は2日の分があるので、配達する郵便物が多い。午後、配達する途中で自転車ごとガッシャーンと転倒。激痛が走った。イテー! しかも郵便物が箱の中で荷崩れしてしまって、配達する順番にならべてあった郵便物がバラバラに。郵便配達は、決まったルートがあって、そのルートに沿って、配達するのだが、ルートごとに並べて箱に入れた郵便物がバラバラだと、1丁目1番地〜5丁目3番地〜2丁目8番地というふうに移動のロスの多い配達になってしまうのである。バラバラになった郵便物を見る。エエイ、と手当たりしだい、わかったものから配達することにきめた。バラバラになった郵便物を前にしては、そうするしかなかったのである。1丁目の高橋さんから4丁目の伊藤さん、それから大字田んぼ町の藤井さん、というように・・・・・。ようやく配達が終わって夜のとばりがおりはじめるころ、迎えに教官の気のいいあんちゃんがやってきた。心配して見に来たのだという。時間がかかってすいません。と謝罪。ようやく帰宅。 |
| ゆうめいとの仕事は休み。朝からテレビを見ていた。つまらない。ぼーっとした一日。 |
| 新年あけましておめでとう。 朝から、年賀状の配達。郵便局の庭にゆうめいとの諸君が集まり、郵便局長やえらい人の新年の辞(みたいなもんだと思う)を神妙に聞いて、年賀状の配達。正午、自分の持分がなくなったので、集配センターにいくと、午後に配る自分の持分の年賀状がない。郵便局に電話。「谷原さん」がオートバイでやってきた。各所と連絡。自分と同じ班の青年が先に配り終わった後、私の分も持っていったことが判明。青年は「すいません」とあやまってきた。「どうってことないよ」と言い返す。午後帰宅。拙宅にきた年賀状を見る。その後テレビ。正月のテレビつまらない。 |
| きのう、痛飲したので、バイト大丈夫か? と思ったけど、問題なく出勤。いやまったく職住接近はいいね。真冬だというのに全然寒くない。いたって快適。しかも雨の気配まったくなし。風が心地よい。しかしだ。郵便配達の自転車は頑丈にできていて、サドルの部分は硬い。正直、長いとこ乗ってるとオクタビアヌスが痛い。このままじゃ、アウグストゥスになりそう。三頭政治だ! 4時前に仕事終わる。そのあと、帰宅して大掃除。 |
| 朝10時半から郵便配達のバイト。結構むずいぜ、郵便配達はよ。決められたコースがあってそれにそって配達しなければならない。段取り上手でなきゃいけない。自分がやってみると、その大変さがわかる。 その夜、高田馬場のスペイン料理店で中南米マガジンの忘年会。8人集まった。くだらない話して盛り上がった。ワインをかなり飲んだ。その後3人で近所の居酒屋で2次会。学生さんらしい人が多い。あきらかに飲みすぎて介抱されている人も。 |
| バイトだ! 郵便局のユウメイトだぜ。郵便物(年賀状とか)を年末年始に配達する仕事。高校生諸君と一緒に仕事だ。とはいっても一緒に仕事するわけではなくて、仕事は一人で。私の教官は気のいいあんちゃんで、最初は「金安君」と呼んでいたが、すぐ自分が年下だときづいて、「金安さん」と言い直してきた。ほかに、大友康平に似た人と、昔、私が勤めていた職場で谷原さんという人がいて、その人にそっくりで、私は「谷原さん」と心の中で覚えた。「谷原さん」は、私を指導してくれるあんちゃんと仲がよさそうで、いつも一緒だった。この日は初仕事だった。 |
| 中南米マガジンの次号の作業。その間に熱烈歌劇の件で電話。夜、ある友人と会食。 フリーライター病というのがある。有名人に会った、有名人は実はこんな人だったと「おれはこんな有名人にあって、実はあいつはこんなやつで、笑っちゃったよ」みたいなことを喋る発作が飲食時に出る奇病だ。考えてみればフリーの方にとって有名人に会えるというのは、数少ないアドバンテージみたいなもの。「松井に会った」「永ちゃんと仕事した」「ビートたけしと飲んだ」そして、「あいつはホモだ」「こいつはたいしたことない」「あの娘は素顔はブスだね」と得意げに喋るのは浮草稼業の不安と不安定さの告白みたいなもの。その夜は相手との会話が弾まなかったので、仕方なく「私の有名人遭遇録」みたいなものを面白おかしく話してしまった。帰る途中で、激後悔した。 |
| とある書店に熱烈歌劇誌の営業。かなり大きな書店だ。レジの人に用件を告げ、「仕入部の人をお願いします」 といった。やってきた女性に熱烈歌劇誌を見せ、この店で扱ってもらいたいといった。 ところで私は少し前まで、女性というものは「かわいいね」「美人だね」「笑顔が素敵ですね」といわれれば、だいたい喜ぶものだとおもっていた。ところが、自分は美人じゃないという自己認識をお持ちの方はそうした言葉を一種の皮肉として受け止めるようなのである。そこで最近はたとえばお勤めの会社とか、やっている仕事とか、そうしたことを賛辞のテーマにすることにしている。 やってきた女性は権限がないみたいで、検討します、とのとこ。 |
| 前日にひきつづき、熱烈歌劇誌の仕事。朝食食べず。外で行動するときは、空腹のほうがいい。ハングリー精神が行動のアクセルを全開にさせてくれる。 私どもが陥っている状況は一言でいえば「苦労」というものだろうが、世の中には苦労というものをまったく知らない人間もいるものだ。 大金持ちの息子で、いつも周囲からチヤホヤされて、傲慢で粗暴で金に汚くて、「平和のために」何万人も殺しておきながら英雄気取りのワシントンの連続狙撃犯に比べれば、私の人生などチッポケなものだろう。ミニコミ雑誌をつくるというだけのことで悪戦苦闘しているのだから。 失敗するのが運命なのなら、運命の女神の邪魔をしてやるのだ! 悪戦苦闘の連続だけど、シャバダバシャバダバやりぬくぞ! あーの手、こーの手、奥の手でえええ、えー、空中作戦、それそれ開始、それ開始ー! 気が付いたら歌っていた(うそ)。牛丼ぐらいくおうかと思ったけど、金がないからヤメヤメ。横浜、厚木、渋谷を回って、深夜帰宅。 |
| 熱烈歌劇創刊号、完成の日。朝、印刷所に取りにいく。赤い表紙だ! はたしてOSKファンはこの表紙を見てどう思うだろう? 宝塚グラフやレプリークなどを見ている人たちからは、「あら、2色。貧乏臭いわね」と思うんだろうか? 作り手からみれば、乾坤一擲の歴史的壮挙ではあるが・・・ 都内各所へ配達。浅草橋付近で突如私の携帯が鳴る。熱烈歌劇誌のオーナー氏からだった。熱烈歌劇誌は今日のいつ届くんですか? と聞いてきた。エエー? 今日完成したんだから今日届くはずはない。私は印刷所に雑誌をとりに行ったから5日に雑誌を入手したのだが、宅急便を使って発送したら最低1日はかかる。つまり、雑誌が届くのは早くて6日。オーナー氏はそのスケジュールで納得しているものと私はいままで考えていたのである。 ところが、オーナー氏は5日完成=5日入手と考えていたから、関西の事務所で人手も確保して準備万端、早速定期購読者に雑誌を発送しようと、いまかいまかと熱烈歌劇の到着を待っていたというのだ。 「これから、お互い教訓にしていきたいんですが」と私はいった。雑誌が出来上がる日、それが宅急便で配達される日、それが取次を通して店頭に並ぶ日、それぞれ違うのである。だから、スケジュールを確認して、とくに完成する日から自分のところに配達される日まで最低1日かかるということを頭に叩き込んでいきましょう、といった。 私も以前同じような失敗をしたことがある。物流のスケジュール確認というのは間違えやすいのだ。前の会社に勤めていたとき、直属の上司に「納期」という考えをしつこくいわれたものである。商品が完成する日、それを顧客や問屋に納める日は違うのである。ところがそれを混同して注文書を書いてしまうと、顧客からクレームがくることになる。「商品が到着すると聞いたがまだこない。なぜなんだ!」と。いわれてた時は「またかよ! ガキじゃないんだから、もういいかげんにしてくれ」と心の中で思っていたが、確かに上司のしつこさは大切なしつこさだった。M君や上司との日々もまんざら無駄ではなかったのだ。 創刊準備号はやはり売れるところでは売れるが売れないところでは売れないという感じ。私も販売をがんばらなければ・・・ |
| ひきつづき「熱烈歌劇」の営業。人の商品を売る立場からいうと、あまり売れない小売店で販売したくないという気持ちはある。自分たちでつくった商品ならあんまり売れないところでも売るんだが・・・。その間、インターネット喫茶に行って、前日の人からのメールが届いていないかチェック。きていないようだ。正直ホっとすろ。夜、ワイン飲む。安ワイン。就寝。 |
| 前日にひきつづき「熱烈歌劇」誌の営業のため、電話。反応は様々。その間、中南米マガジンの読者という方から電話。「私の知り合いにラテンアメリカのことに詳しくて、文章もうまい人がいる。ぜひ書いてもらいなさい。ついてはXXXがメールアドレスだから、ここに連絡するように」とのこと。「具体的にどのようなことをご存知なんですか?」と聞くと、「それは相手に聞いてくれ」だという。とりあえずその方にメールをするが、相手がどのような方か、何ができるのかわからないのでは、不安もよぎる。以前、同様の申し出があり、書いていただいたが、その原稿があまりよくなかったので、理由を説明して掲載を断ったことがある。私、書いていただいた方、紹介してくれた方、皆後味悪い思いをするものだ・・・。 午後外出。書店に「熱烈歌劇」誌の営業。知り合いの書店員に「宝塚系の商品が売れてる書店、知りませんかね」と情報収集。 |
| 朝から取次、書店などに電話。反応は様々。OSKを知らない人、なんとなく知っているひと・・・。「昔そんなのがあって、うまくいかなくなって、いまどうしてるんでしたっけ?」どういう雑誌なのか? 定価、価格、版型、内容がしりたいとのことなので、急遽、それらを書いた紙を作成、ファクスを流す。見本誌がみたいというのもあったので、創刊準備号を送る。その間、コーヒー飲む。夜9時就寝。 |
| 芳林堂書店池袋店に営業。「熱烈歌劇」扱ってくれませんか? と宝塚担当の方にいうと「うちは12月で閉店するんですよ」といわれる。えーー!!芳林堂書店池袋店閉店!! ショックッス。思い出深い大好きな本屋なのに。午後1時、ひきつづき「熱烈歌劇」の作業。時間を食うわりに作業が進まないのは、安齋さんとおしゃべりしてるせい。イラク戦争、マイケル・ムーアのことなどが話題に。安齋さんいい人だから「熱烈歌劇」の仕事も格安で引き受けてくれたんだろうか・・・。終電で帰宅。 |
| 午後1時からレフで「熱烈歌劇」の作業。私の仕事は写真と指定と校正など。劇団員さんの写真にパラフィン紙をくっつけて、これは何ページ、それは何ページ、と書いていく作業。OSKの劇団員さんは似た名前が多いので、正確に指定していくのに神経を使う。間違えたら大変だからなー・・・。たとえば、白鳥さんの写真に「野菊さん」とキャプションをつけたら、雑誌としての価値ははっきりいってゼロといってもいい。特に白鳥さんのファンにとっては・・・。午後6時ごろ、「熱烈歌劇」のオーナー氏が関西から到着。OSKを巡る情勢は刻一刻変わっているので、最新情勢を載せたいのだという。「それはいいが、入稿まぎわに原稿を書き換えるのは、誤字脱字の原因になるのではないか」と思ったけど、金を出してる人がいうなら、その方向でいくしかない。はるばる関西からきたガッツを見せられたら、こちらも意気に感じるというものだ。安齋さん、私、オーナー氏の3氏で作業。途中、私が缶入りウーロン茶、オーナー氏がほかほか弁当をそれぞれ3つ、金を出して買うことに。私が近くのコンビニに買い物。食事。午後11時、オーナー氏はビジネスホテルに泊まるとのことで帰っていった。ご苦労様でした。 午前0時まで作業。その間、安齋さんと世間話。共通の友人の消息や今の政治の話など。終電で帰宅。 |
| 朝おきてコーヒーわかす。にんにく丼つくる。パソコン起動。と、パソコン動かず。ぜんぜんだめ。仕事ができん・・・。しかたなく、秋葉原のパソコンショップなどにパソコン持ち込む。だめらしいぜぜぜぜ・・・。たぶん、10万円ぐらいの出費。痛すぎる。疲れ果てて帰宅。 |
| いきなり「熱烈歌劇」のオーナー氏から電話があった。「熱烈歌劇」創刊号を12月上旬に出したい。デザイナーの安斎さんともども、よろしくお願いしますと。次号と「メキシコ音楽の本」の作業をしているときに・・・ま、いいか、しょうがない・・・。でも実際のレイアウトや印刷会社との段取りは安斎さんの仕事だから、製作上での私の仕事はISBNコードの注文や校正など。問題は営業だろう。いかに売るか、店頭に置いてもらうか、知恵を絞らなければ・・・。 早速ISBNコード販売会社に電話して、コードの注文。 |
| いいこと思いついたぜ!中南米マガジンが雑誌「編集会議」でとりあげられたことがある。個性的な書店を紹介するコーナーで、「模索舎」が中南米マガジンを紹介してくれた。同じ個性的な書店として、同性愛専門の書店が紹介されていたのである。新宿二丁目、「模索舎」のすぐ近くだ。考えてみれば、その筋の人たちって知的水準が高いと聞く。中南米マガジンや熱烈歌劇のよさもわかってくれるんじゃないだろうか・・・。「模索舎」のそばなら納品もらくらくOK。絶対売れる!まさにゲイは身を助けるだぜ!! そんなわけでさっそくその書店にいってみた。中に入ると、男の人がたくさん、みんなその筋の人だろうか・・・・・・普通の人に見えるが・・・・心なしか短髪の人が多い・・・・目線があった!・・・・。さっそく店の人に用件を説明。しばらくすると別の人が奥からでてきて「当店では同性愛関係の商品しか置けませんので・・・ ・・・」店を出ると、近くのレストランのバルコニーで白人と東洋人(日本人?)の背広姿の男が20人ほど、乾杯して騒いでいた。魔都新宿。 |
| 仲間と3人で「熱烈歌劇」の営業で取次回り。一人は「熱烈歌劇」オーナーの野住氏。まずは1軒目。あまりいい感触ではない。かなり厳しいこといわれる。やはり不定期発行は厳しいとのこと。野住氏は気落ちした様子。会社をでたあと、近くの中華料理屋で食事。私は冷やし中華を注文。2軒目。結構いい感じ。ただし、音楽専門書取次なので販路は限られるという返事。宝塚関係の商品が売れるところで売れればいいのだが・・・。ラテンアメリカと歌劇ではテーマの方向性が違うからなー。終わった後、ジュンク堂、リブロへあいさつ回り。その後、池袋の和民で3人で夕食。その後、上板橋まで歩く。 |
| 曇り。朝、コーヒー沸かす。「熱烈歌劇」のことであちこちと電話。夕方、外出。缶コーヒー買って飲む。帰宅。テレビ。 |
| 天気悪い。「熱烈歌劇」のことで各方面と電話。私思うに、ミニコミはひとつひとつのパワーは小さいが、お互い協力しあえば、大きなパワーを発揮できるのではないだろうか?その際にはお互いの嫉妬やばかばかしい意地の張り合い、隣はうちより部数が上だとか、マスコミで取り上げられたとか、そんなことを気にする気持ちをなくすことが必要。ミニコミなんて皆だいたい似たようなもんなんだよ。部数にしても、影響力にしても。 夜、コーヒー飲む。久しぶりにタリアとか聞く。 |
| 天気は曇り。我々が営業を担当する雑誌「熱烈歌劇」が届く。いい雑誌だ!昼食たべず。コーヒーだけ。図書館で調べもの。しかし途中からスポーツ新聞をみたりして、くつろぎムードに。いかんいかん。夜、おふくろと食事。暑くないから今年の夏は老人には楽、なんてことを話す。 |
| 雨。府中に雑誌を売りに行く。7冊売れた。中野の女性。仙台の女性。板橋の男性など。夜、国分寺駅まで車で送ってもらった |
| 朝起きる。残りのみそ汁を温めて食べる。と、中からゴキブリの死骸が・・・うへえ〜!!ま、いいか・・・、油のだしがいい味出してるかもしれん。朝から残り物のワイン飲む。と、帰ってきたおふくろとちょっとした口論。やはり朝から飲酒はまずいぞ。まったく転落人生的行動様式だ。しゃきっとしなければならない。反省して腕立て伏せを10回やった。 |
| イベントで雑誌売る。場所は吉祥寺。1冊も売れなかった。帰りの電車で「戦争と平和」読む。20歳ぐらいの時に読んだ「戦争と平和」だけど、また読むことになろうとは思わなかった。読んでみると、19世紀のロシアの貴族社会というものに知識があるいまのほうが、書いてあることの意味がよりよくわかるのである。ヴォルコフスキー、バグラチオン、クトューゾフ、ベニグゼンといったロシア史の重要人物の歴史に果たした役割というものは、20歳の私にはまったくわからなかったものなのである。だから、まったく初めて読んだようなものだ。 |
| 朝、前日の金貸す問題について各方面に相談。相談相手は一致して、金は貸すべきではない、という返事をくれた。 サラ金というのは、元本が返済できないほど金を貸して、債務者に一生利息だけを返させるというやり方で金を儲けるのが商売のやり方なのだと。だから金安さんが金をかしたら最後、一生金を貸しつづけなければならない。今はサラ金の債務者相手の相談窓口もあるので、そこを紹介させるように・・・。昼、そのことを件の写植屋氏に電話で話す。写植屋氏が話すに(彼の話はかなり長く、借金の内容は込み入ったものだったが)単純にいうと、先日の訪問者に元本から何から返したというのである。サラ金の借金の肩代わりをしてもらうというのではなく、借金返済のあとの当座の生活費を貸して欲しい。心配のようなことにはならないし、金安さんにはいままでちゃんと返してきたし、この借金も返すのは間違いない・・・。そこでお金は貸すことにして、これでお金をかすことは最後だと告げた。(実はこの日記を書いているのは9月15日なんだけど、写植屋氏はお金は返済してくれた) |
| 夜、とある高速道路沿いの道端で久しぶりに写植屋氏に会う。メキシコ音楽の本が遅れているので、その話のため。 彼は暗い顔をしてあらわれた。彼が語るに、前夜、自宅に帰ると、部屋をノックするものがいた。そのものはサラ金のものだったのである。貸した金を返してくれ、と借金取りがお使いをよこしたのである。写植屋氏はそのとき、まとまったお金を持っていたとのこと(訪問者が、写植屋が金を持っていることを知っていて、取り立てにきたのかもしれない)。そこで、写植屋氏は持っていたお金を一切合財使って借金を返したのだそうだ。家賃や食費に使う金もまったくなくなってしまったので、「金安さん、金を貸してください」と写植屋氏はいった・・・いくら? ときくと、8万円だと答えた。(なんで有り金全部使っちまうんだ!)と心の中で絶叫したけど、彼は次の日に私に会って金を借りるのも計算のうちだったにちがいない。4月は田舎に帰るので仕事はできないと写植屋氏はいっていたけど、サラ金から逃げ回っていたに違いないぜ。「わかりました。貸しますよ」と私はいった。「そんなにお力落とさずに」「ありがとうございます」確かに、彼は賭け事や女等々で借金を作っていたのではないし、いままで何回かお金を貸したけど、返済しているのだから、彼を信用してみようと考えた。最寄の駅まで暗い気持ちで帰宅。途中、ドン・キホーテによって買い物少々。帰りの車中で「戦争と平和」読む。 |
| 戦争だ! 本当に始まるらしいぜ。朝からテレビで戦争のニュースをみていた。ひどい話だよ、まったく・・・。何の罪もないイラクの人々。ただただ虫けらのように殺されるなんて。しかも正義やら平和やら、原爆投下のおかげで平和が保たれたみたいなメチャクチャな言い分によって・・・ それにしても小泉の忠犬ハチ公ぶりはいまさらながら情けない。きっとブッシュに「ファック・ユー!」といわれても「アイム・ファイン・サンキュー。ハワイユー?」と答えるんだろうぜ、ポチ小泉はよ。 こうしちゃいられないぜ! 部屋の中で腕立て伏せ、腹筋運動、シャドーボクシングなどをはじめる。戦いをいどむのだ!運命に! イラクの人たちみたいに運命は苛酷でも。ブッシュよ、覚えてろ! |
| 戦争が始まるらしい。恐ろしいことだ。テレビを見ると、どうしても暗い気持ちになる。朝食たべず。苦しい。 目が回る。もうだ・め・だ・・・・・・・・・。 |
| 朝起きる。コーヒー沸かす。テレビ、イラク情勢多し。フランスは実にトレビアンだぜ!イトーヨーカドーでフランスワイン買う。テレビ見ながらフランスワイン飲む。就寝。 |
| 朝起きてシャワー浴びる。コーヒー沸かして飲む。いい感じの人生だ。悩みといえば金がないこと・・・ 朝食、昼食抜く。夜、寝るときに目が回る感じがする。頭から、すーっと蟻地獄のような穴に落ちていく感じ。人妻蟻地獄だ!はりきゅうの先生によると、血圧が低くなると起きるとのこと。一日一食というのは、やはり体に悪いのかなー? |
| 12日の団体が主催するとあるパーティーに出席。場所は新宿。会費4800円だったけど、オレ、金がないからとかいって2000円にまけてもらう。受け付け係とか(要するに雑用)した。したっぱ稼業でポイントを稼いだわけよ。途中からアジア大学の女子大生さんたちとかがきて、受け付けをやってもらった。 アルコールを結構飲む。くだんのセンコーもいて、オレにがんとばしてたけど、しかとした。見てみるともうかなりの年で、ニクソン大統領みたいにホッペタが垂れてる。怒りは感じない。それどころか、電車のなかであったら、席を譲るだろう。 体に気をつけて、長生きしてよ! 女子大生さんたちに名刺くばる。酔ったいきおいでばらまいたけど、かわいい女子大生たちには醜態っぽくみえたんだろうか・・・。新宿からときわ台まで歩く。 |
| とある団体の会議に出席。会議の途中、突然、「組織の中に中南米マガジンとかいうものをつくっているものがいるそうだが、ホセ・バスルトにインタビューするとはじつにけしからん! 問題にするように」という議題がでてびっくり。なんでもそういう内容の手紙か文書を送った人がいるそうで、ちらっともれ聞こえてくる話では、結構偉い大学のセンコーとのこと。そこでさっそく団体の偉い人に「その人はなにがいいたいんですか? 誰なんですか? どうしたいんですか?」と聞いてみた。それが誰かは言えない、手紙も見せない、(中南米マガジンに反論を載せてもいい、との申し出には)それもお断りしたいとのこと。わけがわからない。なかでも解せないのは、批判は、批判する相手に向けておこなうのが筋なのに、中南米マガジンと全然関係ない団体に(私がそこにいるというだけの理由で)なぜ意味不明な手紙を(私はそれを読んでないのでどんなものかは知らぬが)送るのか? でも考えてみれば、これはいいことなのだ。それだけ、注目されている証拠なんだから。そのセンコーは何もできないんだし、犬がほえても歴史は進むというもの。会議が終わった後、池袋まで歩いた。 |
| 朝起きる。コーヒーわかす。パソコン起動。昼、インスタントカレー温める。ナンを焼く。買ってきた手羽先を温めて、桃屋のキムチをかける(タンドリーチキンのつもり)。即席インド料理だ! 4チャンのザ・ワイド見ながら食べる。夜、ご飯たく。パソコンでメール送ったり返事書いたりする。夜、フランス語会話見る。 |
| 朝食を食べず外出。横浜へ。腹が減る。用事すませて帰宅。テレビ見る。タモリ倶楽部。 ところで最近、私の日記を見て心配してくださる方からメールをいただいたが、大丈夫、大丈夫。意志が行動のエンジンなら、金は行動のガソリンなのだ。どんないいエンジンを持っていても、ガソリンがなければ物事は前にはすすまない。だから金が大事なわけだ。いたって経済的にできている体なのである。 |
| 朝、起きる。コーヒー沸かす。友人の夫がなくなられて、そのおくやみのため外出。夜、千駄木から上板橋まで歩く。帰宅。きょうはじめての食事をとる。 |
| 朝起きてコーヒーを沸かす。なにもやることがないのでじっとしてる。朝食、昼食を抜いた。 |
| 昼、おふくろと近所のイトーヨーカドーに買い物。正月用に買いだめ。同じ考えの人が多いのか、店内はかなり混んでいた。こんにゃくとか、かまぼことか買った。 おふくろの老人性くどくど病はどうにかならないものだろうか・・・。ビールは買ったが、自分のものだから勝手に飲むなとのこと。おふくろなりの危機感のあらわれなのだろうが・・・。最近読んだマリア・テレジアとマリー・アントワネットの往復書簡集によると、マリア・テレジアも子供たちにくどくどと身の処し方を説いているが、そういう母の行動は世の東西を問わないのだろうか・・・。マリア・テレジアは16人も子供を産んで、その愛情のかけ方は随分濃淡があったとのことだが・・・。 夜、おふくろと「紅白歌合戦」を見る。私は4チャンのラーメン特集がみたかったが、母が「紅白」を見たかったので・・・ |
| 大掃除だ! 朝早く起床。ドア、窓わく、自分の部屋など掃除した。夜、缶ビールでおふくろと乾杯、飲んだくれた。 |
| とある忘年会に出席。更新を迎えた定期購読者がいたので更新料をもらった。1人雑誌購入。前から中南米マガジンの存在をしっていたとのこと。 |
| 下高井戸でメキシカンパーティーに出席した。いつも読んでるという女性と踊った。隣にいた女性と会話。中南米マガジンのこと知らないみたいだったので名刺渡す。雑誌かってもらった。終わってから下高井戸から上板橋まで歩いた。 |
| 会社をやめていいことの一つが、好きなときにテレビが見られるということだろうか? この日、10時に起きて、テレビを見る。北朝鮮に拉致された人たちが日本に帰ってくるというので、どういうふうに年をとっているか興味があって、テレビを見た。羽田に着陸した飛行機から拉致被害者が降りてきた。家族と再会。良かったね・・・。横田さんのご両親はいつもかなしそうだけど、めぐみさんが無事だといいね・・・。 |
| 朝、五反田の店に営業。ラテンアメリカ専門の店だった。店の女性に用件を告げる。相手の女性は「金安さんですか?」なんと以前中南米マガジンに関わりのあった娘さんだったのである。すっかりかわいくなって私の前に再登場。しばらく彼女と世間話をした。その後オーナーと会う。雑誌売らせていただくことに。やったっす。それから東急線で横浜へはりきゅうをしてもらいにいった。本屋ででたばかりの グイッチャルディーニの「イタリア史」買う。深夜帰宅。 |
| 夜6時半、会社の人たちと「金安君の送別会」があり、出席。場所は近くの居酒屋。私の退社を皆が祝ってくれた。Tさんと課長が企画してくれたそうだ。Tさんはとてもいい人、というより、みんないいひと、私もいい人なのだ。私も入社以来いろいろな同僚と一緒に仕事をしたけど、心底憎んだというひとは一人もいなかった。憎まれたこともないだろう。そこそこいい人というのが、周囲の私にたいする印象だとおもう。M君にしても、もっと違う出会い方をすればいい関係になれたはずなのだ。部長にしても、私が部下であったときはいつも親切だったし、やさしかった。いままでの話の流れからいうと、この日記をお読みの方は現場の人たちはいいひとで、事務関係の人はそうでないと思うかもしれないが、そうでもないのだ。現場の人たち(一部の人)は良く「素朴すぎる差別表現(百姓!とかブラック!とか)」をいっていたものだが、移動した職場ではそういった言葉はいっさいなかった。私も含め皆ほどほどにやさしく、ほどほどにずるく、一言でいえば「いい人」なのだ。キリストでもヒトラーでもないわけだ。 みんなに、いろんな思い出話を少々。Aさんとはこんなことがありました、Bさんとはここでお世話になりました、Cさん、あの時はありがとうございます、みたいな話・・・。M君は出席していなかったが、送別会の会費を払ったとのこと。そうこうしているうちに部長が遅れて登場。仕事を残業していたそうだ。 「金安君、雑誌が売れるいい方法を思いついたよ」 「えっ、それは何ですか?」と聞いた。 「書店にいって雑誌を全部買えばいいんだよ」 「部長、それは名案ですね」と答えた。 雑誌とTシャツがかなり売れた。皆さんありがとう。 |
| 朝梅田の駅前のカプセルホテルで起床。モーニングセット食べる。阪急で京都へ。正午、一人出版社を経営している人と河原町のジュンク堂書店で待ち合わせ。その方のいきつけの定食屋で会食。いいアドバイスをもらった。めしもおごってもらう。すまんすまん。地下鉄で大津へ。観光。2時ごろ大津駅から普通電車でかえる。江戸時代の人は日本橋から京都まで歩いたのだ。電車にのるだけ楽勝というもの。米原〜豊橋〜浜松〜静岡〜東京〜池袋〜上福岡と乗り継ぎ。午前1時帰宅。「あるがままのイスラエル」読了。 |
| 朝、梅田のカプセルホテルで起床。書店で岩波文庫の「ありのままのイスラエル」という本を買う。 JRで神戸へ。カメラウーマンと待ち合わせてラテンの心を持つ女の取材。神戸は暑い! 相手の女性はきれいな方。 取材終わる。阪急で梅田に戻り、さる方と会食。終わってカメラウーマンの自宅の尼崎市へ。自宅にお邪魔した。 尼崎市にあるあやしいラテンカラオケの店に取材。店のペルー人は警戒心むきだし。そしてわけあり風の若い日本人の女性がいた。 取材終わって梅田に戻る。カメラウーマンと夕食。おごってもらった。すいません。いつかビッグになったら返します。駅からはなれたところに2600円のカプセルホテル発見。風呂なしだ。得した気分で就寝。 |
| きょうから無職だ。6時起床。横浜へはり&きゅうへ。9時、名古屋のお食事会に出発。熱海→浜松→名古屋と普通電車で乗り継ぎ。浜松から雨が降ってきた。午後3時名古屋着。地下鉄でお食事会会場のメキシコ料理店へ。近くのコンビニで立ち読み。地方のコンビニはエッチな雑誌が多い。読むものがなくなってコンビニを出て近くの喫茶店でコーヒーを飲む。スポーツ新聞読む。中日のリナレスのことが話題になっている。6時半からお食事会。私も含めて参加者8人。楽しかった。雑誌1冊売れた。10時まで歓談。その後新幹線で大阪へ。大阪駅前のカプセルホテルに泊まった。 |
| 昔、会社をやめる日に何をするか、考えたことがある。会社を午前中でやめて、それから会社の食堂で一杯やり、よっぱらって社内を回るというのが、最初に考えた計画だった。その次に考えたのが、会社がおわったあと、ゆっくり風呂に入るというものだった(風呂がある会社なのである)。そして今日、とうとう私が今の会社に勤める最後の日がやってきたのである。思えば18年3カ月。長い年月だった。考えてみれば、会社勤めをしたばかりのころは、私はまったく社会性というものがない人間だったから、会社(の同僚)が私に社会性を教えてくれたわけだ。だが私はこの年まで、組織というものがまったくだめな人間なのである。18年もつとめたのだからそれなりに適応力はあったのだろうが、それでも「いやいや適応」という感覚はついに消えることはなかった。「右むけ右」という行動がどうしても苦手なのだった。学校から会社へという私の年月は「適応」というハードル、拭っても拭っても拭えない屈辱の色に染まった日々だった。 あしたはきっと何かあるとおもったのだ、そしてその時ものをいうのはお金だと。たぶんたぶん、結婚が人生最大のテーマだと考え、それを目的にいきていたら、その目的はかなったかも知れない。しかししがらみはできる。しがらみができたらいままでの歳月はどうなる?妻の笑顔と子供の寝顔と、それもいいだろう。しかし、なにかあると思って難解な本を読んだことは、資金作りの苦労は、まったくの無駄だというのか?そうはいかないぜ! 私はラテンアメリカの文化を啓蒙しようとか、すばらしいリズムを紹介したいという気持ちの皆無な俗物なのである。それをせいぜい利用しているといってもいいだろう。 この日は仕事がまったくなかった。残業をしたかったのだが5時で仕事は終わり。しばらく職場をブラブラしたあと帰宅。 |
| 仕事はボツボツ。仕事が終わったあと、とある友人に用事があり、会う。彼とは同期。私が会社をやめることに驚いていた。今度飲みにいこうなんて話した。夕方会社のサークルの集まりでみんなと会食。みんなと肩組んで歌ったりした。それにしてもM君・・・。途中から会場にやってきて誰とも口をきかず寿司とかぱくぱく。めしを食い終わるともう用はないとばかりさっさ帰りましたとさ・・・。 |
| 9時出社。仕事ひま。何の変化もない日。仕事帰りに池袋のジュンク堂書店で立ち読み。帰宅。松本伸助見る。就寝。 |
| 休暇を取った(退社を表明してから、休暇が取りやすくなった。年次有給休暇を全部取得しないで退社する問題は、いろいろな人が口をきいてくれたおかげで、私が納得できる形で解決した) 某所に小さな取次があるとの情報をキャッチ。きょうはその会社に営業に行くのだった。とある駅で下車。駅の目の前を通っている幹線沿いに歩いた。ここだと思った場所は住宅街のなか。社屋らしき建物には確かに会社の名前が書いてあった。二階に登って「すいません。この前電話いたしました中南米マガジンと申しますが」と告げると「あ、いらっしゃい」と応接間みたいなとこに通される。「おたくらみたいなアングラっていうの? そういうの昔扱ったことあるんだけど、長続きしなくてねえ。えっ、メキシコ音楽の本だすの? う〜ん、やってみますか・・・」「お願いします」「○×社にいってごらんよ。昔ここの人に誘われてね、会社にいったことがある。○×社知ってる?」「いえ」「ぼくもよく知らないがね。音楽書とかを扱ってるらしい」「ぜひ行ってみます」と担当者氏と会話した。担当者はいい人のようだった。たばこが好きみたいだった。訪問した会社は大手書店チェーンの販路もあるそうで、すばらしい。終わったあと町をブラブラ。ミスタードーナツで1000円も使ってドーナツ食った。いかんいかん。 |
| 9時出社。仕事はぼつぼつ。とある年配の社員から突然「金安よ、おまえホームレスになるんだって」といわれる。びっくりして「えっ、違いますよ」と答える。その年配の社員にいわせれば、私の計画は絶対うまくいきっこないそうだ。 「そうですねえ。なるかもしれないかも」 「おれの娘もプータロだけどよ、プータロは友達がたよりだからよ、おまえも友達は大事にしろよ」と変なアドバイス。 昼食。会社はISOというやつを導入するそうだ。仕事がうまくはかどるマニュアルだとのこと。結構。どんどん導入してくれたまえ。成功をいのるぜ。 仕事が終わり帰宅。就寝。 |
| 仕事はぼつぼつ。朝の会議で私の退社のことが発表される。仕事早めに終わる。帰宅。フランス語会話見る。就寝。 |
| 9時出社。仕事はない。午後、とある人と退社について相談。私の退社の日は7月30日となった。その人は私のことを心配していた。帰宅。日テレの松本紳助見る。就寝。寝床の中で、人は死んだらどうなるのか考える。夜空の流れ星になるのだと結論して寝る。 |
| 9時出社。仕事はぼちぼち。午後、課長と退社のことについて話す。部長から、退社時期についてかくかくしかじかでいいのか、という提案があり、「金安君に伝えてくれたまえ」との伝言。つまり、「金安君、休暇を全部使ってやめるのはよくないよ」問題の話だった。部長の提案では、私は休暇をかなり残したまま、退社することになりそうだった。 制管の社員を対象に「今年の抱負」を部長に個室で話すという「儀式」が毎年1回あって、私も部長と会議室でさしで話したことがあった。「金安君は本をよく読んでるみたいだけど、何をよんでいるんだね」とか「私も地元の活動でホームページをつくっているんだよ。よかったらみてくれ」とか、部長のそういった言葉は、人間としての私に興味があるんだ、といいたげだった。 部長は、雰囲気が福田官房長官によく似ているのである。一見紳士で、仕事ができそうで、やさしくて人間味がありそうに見えるけど、見た感じ官僚的で、裏で何考えてるんだかわかんない(田中真紀子氏にした仕打ちのように)。昔、私とさしで話したときは人間だっただろうが、現在官僚の男なのだ。だから私の目をみて「金安君、この条件でどうかね」といわずに、課長にいわせてるわけだ。 目の前にいる課長は、いいひとの守備範囲に十分はいるひとで、私はおとなしく課長の話を聞いていた。 帰宅。イタリア語会話みる。就寝。 |
| とうとう部長と本部長と3人で会談。この本部長と会話するのは10年ぶりぐらいだろうか。あまり芳しい評判は聞かない・・・。 「へー、中南米の同人誌作ってたんだって。知らなかったねー」 「はあ」 「ぜひ挑戦するべきだよ。やってみるべきだよ」 「はい」 はじめてコクった時には怪訝そうだった部長も、ニコニコしている。「30代後半はチャンスだよ」だって。はじめ辞意を伝えたときは、M君問題とかでの退社ではないかと考え、自分の監督責任が問われかねないかと心配していたが、このばか者はみたところ絶対成功しないようなことで会社をやめたいといいだしておる。シャバの厳しさがどんなもんかも知らずに・・・ 部長も本部長の「え、金安が会社をやめる? そりゃいい、はやくやめさせろ」という言葉に一安心、というところなんだろうか。ま、どうでもいいや・・・やめたいっていうこっちの要求に賛成してくれてるんだから・・・ 「営業もしなくちゃならないんだぞ」 もうやってますよとおもったけど「がんばります」と答えておいた。 「しかしねえ、金安君、休暇を全部使ってやめるのはよくないぞ」 きたー! 前回の部長も同じこといってた・・・。どうすればいいんだろう・・・。見たところ、不当な要求だと思う。やはり、こういう態度ってのは、俺をなめてるんだろうな。 「考えておきますが、柔軟に考えます」なんていってしまった。なんて甘い俺・・・。 ということで、退社(仕事が終わったってことね)。・・・もうやめるのだ、会社を。楽しいこともいやなことも多かった会社。仕事が終わったあとのきままな立ち読みも、くだらない冗談のいいあいももうない。戦いが始まるのだ。いままでは秘密に準備していた私どもの「テト攻勢」をいよいよ開始するときがきたのだ。 |
| やはり退社することを決意し、出社。昼休み、部長に話しがあると切り出す。課長も一緒に、同席したところで話したいと。 はっきり書こう。私はこの部長をかなり警戒して、必要以上のことは決して話さず、バカを演じたのである。こういう職場にきた私の社内事情の疎さに鑑み、私は社内事情をチェック!どういう人がどういう立場で、誰と仲がいいか悪いか、評判はどうか、情報収集に励むことにしたのだ。この部長は、いろいろ評判を聞いていた。1年半ともに仕事した印象は、「仕事に関係ない部分では、とてもいい人」というものである。たとえば、(たとえ話ですよ)ある人が、会社にいけなくなっちゃう病にかかったとしよう。奥さんも子供もいるわけだ。周りの仕事仲間からいえば、「しばらく休んで、病院にいって、元気になってまた出てこいよ」というものである。しかし、会社からみれば、そういう人はすぐやめてほしいところである。そういう時に部長は、会社のためにがんばって忠勤に励むというわけ。趣味の世界や家庭人としてはいい人なのだが、忠犬ハチ公でもあるのだ。 午後2時すぎ、部長、課長に退社の意思を告げる。ルビコン川を渡ってしまった!中南米マガジンのことも話し、こういう同人誌を作っているんだと話し、雑誌を見せる。「ISBNコードも取ってるんだ!よくとれたねえ」と部長。(部長、なかなか取れないのは雑誌コード。ISBNコードは結構簡単に取れるんです)と心の中で思ったけど、ここは俺たちをビッグに見せるチャンスと思って深刻な顔して「ええ。ずいぶん苦労しました」といっておいた。「しかしだね。やめるのはしばらく考えたほうがいいぞ。一週間考えたまえ」と部長。 帰宅。イタリア語会話見る。サッカーW杯も。就寝。 |
| 月曜日。9時出社。昼休み、とある人物に相談。その人は2000年12月26日の日記の人だった。退社したいと用件を告げる。 「そうか・・・。なるほど。ずいぶん考えた末のことなんだろうからな。なんとなく生きてるだけで定年を迎えるよりいいかもしれない・・・。まわりにもいるだろ、そんな感じのやつ。前途が厳しいことはわかってるんだし・・・。覚悟してるんならやってみればいいじゃないか」 「ええ」 「本来、オレは止める立場なんだけどな。ハハハ。しかし、もう一晩、よく考えてみろよ。辞意を伝えるのはそれからでもいい。それから、いろいろあったろうけど、反抗的な態度はあまりよくない。そのかわり、オレや回りとよく相談して、退職金とかで損しないようにな」 「はい、ありがとうございます」 その人とは、入社の次の年から同じ部署になり、まだ人づきあいがうまくできなかったころ、ずいぶんと声をかけてくれたり、将棋の相手をしてくれたり、いい先輩だった。96年の2月、その人とみんなでいったスキー旅行は一生忘れられない思い出だった。その人はスキー初心者の私にすべり方を教えてくれたっけ。その頃は、中南米マガジンをつくるという話はあったが、まだ創刊のメドはたたず、いったいどうなるか、まだ見ぬ中南米マガジンは? という気持ちで友とスキーに興じていた。信念はあったが、それを具現化したものはなかった。それは私の心のなかだけの話だった。そして、次の年には中南米マガジン発刊のメドもたち、私は金がもったいないからとスキー旅行はことわってしまったのである・・・。 帰宅。フランス語会話見る。仲根かすみちゃんはかわいいね。話上手じゃないけど。 |
| 9時出社。仕事はいつもどおり。量少ない。帰宅。ワールドカップのフランス対ウルグアイ戦みる。・・・「よし、会社辞めて、メキシコ音楽本に全力投球しよう」と決めた。たとえば、この前、中南米事情の講師をやったなんてこと書いたけど、それとても予習が必要。メキシコ音楽にしても、製作の中心である私がメキシコ音楽の知識がないと全然話しにならないって感じ。とにかくやることがやまほどあるのだ。 いいじゃないか、失敗したって・・・。一度だけ、やってみれば・・・。苦しいけど・・・。 |
| 9時出社。仕事はぼちぼち。ぼんやりと、いま自分の中で考えていること「会社やめようか・・・」を考えてみる。自分にとってどうか? 自分の人生にとって。私はいま38。もうすぐ40だ。40になれば、もういまのように「アクセル全開」というわけにはいかないかもしれない・・・ ということは、いまが何かをやるための最大の(そして多分唯一の)チャンスなのではないだろうか? いまの仕事は正直、つまらない。私もこの会社で18年・・・、いやなこともあった。でも、ほかにすることもないし、いつかなにかあるという希望もあったから、いやなことにも耐えて会社にしがみついてきたのである。だからこれからもしがみつけといえば、できないことではない・・・。 仕事おわり、帰宅。サッカーのワールドカップ見る。 |
| 9時出社。仕事はぼちぼち。何だかM君は機嫌が悪い。去年も梅雨どきは調子わるそうだったけど(M君評論家金安)会社は遅刻、昼休みは1時を過ぎても居眠り、いつもいばって私やパートのおばさんに指図しておる。実は、私がこの職場に移る前、何人かの人が「製作管理部にいってくれ」といわれて断ったとのこと。社内事情にうとい(関心がない)私は、マンマと罠にかかったうさぎというわけ・・・ M君は一週間に一度は遅刻という感じなのだが、周りも最近はそれになれてきて「M、また遅刻か、次がんばれよ」という感じなのだ。とにかく何かに怒っているのだ、M君は・・・。会社にか?社会にか?上司にか?家族にか?オレにか?ガキの頃だっこしてくれなかった母親にか?自分の才能を認めてくれないすべての存在にか? よくわからない・・・。まるで部屋に入ってきた得体の知れない毛虫を見ているよう。何を考えているのかがまったくわからないのだ。仕事が終わり湯島にパソコンを直しに行く。帰りにインド料理店で食事。帰りの電車の中で決めた。「会社やめよう!」・・・・・・いや、待てよ、こんな重大なことをあっさりきめるなんて・・・。会社をやめるということは、いまのすべてを失ってしまうかもしれないのだ。お金も、誇りも、たぶん多くの「友人」も・・・。自分から危険な渦に入っていくのだ。 |
| 前述の問題をひきつづき考える。私にとってこの問題(退社するか、しないで現状維持か)というのは、中南米マガジン創刊からの問題なのである。というより、入社時からの問題といってもいいだろう。いまの会社に入社して18年。思えば楽しいことばかりではなかった・・・。私にとって「会社」とは、人生の荒波から自分を守ってくれる(時にはうっとうしい)親のような存在なのである。もっといえば、今、私と会社の関係は、愛のない夫婦のようなものなのである。生活のためにしかたなく一緒になっているが、こころはさめている・・・。 会社の帰り、ジュンク堂による。帰宅して食事。「フランス語会話」みる。そのまま寝ればいいんだけど、エレカシとか、五輪真弓とかのCD聞く。MJQとかも聞いたけど、クライからだめ。そういえば最近サルサなんて全然きかないなあ。 |
| 日曜日。昨日からの問題を考える。まず、会社をやめるか、やめないかの選択。やめれば、自分でも納得のいく出版物がつくれると思う。しかし、やめれば、いままでの収入は絶たれる。もしやめなければ、収入は今のまま(かどうかはわからない?)。しかも、なんとなくごまかしたような企画になってしまう。もし仮にやめたとして、お金がない状態でベストのものがつくれるのか・・・。とはいってもお金がないわけではない。貯金も、退職金も・・・。でもそんなものはすぐなくなってしまう。そうこうしているうちに午後1時。「噂の東京マガジン」見る。 |
| 土曜日。仕事。9時出社。仕事ない。5時仕事終わる。帰る途中いろいろ考える。メキシコ音楽の本は目下停滞状態。そして中南米マガジンも、10号、11号は自分としてはいい出来とは思えない。やはり雑誌はドーンと特集があって、それが雑誌の目玉で、資料的価値もあるというものなのだ。 ではどうすればいい。やめるか(会社を?)、やめるか(単行本を?)。まず、単行本をやめるという選択は・・・・・・、やはりこれは考えられない。この考えは排除したい。これまでずいぶん、このことでがんばってきたのだし、いっしょにがんばっている「とある若い女性たち」の前で、男を下げるこの選択は、どうしても自分自身受けいれられない。自分にとってそれは「負け犬」になることを意味するのだ! となると単行本はつくるということだが、それはどうやって・・・。帰宅。テレビでワールドカップ見る。深夜、エレカシ聞く。就寝。 |
| 皆様、私は生まれてはじめて「講師」になったよ。とある団体から「中南米事情について話してくれ」といわれたので、この日、一席お話させていただいたよ。雑誌も数冊、Tシャツも一着売れた。終わったあと近所の「村さ来」で懇親会。参加者はみんないい人だった。 |
| 配達集金の日。配達の車だしてくれる人がきてくれたよ。なんでも中南米マガジンに就職したいとのこと。それはことわったけど、でも車をだしてくれた。当日は4WDっていうんですかね? 戦車みたいな車でやってきた。車のカーナビで遊んで楽しかった。「札幌」と入力したりとか。午後9時終了。朝霞駅で別れた。 |
| 9時出社。朝、びっくりするようなことがおこったよ。ある女性社員に電話がかかってきた。受けたM君が「○さん、電話」といった。「えっ? 聞こえない」「電話!」「聞こえないって」「よく聞けよ! 電話だよ! バカじゃねーのか!」それを聞いた部長が「おい、M、その言いぐさはなんだ!」そんなわけで朝から大げんかという次第・・・。自慢じゃないけど、私はいままで上司にたてついたことなんか一度もないけど、M君って、その点女性だろうが上司だろうが、おかまいなし、自分にたてついたり意見するものは一切許さんという感じなのだ。M君は朝から機嫌が悪そうだった。機嫌が悪い時は、顔が赤くなるのである。そんなわけで最近は、必要なこと以外M君とは会話しない。 昼休み。なんとなく気分いい。雑誌は入稿したし、横浜と奈良から定期購読の入金があったからね。 |
| 9時出社。退社後速攻で印刷所へ。目次を渡す。終わったあと飯田橋の中華料理屋でラーメンとビール。ごくろうさまでした! |
| 9時出社。昼休みあちこちに電話。相手も昼休みということが多い。夜、印刷所へ版下持っていくために飯田橋へ。と、デザイナーさんが目次原稿を出力していないことが判明。ちょーガックシ! 印刷所に電話。事情を説明。目次だけあした入稿ということで了解を得る。ひどく疲れた気分。足が重い。なんっていうか、だるいのだ、ものすごく。 |
| 9時出社。昼休み、各方面に電話。原稿は誤字をチェックし一発校了をめざす。この分では早くいけるかも・・・。今号も苦しかったけど、なんか生きるパワーが出てきた。でも入稿日まで休暇はなしというのは厳しい。25日(発売日)は休暇取れたけど。退社。速攻帰宅のはずが余裕こいて池袋のジュンク堂へ。ちょっと立ち読み。帰宅。中南米マガジン&メキシコ音楽本の作業。 |
| というわけで原稿は全部揃った。入稿は少し余裕をもたせて次の月曜日に。昼休み、印刷会社に電話。「月曜日に入稿ということで」と話す。レイアウト用紙と原稿を渡しに駅前で担当者と待ち合わせ。 1時からまた会社の仕事。用事いろいろ。今の私の直属の上司はものの言い方がちょっとぞんざいな人で、きたばかりの時はムッとしたときもあったが、よくよく観察してみると仕事はできるし人間としてもいい人なのである。確かに、仕事に必要な知識の量とそれを駆使しての判断には相当なものがあるのである。だから、前述のようなコミュニケーションの取り方は、こちらが受け入れなければならない。回りの人がみなそれを受け入れているように・・・。 仕事終り帰宅。中南米マガジンの仕事。終わって駅前のコンビニで買った缶チューハイ飲む。就寝。 |
| 9時出社。気が重い。結局、写真原稿2点、記事原稿が1点いまだ入らず。これじゃ雑誌は出せない。正午、印刷会社に電話、事情を説明し、入稿日を延期してもらう。いやな気分。いつ出せるかわからないことも説明。3時。とある人に電話。中南米マガジンに興味をもった人が留守電にメッセージを残してくれた。1時から5時までの間に電話してくれとのこと。したがって3時の15分の休憩時間に電話したのだ。3時になると会社から猛ダッシュ。近くの公衆電話へ。相手と話す。しかしだ。相手は用件をなかなか話さず、「雑誌を作ったきっかけは?」とか「浅草のサンバカーニバルはどうだこうだ・・・」といわゆる世間話(友達と話すときのような・・・)を話してくる。相手は100%善意だということはわかっていたが、とにかくこちらは用件(買うか買わないか)を話してほしいのだ!3時15分少し前、「すいません、会議がありまして、失礼します」といって強引に電話を切ってしまった。それから会社に猛ダッシュ! なんとか仕事に間に合った。もう本当、寝不足で全力疾走して、死ぬかと思ったよ! でも読者一人減らしたかもね・・・。7時仕事終わる。速攻帰宅。記事原稿がメールで、写真原稿が郵便で届いていた。 |
| 会社は休暇。1時起床。なんか体だるい。やる気がでない。せっかくの休暇なのに。中南米マガジンの作業。写真原稿がこない。電話しても相手いない。なんだかひどくイライラする。今日やんなきゃ、今やんなきゃ、という気持ちが強い。夜、中南米マガジンの用事で外出。中華料理屋でラーメンの夕食。ビールも飲む。最近、酒量がふえた。あまりビールおいしくない。苦い。帰宅。2時まで中南米マガジンの仕事。 |
| 9時出社。きょうから10日まで休暇申請していたが、認められたのは9日だけ。雑誌づくりもおおづめ、1日でも多く休暇がほしいところなのに・・・(しかしだ。4月に入ってから1日も休暇、4日も休暇、それなのに8〜10日も休暇とは「会社とらせすぎ」とX嬢はいっていました)11時。書類に間違いがないかチェックする仕事。中南米マガジンでも同じような仕事をしているが、正直このしごとが会社でする仕事のなかで一番苦手な仕事なのである。毎日やっているのになかな か熱が入らない。昼食。7時まで残業。その後安斎氏とあう。飯田橋。御茶ノ水よりの出口。5叉路の道路にかかる橋。中南米マガジン創刊以来何度この橋を渡ったことだろう。俺たちの泪橋だぜ! 逆に渡ろうぜ! 帰宅。中南米マガジン&メキシコ本の作業。どんことやったかというと、締切まぎわにやってきた写真原稿の縮小率の指定、そして一番やりたくない仕事=あまりいい原稿じゃないので、もう一度書きなおしてくださいとつげる仕事・・・誰においても、書くという行為は、書かないという過去より、はるかにすばらしく意義のあることなのである。だからまずこれを称えなければならない。かいてくれてありがとうと。そしてなぜよくないと考えたのか、私は文章の専門家でもなく、一介の庶民にすぎないが、私が考えるにうんぬんかんぬん。文章をかんがえているうちひどく興奮してしまってなかなか眠れなかったけど、明日は休暇だからまあいいか・・・ |
| すまん! ここんところ更新をさぼっておった。というわけでもう4月なのだよ諸君・・・この日は休暇をとって仲間ととあるFM局へ取材。終わったあと食事。帰宅して中南米マガジンの仕事。 |
| 山大と、中南米マガジンのことでとある税理士に相談。場所は大山(板橋区)。相談の結果=税理士のお答えはわが計算と若干違う。それでもいいぜ・・・今は手持ちのカードで勝負するしかないが、いずれチャンスカードがやってくる。帰りに山大とピザ食う。それはそうと、ここんところ定期購読絶好調なのだ。最近も大阪府門真市、宮城県角田市、きょうも横浜から申し込みがあったぜ。 |
| 9時出社。年末で仕事ない。M君は機嫌いい。彼と世間話。彼の話は自慢話系の話題が多い。たぶん本当はいいやつなんだと思うけど、コミュニケーション能力に問題ありありなのだ。相手の話から話題を発展させるとか、冷静に自説を主張するとか、そういう能力がちょっと・・・・・・。 仕事終わり、職場の忘年会。ゲーム、カラオケ、そつなくこなした。今の職場の人たちも、中南米マガジンを知ってる人が若干・・・。このHPの駄文も読まれているかもしれない。私が職場の同僚の人達にいえることは2つだけなのだ。いろいろあるけどみんないい人、そして、オレはオレの道を行く。 |
| 9時出社。ある会社の同僚を見かける。表情がないのが気になる。体の具合が悪いのだろうか? 以前一緒に飲んだ時、フランス外人部隊に入隊した若者が話題になった。外人部隊で自分を試したいのだと。「その気持ちはわかるよ」と いっていたのが思い出される。帰宅すると札幌からバックナンバーと定期購読の申し出が。やったっす。 |
| 諸君、すまん! 11月5日に重大な出来事があったのだ。1時にさる重要人物と会食したのだよ。場所は梅田ヒルトンホテル。ホテルのロビーで待ち合わせていると、重要人物が登場。上のレストランへ。ヤングエグゼクティブはよー、ヒルトンでめしぐらい食うわけよ。それから、ここのところ、私の会社生活のこと、いろいろ書いてるけど、私も「顔色うかがいゲーム」みたいなことやるの、いやなのだよ・・・。ま、これも生活のため、中南米マガジンのためと思って、暖かくみてくださいな。 |
| 朝、千日前のカプセルホテルで起床。喫茶店で朝食。モーニングおいしい。天満の取次へ。話いろいろ。会社をでると雨ふってきた。京都へ。ちょっと京都観光。夜、新幹線で帰宅。車内で缶ビールとサンドイッチ購入。車窓をみながら食べる。・・・・明日から会社かー、いやだなー、・・・・そういえば、銀河鉄道999書いた人って、真夜中の新幹線の車窓にヒントを得たにちがいないね・・・・・・、いろんな会社の看板があっというまにあらわれては消えているもの・・・、汽車はー、闇を抜ーけてー、ひかーりの海へー、だったっけ・・・、ところでカツサンドって、乙葉だね・・・、あー、はさまれてみてーもんだなー、なんてことを考えているうち、東京駅へ。 |
| 朝、大阪市内のカプセルホテルで起床。近くの喫茶店でモーニングサービスの朝食。高槻に。とある読者と会食。3時頃、大阪市内にもどる。夕方、関西お食事会の会場の待ち合わせ場所、道頓堀のタワレコ前に。と、店がない!焦った。道頓堀前にあったとおもったんだけどなあ、タワレコ・・・近くの店に聞きまくったところ、アメリカ村にあるとのこと。アメリカ村に。あった!結局参加者は7人。いい数字だ。終わったあと、千日前のカプセルホテルに。一泊3000円。しかしマッサージを頼んでしまった。マッサージ4000円。 |
| 会社の商品を売りにとあるイベント会場へ。3時くらいまで働いた。夜、新幹線で関西営業に出発。 |
| 9時出社。M君は不機嫌だった。顔が赤かった。私は書類を整理していた。彼はパソコンを操作していた。ところでその時、私は彼にとある仕事上の質問があったのだが、当然、そんなやつに話しかけるのはいやだった。だが話すタイミングをうかがっているうち、これはひとつのチャンスではないかと思えてきた。きのうまでの旅行で職場内の世論は圧倒的に私に同情的で、M君に批判的だということにも気づいたし、M君がまた暴言を吐けば、私が日々いかにいやな思いをしているかを改めて周囲に知らしめることができる・・・ そこで、きわめて紳士的に聞いた。「Mさん、AはBなんじゃないんですか?」(もちろん質問は適切なもの)「無言・・・・・・・・・」それから30分後に改めて聞いてみた。「Mさん、どうなんですか、AはBなんじゃないんでしょうか」するとM君は私の予測どおり「うるせえ、お前は俺に指図する気かよ、あ、ふざけんなよ!ばかじゃねーのか!あ、帰れよ」と私の目をまっすぐみないで(その瞳にはきっと、兄弟と比較されたり、親に「お前なんか生まれなきゃよかった」なんていわれたりといった悲しい子供時代が映っていたんでしょう)大きな声でわめきちらしはじめた。 すると、周囲の人たちが「おい、どうしたんだ?」「M、またか、今度はなんだ?」「いいかげんにしろ!」といいはじめた。「M、乱暴な口の聞き方はもうやめろ」「Mさん、まともに話して」 11時30分に会議。ここでも私は朝の出来事を話し、M君の粗暴な態度に大変迷惑していると主張した(そういう主張を会議ですると予測していたので、スラスラと言葉が口から出てきたわけね) 午後、M君が謝ってきた。「お互いがんばりましょう」と返事。帰宅。食事。風呂。テレビでアフガン爆撃のニュース。ひどい話だ・・・アフガン人はいくら殺してもいいのだろうか?就寝。 |
| 大船渡の民宿で起床。朝食おいしい。マイクロバスで気仙沼へ。街寂れた感じ。人がいない。わかめを3箱買う。マイクロバスで仙台へ移動。仙台駅前で自由時間が30分あったので中南米マガジンがおいてある近くの書店へ速攻営業。店員さんに「中南米マガジンよろしく」と声をかける。新幹線で上野へ。帰宅。 |
| 職場の旅行で岩手県大船渡市にいった。正直あまりおもしろくなかった。この種の社内イベントはどうしても社内の人間関係がまんまもちこまれるもの。ひとりひとりはいいひとなのだが、上下関係を完全に払拭することはできない。とまった民宿は同僚の親族が経営しているそうで、海沿いの風光明媚なところ。夕食はすごいご馳走だった。夕食のあとカラオケ。矢沢永吉を歌った。 |
| Sさんが亡くなったとの知らせが入った。仕事を終わってお通夜に出席。場所は調布だった。仕事を早めに終わらせてもらって、京王線に乗って、布田という駅で降りた。お通夜に出た。Sさんは子供が多かったので(4人いた)同級生の子供とその親らしき人がたくさんいた。焼香をすませる。帰る前、雨が降ってきた。布田駅前のコンビニで立ち読み。帰宅。さようなら、Sさん・・・ |
| 中南米マガジン製作も大詰め。朝9時出社。天気はいい。ときどきトイレにはいって、携帯電話で作業の指示。11時ごろ、仕事中に、突如激しい動悸が。と同時に、不安感が襲ってきた。予期不安ってやつだ。しかしだ。私はこれに対処できるのである。ある本に、これがきたら「よくきたな、だまってそこで俺が生きる様をみておれ」と心の不安に呼びかける(もちろん心の中で)のがいいという話があるのだが、私の心の戦いはそんなもんだ。昼食、あまりおいしくない。まわりのひとたちは私の心のなかでおこっているドラマなど知らない。退社。飯田橋のレフで中南米マガジンの作業。 |
| 会社休暇がとれた。朝拙宅に電話。とある会社が面白いから買い取りたいとのこと。ナイスタイミング!在宅のときに電話かけてくるなんて。飯田橋のレフで中南米マガジンの作業。夜、雨がふってきた。前述の会社にいく。「とても面白い」との感想。お店で売りたいそうだ。買い取り、やったぜ! |
| とあるイベントで中南米マガジンの販売。最新号5冊、バックナンバー2冊売れた。買ったのは尼崎の女性、世田谷区の女性、中野区の男性など。 |
| 会社は休み。一日中中南米マガジンの仕事。昼、駅前の珈琲館で食事。 |
| 会社は休み。一日中中南米マガジンの仕事。 |
| 会社前日に続いて休み。一日中中南米マガジンの作業。夜、ふじみ野のラーメン屋で食事。 |
| 会社は休み。一日中自宅で中南米マガジンの仕事。夜、ファミレスで食事。 |
| 会社休暇を取った。コロンビアゲリラの学習会に出席。若い女性が質問。「パラミリタールとはなんですか」ところが講師は大変高度な内容の回答。「パラミリタールとは何?」という彼女の素朴な疑問に答える内容ではなかった。いかんよなあ、あれじゃ。帰宅。中南米マガジンの作業。風呂に入る。缶ビールを1本飲む。就寝。 |
| とあるイベントで中南米マガジンの販売。場所は四谷だった。1冊売れた。あとTシャツも1着。 |
| 横浜お食事会の日。当日集まったのは10人余。楽しい夜だった。雑誌も結構売れたぞ。私の営業戦略としては、「読者の組織化」ってやつをやってみたい。旅行人みたいに読者の皆さんとハイキングにいったりするとかね。大阪に何十人、福岡に何十人、札幌に何十人と読者がいて、それぞれお互い知り合っていて、定期的に「読者会」みたいな会合持つとかさ・・・。当日は読者の皆さんに対して気を使ったが、いいひとばかりで助かった。 |
| 9時出社。6時に仕事終わらせてもらう。そのまま新宿の紀伊国屋書店で待ち合わせ。とある音楽評論家と合流し、近くのインド料理店へ。メキシコ音楽の本について相談。その人は私と同年代だが、なんでも知ってる博識な人。話おおいに盛り上がる。帰宅。就寝。 |
| 仕事が終わった後、安斎さん、山大とメキシコ音楽本の打ち合わせ。印刷所から見積もりの金額が提示される。思ったより高い。印刷代だけで80万円。取次とかもうまく通せるかどうか? 3人で飯田橋の「天狗」で食事。安いけど店内うるさい。帰宅。風呂。「イタリア史」読む。就寝。 |
| ゴールデンウィークがあけた。新しく今の職場にやってきたNさんにあいさつ。Nさんとは元の職場ではいろいろあったけど、冗談もいうし、いい人。 M君は、さる筋から「金安君への態度をあらためるように」という声があったみたいで、最近はおとなしい。私もやっと仕事もおぼえてきて、作業にリズムがでてきた。 |
| 休日。昼2時起床。半日損した気分。大山の駅前の喫茶店で安斎氏と山大氏と待ち合わせ。メキシコ音楽の計画話す。がんばろうと意志統一。高揚した気分。なんといっても類書がない。もちろん日本にメキシコ音楽を紹介した先人の業績は評価するが、オレたちはオレたちのやりかたで本をつくらせてもらう。いまにみてろよ!帰宅。グイッチャルディーニの「イタリア史」第1巻読む。 |
| 仕事が終わり、代々木のルノアールに友人たちがあつまった。やはり、Sさんはかなり重い(というより助からない)病気におそわれているのだった。昔、中南米マガジンという雑誌をつくるという話はあったが、どうしていいのかよくわからなかったときに、Sさんに相談にいったものである。Sさんも出版のことはよくわからず、「とにかくがんばる」というのがその時の二人の結論だった。そしてその後、私たちの関係は疎遠になり、私は中南米マガジンのこともSさんにまったく報告しなかった。私どもはSさんに相談しにいった頃は、雑誌をミュージックマガジンやラティーナのような、本格的音楽評論誌にするつもりだったのである。だから私はSさんにたいし、大学受験に失敗してコメディアンになろうとしている若者が、かつての恩師にかんじる申し訳なさみたいなものを感じていたのだった。そして気がついたときには、Sさんはその49年の生涯を閉じようとしていたのだった。くらい気持ちで家路につく。帰る道中でふと考えた。メキシコ音楽の本をつくってみたらどうだろう・・・。考えてみれば、営業にいって断られた取次からは、「商品点数が少ない」といわれたことがしばしばある。それなら商品点数をふやせばいいではないか・・・。われわれはもう販路もある、コードもある、書き手もいる、そして一番大切なもの___資金もあるわけだ。・・・いやまてよ。そんなことを軽軽に決めてしまうなんて・・・音楽雑誌となれば、表紙4色、アーチスト写真、ジャケット写真バンバン、いったいいくらかかるのか、目がくらむようだ・・・はっきりしているのは、その本をこころからつくりたいという気持ちだけ。具体的な成功への展望となると・・・、天竺へ向かう途中で遠くヒマラヤ山脈を仰ぎ見る三蔵法師のような心境だ。 |
| 9時出社。仕事は相変わらず。仕事終わって高田馬場の書店に売れ行きチェック。10冊納品して6冊残。帰りの高田馬場駅のホームで、突如私の携帯がなった。友人のTさんからだった。友人のSさんが脳腫瘍で入院し、余命いくばくもないのだと・・・・・・。とにかく明日、Sさんにかかわりのある何人かで、代々木のルノアールであおうということに。くらい気持ちで帰宅。 |
| 9時出社。昔の職場の人にあう。そのひとが語るに「この前、おまえが働いてるとこ見たけど、おまえ、ずいぶんさびしそうに仕事してるな」とのこと。「昔よー、トラックによ、Mのやつが何かいってるんだよ。バカ野郎とか、この野郎とかいってんの。俺一瞬、目が点になってよー、誰ものってないトラックにだぜ・・・。あいつ大丈夫かい? 頭のほうはよー。ま、おまえも大変だな」 |
| 中南米マガジンの発売日。一日中配達。疲れた。 |
| 休暇をとった(といってもこの日は本来中南米マガジンの発売日だったのです。発売が延びたので、この日はひまになったのでした)。吉祥寺へ営業に。3軒回った。それから横浜へ。営業&はりをうちに。 |
| 9時出社。お昼ごろ、会社の女性と雑談。その人はいい人で、私も好意をもって接している。その人がいうには、私はいまの会社に定年までつとめるのが一番いいのだという。あなたがいままでいた職場は、もうなくなるのだし、いまの職場が不満なら、会社をやめるしかない。会社をやめても、当節ロクな再就職先はないから、結局賃金の面でも、労働条件の面でも、退社は人生にとってマイナスなのだと・・・。いろいろ不満はあるかもしれないが、こつこつがんばれば、かならず仕事を覚えられる。それが彼女の言葉だった。なるほど。しかし、人生とは何かという疑問は残る。もし、人生というものが、安全第一ということであれば、いまの会社にとどまるのが、ベストの選択だろう。楽しさとか「意義」とか、そういう面からみれば、また人生の見方は違う。そんな話をしてくれたその人も、あまり楽しそうに仕事してないけど。「ドイツ参謀本部興亡史」読了。面白かった。 |
| てなわけで雑誌も無事製作でき、4月4日に発売ということになった。この日は会社も休暇をとり、日本将棋連盟主催の会社対抗職域団体戦に参加。場所は幕張メッセ。私自身は1勝2敗だった。終わったあと、電車にのってあてもなく旅の途に。八街でおりて町をブラブラ歩いた。楽しかった。 |
| 9時出社。M君は相変わらず。パソコンに向かって「○×のヤロー、ブッ殺してやる」なんていってる。7時まで仕事。飯田橋へ。安斎氏と協議&世間話。写真が入っている紙袋に手をのばすと、アッター!捜してた写真が!写真が入っている紙袋は、紙袋を紙袋にいれる二重構造になっているのだが、紙袋と紙袋の間にはいっていたのだ。しかしなぜ?そこはまず最初に見て、それ以来何度も捜したところ。おっかしいなあ?でもあってよかった。でてきた写真があったところはもう組替えずみでまにあわないけど、とにかく土下座はしないですんだ。早速関係者に連絡。 |
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9時出社。M君はパソコンに向かって「○×のヤロー、ふざけやがって!」とか「バカヤロー、いいかげんにしろ」とかぶつぶついってる。何に怒っているのか、よくわからない。トイレだけがほっとできる場所だよ・・・息がつまりそうな時間を過ごした後、昼休みから退社後にかけて、関係各方面に電話で事情を説明。相手の反応は様々。写真が見つかればいいですね、と好意的な反応もあり、そうでないものもあり・・・。電話で、写真をつかう部分のページの組み替えを指示。写真の持ち主にはどうしよう、土下座しようかなあ・・・。やっぱりオレって、バカだな。椎名誠さんも中央線に本の雑誌の原稿置き忘れて、なくしたことあったらしいけど・・・。・・・死んでしまおうか・・・、死んだらみんなも写真なくした事なんか水に流して「金安はいいやつだった、中南米マガジンのためにがんばったよ」とお通夜の席で回想してくれるかもしれない・・・東武東上線のドアのガラスに映る自分をみながら、そんなことボンヤリと考えたよ。 |
| 日曜日。会社は休み。心労で猛烈に体がだるく、一日中布団のなかで横になっていた。 |
| 土曜日。会社は休み。一日中家で写真捜し。朝の5時まで捜した。 |
| 夜、6時15分まで残業。それから飯田橋へ。写真等の最終確認。と、写真がない・・・ある部分の写真がないのだ!写真がなければ雑誌はつくれん。速攻帰宅し、部屋中捜すが見当たらず・・・ |
| いろいろあったけど、とうとう発行のゴールが見えてきた。今日は仲間がそろっての作業の日。私もめでたく休暇がとれた。会社については、以前はなしたM君だが、なんども粗暴な発言をくりかえすので、ある日「そういう粗暴な発言はやめてくださいよ」と大きな声でいったら、その後上司に「乱暴な発言はやめるように」といわれていたようだ。しかし「金安君もいっそう職務に励むように」といわれて、けんか両成敗的な結末に。ときどき、昔の仕事仲間がやってきて「金安さん、元気?」とか声をかけてくれるのがうれしい。でもそんなことより大切なのは雑誌の進行状況だ。12時すぎまで仲間と作業。楽しかった。 |
| 中南米マガジンのことでどうしてもある女性にあわなければならなくなった。どうしてそのひとにあわなければならないかはここでは書けないが、とにかくそのひとにあわなければならないのだ。そのひとにはもうすでに電話もFAXもメールも送ったのだが、なしのつぶて。それでしかたなくこの日、そのひとの自宅に乗り込み、一気にナシをつけることにしたのだった。その人の家は東京近郊のとある町にある。駅からもかなり離れているから、駅からタクシーに乗った。しばらく走っていると、車から見る風景は、新興住宅地みたいな町並みから、雑木林や畑ばかりの田舎的な風景に変わってきた。適当な所でタクシーを降りて、相手の家を捜した。苦労してさがしたよ。「この家じゃないか」という、大きくて広い農家風の家に近くにいくと、子供が数人、道端で遊んでいる。「どこいくの?」と子供に声をかけられたよ。「ここ○×さんのうちかい」「そうだよ」「○×□△さん知ってる」「あたしのおばちゃん!」家に向かって歩く間も「これ、家でなったみかんのジュースだよ」なんてみかんにストローさしてあとについてくる。これでいいのか? と思うほど無警戒な子供たちなんだぜ。すると、家からエプロン姿の若い女性が出てきた。その女性は大変美しい女性で、私の好みだということを正直告白しよう。 「めぞん一刻だ!」と思ったね。「すいません。私は中南米マガジンの金安と申しますが、○×さんのお宅を捜しているんですが」「○×は姉ですが」 私は事情を説明して、ぜひとも電話がほしいと、音無響子さんに話した。「姉に話します」と響子さん。 それにしても、現代の桃源郷みたいなところじゃないか・・・木にはみかんがなってるし、こんな所でこんな女性と所帯が持って子供たちに囲まれて暮らせたら・・・ ここのところお疲れ気味だった私の人生に、この日であった皆さんは素敵な思い出をくれたのだった。 |
| 9時出社。上司に、3月29日と30日の休暇を申請。認められる。思わず心のなかでガッツポーズしちゃったよ。この日は中南米マガジンの発売予定日。やったっす。中南米マガジンもようやく発売のメドがたってきた。苦しかったよ、製作は・・・。12月のころは廃刊を覚悟していたもんね。しかしまだまだ課題は山積。がんばるっす。 |
| 9時出社。M君に仕事のことで質問。 「すいません、Mさん、ここなんですが」 「・・・・・・・・・」 「AはBにとこの前おしえていただいたんですが、この書類にはAはCにと書いてありますが、ということはAはCにということですか?」 「・・・・・・この前教えた通り」 「ということはAはBにということですかね」 「そんなこともわからないんですか。自分で考えられないんですか」 「ええ・・・。まあ。教えていただけませんかね・・・」 「自分で考えろよ」 「次からは自分で考えますから、今だけは教えていただけませんか」 「(大きな声で)うるせーな! しらねーよ」 諸君、このことはこの日だけじゃなくて、毎日のことなんだぜ。こうゆう扱われ方を「いじめ」というんじゃないでしょうか? 私がいまいる職場は社員同士の仲が悪いから、M君はいじめがいのあるヤツ(私のこと)がやってきたわいとおもっているのかもね。 もといた職場では「あそこはいじめがあるから」などと私に忠告してくれた人がいた。私の前にいた人もさんざんいじめられてもとの職場に戻してくれるよう頼み込んだのだと。 まさか、冗談だろ、と思っていたが、それも納得できる日々だ。 |
| 9時出社。なんかミスがあったらしい。前述の「どこか自分の殻に閉じこもっている」人(長いのでこれからはM君と呼ばせていただきます)が「金安さんがやったに決まっている」こんなミスは金安さんしかやらないからだと。俺の目をみずに、いったよ。面倒くさいから「すいませんすいません」とあやまっちゃったよ。まあでも夕方になればM君の機嫌もよくなるから・・・ 5時30分まで残業。 |
| 昨日の夜、自宅の留守電に上司から「出勤してくれ」とのメッセージが。酔いも一気にさめたぜ。 でも土曜日の出勤は電車がすいてていい。それだけで全然違うね。5時15分まで仕事。速攻帰宅。 自宅で中南米マガジンの作業。中南米マガジンもそろそろださなければ・・・ |
| 研修で取引先の工場へ。場所は三郷。楽しかったし勉強になった。それから横浜へ針灸をうちにいった。帰りに横浜駅前の中華料理屋で夕食。パイカルという強い酒を飲んだ。強い酒をあおらずにいられない気分だった。 |
| 仕事は5時45分まで。それから高田馬場のアフリカレストランへ。ある人のお誕生会。 会社不満大会して盛り上がった。傘をプレゼントしたら喜ばれた。帰る途中で小林信彦の「横山やすし 天才伝説」を読む。 小林さんという人は映画や芸能を書かせたらすばらしいのだが、政治や社会についての見方や意見はいまいちだ。そんな彼のいい面がでた作品だと思う。 |
| 朝9時出社。昨日の年配の同僚に、「昨日はナイスでした。感動しましたよ」という。相手の男性は照れていた。 仕事はあまりない。以前話した、どこか自分の殻に閉じこもっているような同僚とも結構会話した。 この、フィーリングの合わない相棒については、私もかなり観察を深めておる。彼は低血圧気味なのか、朝はひどく機嫌が悪い。一日が過ぎゆくにつれ機嫌がよくなり、仕事が終わるころには、二人の友情のバロメーターは一気にはねあがるというわけ。 彼はアニメ好きなのである。ガッチャマンとかヤッターマンといったタツノコプロ系のアニメが好きなのだ。そこで仕事が終わったあと、「○×さん、アニメがすきなんですよね。俺も昔はよく見たもんですよ。ルパン三世とか、宇宙戦艦ヤマトとか・・・」 会話ははずまなかった。 |
| 今日も会社に行きたくなかった。道中はまったくゴルゴダの丘に向かうキリストのような心境だったぜ。かくされた決意は固いが、前途に希望の光は見えない。雑誌が売れてるわけじゃないし、もっと条件のいい会社に転職できるわけでもない。午後、私といっしょに制作管理課に配属された年配の男性が同僚と口論になった。「いいとしした男がよー、はいわかりましたって頭さげてんだぜ、オメーにはその気持ちがわかんないのかよ!」その光景をみて、おれの気持ちのなかで何かがスパークした。何といったらいいか、すごくリスペクトしてしまったよ。それをいった年配の男性はすごくいい人だしね。もう一度、もう一度、ねじをまきなおすぜ!それに季節はもうすぐ春。私は一年中のなかで3月が一番好き。1日1日冬でなくなっていく感覚がいい。暖かくなれば私の人生にも新たな展開があるかもしれないぜ! |
| 10時から会社の会議。おおいにためになった。わが社をめぐる産業動向とか、そんな話し。 5時45分退社。コロンビアゲリラがテーマの学習会へ。講師はコロンビアゲリラのことをよく知っている。コロンビアゲリラにくわしい日本人が、この世にいるなんて驚き。いろいろなことよくご存知だ。一人かわいい女の子がいた。彼女が「中南米マガジンよく読んでますよ」とかいってくれれば、「いろいろあったけど、今日はいい日だったね」と思えるんだけど、中南米マガジンのことは知らないみたいだった。 |
| この日も、朝、会社に行きたくない病の激しい発作に襲われる(ここのところ、こんな話題ばかりですいません )激しい葛藤の末、ようやく会社へ。東武東上線がまたこむんだよ!角のコンビ二へ、駅の手前の銀行へ。上福岡駅へ、池袋駅へ、会社の手前のスーパーへ、職場の受付へ、ロッカールームへ。 しかしだ。自分との戦いというのは、実に孤独なもんじゃないだろうか。 私の直属の上司というのは、悪いひとではないんだけど、会社人間だ。私はこの人が仕事以外のことを何か話すのを聞いたことがない。昼休みも仕事、日曜日も休日出勤だ。家族はお父さんのことをどう思ってんだろ?上司はそんな人生に満足してるんだろうか。 6時45分まで残業。残業は人生の吸血鬼だ。はした金とひきかえに愛も夢も家族も犠牲にしてしまうんだもの・・・。くたくたになって帰宅。 |
| 朝の山手線で、どういう事情なのか知らないが、ボロボロ涙を流している中島みゆきみたいな女がいたよ。ま、俺も泣きたい気分で出社してるけどね。 お互いがんばろうぜ!仕事は忙しくて、7時15分まで残業。速攻帰宅。風呂。食事。中南米マガジンの仕事。 |
| 会社にもっともいきたくなかった日、という日が11日だったけど、この日もそうとうな「会社にいきたくなかった日」だった。「会社にいきたくない」という波が俺にむかってなんども打ちおろしてきた。さかまく波を乗り越えて会社にいったよ。 6時まで仕事。26日に休暇を申請したけど、却下されたよ。これで5度目。なぜ?さっぱりわからん。速攻帰宅。「いきもの地球紀行」の動物のけなげな生き様に超感動して、ぼろぼろ涙をながす。 中南米マガジンの仕事はまだまだたくさん。いったいいつできあがるのか、わからん。あと2〜3年かかるかも・・・。 |
| 9時出社。最近仕事もなれてきた。12時昼休み。昼休みは営業タイムだ。いろいろな所に電話。相手も昼休みという場合が多い。上司に休暇願いを出すが、だめだとのこと。これで休暇申請却下は4度目。なぜだ!一応人がいるときをえらんで申請しているのに・・・ 6時45分まで残業。速攻帰宅。食事。風呂。中南米マガジンの仕事。 |
| この日は、私の生涯の中でも「もっとも会社にいきたくなかった日」として、いつまでも記憶に残るだろう。会社までの道中は、ストレスという水圧のなかを歩くかのようだった。一緒に働く年配の女性は口臭がひどい。タバコ系の口臭だ。鼻がもげそうなんだぜ。でも我慢、我慢。上司は今日もいらいらしている。でも我慢、我慢。同年代の人がいない。でも我慢、我慢。一緒に働いている仲間も大なり小なり感じていると思うけど、仕事はやりがいがない。とにかく我慢、我慢。中南米マガジンという窓をとうしてみた社会は、原色に彩られたきらめく世界だ。ハバナの旧市街、リオのカーニバル、イグアスの滝・・・。会社という窓をとうして見た社会は、墓場のような灰色だ。年配の同僚が「こんな世の中だから、どんなことがあっても定年まで会社にしがみつかなくちゃ」なんていっていたっけ。 |
| 皆さん、私は昨日ノート型パソコンを買いました。そんなわけで、メール完全復活です。ばんばんメールをくれ。 中南米マガジンは、作業かなり進んだ。しかしだ。昨日で休暇は終わり。今日からまた新たな仕事だ。午後、今月後半から、職場移動した社員への職場教育が始まるといわれた。結構。相手の話しかたから、なんとなく私の社内での評価が低いことがあらためて推察される。私を個人的に知らない中南米マガジン読者は、私が椎名誠と蔵前仁一と渋谷陽一が合体したようなスーパー編集長じゃないかとお思いかもしれませんが、会社勤めしてる私を知っている人は、あいつには絶対できない、中南米マガジンなんて絶対作れないと思うようですね。 実際、どうしても金安が発行人だということが納得できなくて、実は中南米マガジンはとあるあやしい組織が作っていて、俺はそのダミーで、おれはその組織とよなよな「ショーコーショーコー」と歌ってる、と疑ってる人がいたもの。1時30分ごろ、営業本部長から「正月に感動した新聞記事一覧。ぜひ読みなさい」とかゆう紙切れが回覧されてくる。「仕事は楽しくやるもの。苦痛と義務だけの仕事なら人生つまらない」だって!大笑いしたよ(心の中でね)。 |
| 朝から中南米マガジンの仕事。しかしだ。PCがこわれてしもーた。どうにも動かん。お手上げ状態。でも大丈夫、大丈夫。修理は最低一カ月かかるとのこと。皆さん、これから一ヶ月、私にメール送っても駄目ですよ、見ることできないから。これもインターネット喫茶で書いてます。 夕方、駅前の西友へ。カップの年越しそばと缶ビール買う。テレビで紅白とか「行く年来る年」とか見る。 |
| 会社は休み。中南米マガジンの仕事を朝から。いろいろ雑事。パソコンの調子が悪いのが辛い。しかし大丈夫。仕事いままでになくはかどる。その間すこしテレビ見る。メールであらたな定期購読の申し込み。やったっす。 |
| 朝7時頃目が覚めるけど会社にいきたくなくて、布団のなかでじっとしてた。7時29分頃「まけてたまるか!」と力をふりしぼって起床。 9時出社。いやなこといろいろ。でも1月5日から10日まで申請している休暇は、1月6日から9日までは認められるらしい。どーしてなのかなあ、年始めで仕事もないのに。5日から10日まで休ませろや。おそらく、早く仕事覚えてバリバリ残業してほしい、というのが上司の意向なんでしょうね。 大掃除で自分の机を磨いていたら、「そんなところにいるんじゃない!こっちで仕事仕事!」といわれた。私はそんなふうにこき使われる感じがいやだったけど、そこはぐっと我慢。「すいません、今行きます」と上司の命令に従った。 |
| 私もとうとうガマンの限界。思い切って会社のさる人に相談してみた。その人にいわせると、今、私がいる職場はいつも人間関係がギスギスしていて、いやな雰囲気の職場なのだそうだ。金安君の気持ちはよくわかるとのこと。4月にまた人事異動があるから、その時に希望をだしてみたらどうかとのこと。そこでわたしは思い切って中南米マガジンをだし、私は現在雑誌をつくっていて、だから自由な時間がほしい、休暇をとらせてもらえない今の職場はたえられない、今は体調もよくないし、この状態が続くなら会社を辞めたいと訴えた。相手の人は中南米マガジンにびっくりしたようだった。「一冊買おう」といってくれた。そして「この雑誌は赤字なのかい」「はい」「会社の就業規則は知っているね?社員は商売してはいけないというやつ。赤字なら同人誌という言い訳ができるけど」「知ってます」「そうか。私もなるべく力になろう。とりあえず、少しがんばってみてくれ」といった。 |
| 9時出社。すぐに商品のシール貼りの仕事を命令される。夜の7時30分までシール貼りの仕事。でも楽しい。ここのところ、いろいろな職場に応援にいかせられる。ストレスもたまらないし、きばらしができていい。夜帰宅。食事。風呂。もう眠くなる。毎日ストレスがたまって中南米マガジンどころではない。苦しい・・・。 |
| 朝、満員電車で通勤。満員電車で通勤されている方は、毎日よく我慢してますね。私はもうギブアップ寸前すよ。 朝の山手線、女性と体がピッタリ密着。超ヤバイ。「この人痴漢です!」とい われても反論のしようがない。なんとか体を動かそうとするが、まったく身動 きできず。 高田馬場駅でやっと体が少しはなれた。と、金髪美女が乗車。一昔前なら、満員電車に外国人が乗ってくるなんて考えられなかったぜ。グローバル経済の波 が満員電車にまで押し寄せてきてるのだろうか。外人さんも高賃金のため我慢 して満員電車でご通勤ですか・・・。 会社で仕事。結構なれてきた。しかしだ。2000年と年号を入力する仕事で 間違えて3000年と入力していた。1000年も時代をワープしてしまった ぜ。でも大丈夫。自分で気が付いてだれにもきずかれずに直しておいたから ね。 |
| 朝、駅から猛スパートで出社。そのまま朝の会議へ。最近このペースにもなれてきた。昼食。午後、私はちょっとしたミスをしていたらしい。注意される。謝罪。しばらく職場から離れる。帰ってくると派遣の女の子が回りの人たちと 「今度きた人本当ダメね。何度いってもわかんないんだもん」みたいなはなし してる。「オレも一生懸命やってるんだからうんぬんかんぬん」とその場で反論。夕方、かなり仕事の段取りも覚えてきた。6時まで残業。今度の職場は残業が多い。私が世界一嫌いなもの、それは残業。いやでいやでしょうがない。6時 退社。帰りの電車に乗る。電車に乗ってる間、突如不安感が・・・。約2秒間 ぐらい、不安の発作におそわれる。とはいってもそんなに激しいものではな い。「彼」と最初に会った時は心底びっくりして、気が狂うのかと思ったもの だが、いまでは、「彼」は世間でよくある「病気」で、俗に「パニック症候群」といわれるもので、原因もおおかた解明されていることがわかった。 「彼」と会うのはひさしぶりだが、いままで気がくるうのかと思った激しい発作は2回しか経験していない。その2回の発作の時はもちろん、大変印象的な時間だったのだから、日時もよく覚えている。81年10月7日と、87年3月24日だ。 電車を降りてしばらく町をあてもなくさまよう。 |
| 今、わたしと一緒に働いている人は、上司が一人、派遣の女の子が一人、年配 の女性が一人、そしてどこか自分の殻に閉じこもっているような青年が一人のチームだ。 派遣の女の子はいい娘なのだが、機嫌のいい時とそうでない時がある。この日は機嫌の悪い日だ。要領が悪くて、どこかとろい私が我慢ならんという感じ。 ノタノタと仕事してる私のわきで、腕組みして仕事ぶりを監視してる。「何度 いったらわかるの!」「この前教えたでしょ!」私が何度もしつこく仕事の段取りを聞くので頭にきたらしい。年配の女性も、私がちょっと仕事をミスしたら「まぬけですね」だそうだ。 椎名誠さんのようになるつもりだったのに、蔵前仁一さんのようになるつもり だったのに、現実はこれだよ諸君! それでも職場の雰囲気になれようと、回りの人たちに勤めて話しかける。 5時15分退社。帰宅。少し中南米マガジンの仕事する。はかどらない。 |
| 9時出社。またも時間ギリギリの出社。駅から猛スパート。10分くらいパソ コンで仕事してからは何もやることなくブラプラ。誤解のないようにいってお きますが、私は何もいじめられているのではなく、今、やる仕事がないのだ。 回りの同僚の皆さんは私に気を使ってくれている。 5時45分仕事終わる。それからちょっとした用事で会社の同僚に会わなければならないのだが、私はその相手が嫌い。たぶん嫌いなのはお互い様だと思 う。ちょっとした集金にきたのだが、私の顔も見ず、「いま金ない。またこ い」とのこと。給料日すぐだというのに・・・。カッときたが、どんな所にも こういう人間はいるもの。バカは相手しないのが一番だぜ。 帰る前に池袋の芳林堂書店へ。中南米マガジンが「旅行人」のPOPに隠れて客に見えにくくなっている。書店員にきて貰い、位置を直させる。 帰宅。パソコンで執筆と作業。 |
| 今度の職場は朝9時きっかりに会議が始まるので、それまでに作業着に着替えて書類をもって会議室にいなければならない。すさまじいプレッシャーだぜ。 この日も電車がおくれたので駅から猛ダッシュ、社内ランまでしてやっと会議 室セーフだった。 会社の仕事はあったりなかったり。ひまな時はブラブラしてるか机でじっとしてる。 夜、ホームページ製作者と媒体資料作りやTシャツ販売などで会談。身の上話 など。 深夜帰宅。夜、布団のなかで、「人間は死んだらどうなるのか」ということを考える。天国(か地獄)が待ってるのか、新しい何かに生まれ変わるのか(輪廻ってやつね)、それとも眠ってる時みたいな、感覚や意識のない闇が永遠に続くのか・・・。 たぶん人生は一度しかないのだ。だから、今、がんばらねばならない。誰にも見せない心の奥底の剣、ヘラヘラ笑ってる仮面の下の炎だぜ。 |
| 休暇。朝から郵便局にいったり、原稿書きしたりしてた。午後6時、とある町 にて、裏社会にくわしいペルー人と会う。その人と二人で渋谷へ。その人は日本語はカタコト程度だから、渋谷でスペイン語の堪能な人と合流。そのまま渋谷のスペイン料理店へ。裏社会のことなど聞く。サングリアを注文。瓶みたいな容器にサングリアが入っている。3人で飲んだ。パエリア、生ハム、ニシン のくんせいなど注文。会計は1万5千円。スペイン語の堪能な人に半分出して貰う。すいません。楽しい夜だったが、レストランの中はタバコの煙モウモウ。最後は猛烈に頭が痛かった。 |
| 9時出社。仕事もなく、机でじっとしてる。昼食。午後からは仕事を教えても らう。パソコンの操作とか、書類の配布の仕方とか。今度の職場は管理部門だ からか、やたら書類が多い。会議の手配、商品の仕入れ、在庫管理、全部書類 にして関係部署に配布するのだそうだ。昔、そんな会社員が出世する映画って のがあったっけ。「摩天楼はバラ色に」とかなんとかいう名前だった。 午後5時退社。紀ノ国屋書店の残は4冊だった。 |
| 9時出社。少し遅刻して注意される。今度の職場は管理部門だからからか、時 間にはうるさい。会議もきまった時間にかならず始まる。会社主催の講演会にでてくれといわれる。12時半まで講演会に出る。それから昼食。午後からはすることもなく、会社の机でじっとしてる。午後5時15分仕事終わる。6時半、新しい職場の歓迎会に出席。今度の職場 の人たちもいい人たちだけど、年配の人が多い。昔話で盛り上がる。私の新入社員当時の写真をもってきた人がいて、その話でまたもりあがった。8時45分歓迎会終わる。帰宅。それからパソコンで中南米マガジンの仕事。 |
| 新しい職場へ出勤。まずあいさつ回り。それから部長と「挨拶のしかた」をレ クチャーされる。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「よろし くお願いします」の3つをいうようにしてくださいとのこと。 午後5時退社。安斎氏のところへ。Tシャツ販売の打ち合わせ。少し世間話。 7時ころ、池袋リブロブックセンターへ。30冊納品したのに、残は8冊。お礼のしるしに「真鍋かをり写真集」をクレジットカードで買う。女子店員に写真集とカードを渡す。それから帰宅。 |
| 10時出社。5時会社終わる。5時30分、送別会。来てくれた皆さんには申 し訳ないが、なんとなく居心地悪い。私のことを心配する人あり、励ましてく れる人あり、みんなにお礼をいう。 7時40分、送別会終わる。ブックス高田馬場へ売れ行きチェック。10冊納 品して、残り3冊。この3冊がなかなか売れない。店主と世間話。中南米マガ ジンの売場を変えて貰う。 10時帰宅。パソコンで仕事。 |
| 以前、私が営業に行くということを書いたけど、実は営業本部の中の生産管理部というセクションらしいのだ。 生産管理部というのは何をするところなのか?私の仕事はパソコンの画面に会社の仕事内容を入力して、「作業進捗表」みたいなものをつくるという仕事 らしい。一日中、パソコンの画面に向かって数字や記号を入力するというのが仕事なんだそうだ。 うーん、難しい仕事ではないが、やりがいのある仕事かどうか・・・ しかも残業はしばらくはほとんどないらしい。自由な時間が増えるのはいい が、給料は3万円から4万円はダウンするかも。しかもその職場は若いやつがいないとこのようだ。私が3番目に若いのだそ うだ。話相手がいないみたい・・・ 昼、ジャッピーの人と会食。そんな話をする。 4時から仕事。 |
| 朝から忌野氏のCD聞く。本当、勉強しなければならないことが多くて困りま すよ。その間郵便局に行く。 午後書店へ売れ行きチェック。あまり動きない。バンバン売れてくれないもの だろうか。 「タリバン」という本を見つけたので購入。アフガニスタンに突如あらわれた 謎の集団タリバン。彼らをあつかった初めての本だ。出社する途中に読む。久 しぶりに知的興味をそそる本だぜ。 |
| 昼過ぎ書店へ売れ行きチェックの後、音楽書コーナーへ。忌野さんの本数冊購 入。インタビューの準備のため。3時から仕事。午後9時45分退社。 帰りの電車の中で突如、忌野さんに関するスーパーキャグを思いつく。まった くイナヅマのように、俺の頭にひらめいて、かけぬけていったぜ。 もちろん、中身は実に心温まるヒューマンギャグだぜ。残念なのは、このギャ グが「レスポンスギャグ」なこと。忌野さんがある言葉をいった時、返事の形 で使えるギャグなのだ。忌野さんはその言葉をいってくれるだろうか・・・。 深夜、帰宅途中、ビデオレンタル店にて、忌野さんのCDを数枚借りる。イン タビューの中で歌をちょっと口ずさんだり、歌詞をネタにしたギャグを考える ためだ。 それにミュージシャンって、あまり人に知られていない持ち歌が、意外と心中 気に入ってたりするもんだから「おっ、君知ってるねえ」なんて会話が弾む じゃん。 深夜、自宅にて忌野さんの歌を聞きながらインタビュー戦略を練る。まず、 1感動バージョン 出会い頭にいきなり「忌野さん、私にとってあなたは“ボクの好きな先生”で す」と先制ジャブ。あとはナニワ節をバンバンぶちかます。五体不満足な鉄道 員が一杯のかけそば食ったみたいな話だ。母子家庭でしたとか、勉強が全然で きませんでしたとか、でも一生懸命がんばってますみたいな話だ。 2ユーモアバジョン これこそ私の得意分野だ。たとえば真っ赤な衣装であらわれて「いけないルー ジュマジックです」といってしまうとか、高校時代の井出って先公のモノマネ やってみるとか・・・。 3ビジネスバージョン 「中南米マガジン」がいかに前途有望な雑誌であるか、普段鍛えたパワートー クで力説。「忌野さん、あなたはお目が高い」というわけ。ちょっとしたビジ ネス上のアドバイスもで・き・る・ん・だ・ぜ! 忌野さんは最近新刊書を出版されたのだが、大きな書店は通常、音楽書売場が 二つある。一つは一階か、駅の改札口に直結した地階、店舗で一番にぎやかな 場所で、「ロッキングオン」とか「プレイヤー」とかのロック雑誌、そして売 れ線の芸能人の単行本などが置いてある。もう一つは三階とか四階にある売場 で、我々のような第三世界系音楽雑誌、ロック雑誌のバックナンバー、ミュー ジシャンの単行本などが置いてある。 忌野さんの本はたいていここに置いてあるのだ。ここは、「音楽書を買おう」 という目的のある人でないとなかなかこない売場なのである。忌野さんの実力 と名声をもってすれば、下のにぎやかな売場で売られるべきだし、その方が本 が売れるはず、版元にそうおっしゃったらどうですか、と涼しい顔でアドバイ スしたら、オレたちの営業センスにビックリしちゃうかも・・・、なんてこと を考えながら就寝。 |
| 朝9時出勤。会社仕事あまりない。午後5時仕事終わる。すぐ忌野氏の事務所 と、とある芸能人の連絡先の某大手レコード会社に電話かける。目的はインタ ビューの申し込み。そして、映画のミニコミ誌「ジャッピー」の編集部へ電 話。「中南米マガジン」のことも知っているそうだ。電話口で会話がはずむ。 早速、編集部へお邪魔したいと告げ、OKをもらう。場所は池袋。 池袋へ。編集部の皆さんとしばらく雑談のあと、近くの焼き鳥屋へ。話がはず む。深夜帰宅。 |
| 休暇を取った。昼、電話かけ。何人かバックナンバーの注文あり。北海道岩見沢なんてところからも来た。バックナンバーの注文は実にうれしいね。ホン ト。 夕方、池袋のリブロブックセンターに偵察。そこそこ売れてた。もっとパワフ ルにうれなきゃいかん。リブロは売れるんだからさ。お茶の水の日本キューバ友好協会へ。イベントの打ち合わせ。ラム酒一本購入。 深夜帰宅。テレビを見たり音楽を聞いたりして3時就寝。 |
| 休日。天気悪い。テレビをつけるとイスラエルとパレスチナの紛争のニュー ス。暗澹たる気分になる。録画していたビデオを見る。 |
| 中南米マガジンの会議の日。仕事は4時で終わり。飯田橋の会議場へいく前に 神保町で「原史奈」のイメージビデオを購入。 午後6時半から会議。私が営業職場に配置転換になるのが話題になる。深夜帰宅。営業職場にいって大丈夫かと「原史奈」のイメージビデオを見なが ら考える |
| 昼、とある書店へ。あまり売れていなかった。「谷根千」買う。山手線のなか で「谷根千」読む。面白い。会社へ。 仕事中、上司から呼ばれる。雰囲気で何を言われるのかわかった。 「営業職場にいってくれないか」とのこと。私が今勤めている部署は、数年 先、仕事が激減するか、下手をするとまったくなくなってしまう職場なのであ る。しかし、人は多くて、私が経営者なら「彼らが営業にいってくれないか なぁ、得意先に頭の一つでも下げてくれないもんか」と思うのが当然。 わが人生でも大きな転機だ。私も中南米マガジンの仕事で、印刷会社の営業の方と会うけど、彼らの仕事は 本当、大変ですよ。今号でも、印刷所がちょっとしたミスがあったのだが、営 業の人に「申し訳ありません」と頭を下げてもらっちゃった。営業といっても仕事はいろいろだが、外回りの仕事らしい。でもOKした よ。断る理由ないもんね。でもいままで以上に時間を拘束されるだろう。大丈 夫だろうか、中南米マガジン。夜、9時45分仕事終わる。駅前のコンビニで立ち読み。12時帰宅。NH Kの「イタリア語会話」見る。 |
| 皆さん、ごぶさたしてすいませーん。実は8月にパソコンが壊れてしまって、 この編集日記も執筆できなかったのです。しかも財布を落としたり、歯の詰め 物が取れてまた歯医者にいかなければならなくなったり、金まみれで大嫌い だったオリンピックを結局毎日観てしまったり、いろいろ大変だったんです。 8月ごろうちにメールを送ったけど返事をもらっていないという方は、申し訳 ありませんがもう一度メールを送ってみてくだされ。ところで財布を落としたのが9月14日。25日には給料も出たけど、いま だに財政危機状態は続いている。レイクエンジェルに助けてもらうか・・・。 いや、やっぱりそれはやばい。 |
| 取次からバックナンバーの注文。うれしい! さっそく取次会社へ。 会社に行くと、いままで中南米マガジンを応援してくれていたKさんが退社していた。どうしたんだろ? ひょっとして不祥事? 消息は聞かなかった。 |
| 会社は休み。一日中PC故障対策で電話かけやその他いろいろ。機会オンチの自分が恥ずかしい。 暑い。家の風呂も故障。夜、久し振りに銭湯へ。気持ちよかった。 |
| 朝から仕事。休み時間に各方面に電話をかけた。18日に印刷、29日に雑誌ができあがる、このスケジュールを確認。大丈夫だろうか? 夜、日本キューバ友好協会の会議。がらにもなく会議の司会役を買ってでた。 深夜帰宅。PC直らず。 |
| 朝、タウンページでPCを修理してくれそうなところに電話かけまくり。事情を説明すると「おたくのパソコンのメーカーは何」「それが、オウムのメーカーが作ったパソコンでして。いや、私はそういう人間ではないですよ、ハハハ」「たぶん、それは修理できませんよ。製造元にたずねてみては?」「もう、製造元はないみたいなんですよ。オウムと一緒になくなったみたいで」 結局ダメだった。マジでヤバイ! |
| 朝、カプセルホテルで起床。早速日本橋のアイドル専門ショップへ。お昼過ぎまで過ごす。午後、新大阪近くの旅専門の本屋へ。返本を引き取る。店主と懇談。返本を抱えて駅まで。重い! 阪急で京都へ。関西は暑い。京都でミニコミのイベントがあり出席。ほかの参加者はカップルが多かった。深夜、京都駅から寝台急行で帰宅。京都観光もしたかっったが、次の日は朝9時から仕事だったので。 |
| 午後大阪へ中南米マガジンの営業。まず天王寺の書店へ。ここはずっと直取引 をしていたが、業務が煩雑なのでやめることに。店のご主人は在店しておら ず、アルバイトのあんちゃんに用件を 告げる。店の主人とは事前に話をつけておいたので、用意したあった売上金と 売れ残りの雑誌を受け取り、領収書を切って店を出た。 主人は「金曜日は店にいないから、ほかの日にしてよ」といわれたが、こちら の 都合で金曜日の午後に。すいません。 それからとある取次にいった。場所は天満。問い合わせがあったので、これか らは100部多く仕入れましょうということに。やった! いいぞ。 夜、廃墟を改造したというビアホールに。カップルや家族連れの中、一人で ビールを飲む。 |
| きょうも暑い。 昼から飯田橋駅で進行の打ち合わせ。9日に印刷所に入稿することに決定。か なり時間に余裕をもたせて、前回のような地獄の苦しみをあじわわないように したのだ。 しかし、今月末に関西にいくから、その間なにもできず、進行に支障をきたさ ないかと心配。関西には、営業とミニコミのイベントにうちが出品したので、 あいさつと懇親会に出席するためだ。とにかく動かないと雑誌は売れない。関 西は中南米マガジンにとって、まだまだ知名度が低い。サルサとか、結構聴く 人いるのに……。 夕方、飯田橋駅でミニコミ仲間にバッタリ。なつかしくて、近所のファースト キッチンに入り、9時までしゃべった |
| 今日も暑い! 雑誌の進行状況だが、まだ4分の1ぐらい作業が残っている。 朝から作業。本当、死ぬような思い。しかも、写真に汚れがついてしまって、 使えないというアクシデントが発生した。汚れた部分はデジタル処理して、改 めてプリントアウトしなおすということに。午後はその対応に時間を使った。 3時に出勤。今度ちょっと会社の部署が変わり、改めて仕事を 覚えなければならないことに。 9時45分、仕事終わる。帰りがけにブックス高田馬場によったら、4冊残っ ていた。 帰宅し、「イタリア語会話」を見て、パソコンの前で少し作業して就寝。 |
| 中南米マガジンのために今日、明日と休暇を取った。 今日も暑い中、中南米マガジンの仕事でパソコンの前に。 地獄の思い。 昼過ぎ、郵便局へ。帰りに中華料理屋でレバにら炒め定食を注文。パワーをつ けなければならない。 帰宅すると、なにやらあやしげな客がきた。「お宅の瓦はいたんでるから、な おした方がいい」などとしつこく言うセールスマン。人相も悪い。途中からも う一人加わって、わが家の家族構成やら在宅時間などをしつこく聞いてくる。 あやしい。10分ぐらい話したあと、ようやく彼らは帰宅。 本当は彼らもただのセールスマンなのかもしれない。しかし、こんな世の中だ から、一定の警戒心はやむをえないこと。残念だ。帰り際に「暑い中ごくろう さまです」といっておいた。 |
| ひきつづき中南米マガジンの仕事。 朝から暑い。 調べ物をしに図書館へ。しかし目当ての資料はなく、しかたなく板橋区 の中央図書館に向かう。一日中調べ物&執筆。作業終わって帰宅。途中で缶 コーヒーを買って飲む。会社の健康診断で「血糖値が高い」と診断された時に は、缶コーヒーやジュースもやめたのだが、いつのまにかまた飲むよう になってしまった。 帰宅すると妹夫婦がきていた。しばらく雑談して帰宅していった。夕食後、ま たパソコンで作業。 |
| 11時起床。しばらくボーっとしたあと、やらなければならないが、いままで やる気がおきないでいた事をしようと思いたった。 ある人が「マンガを書いてみたい。中南米マガジンに載せてくれ」といってき たので、「原稿を送ってみて下さい」と答えた。そしてしばらくして、そのマ ンガ原稿が送られてきたのだが、それははっきりいって、何がなんだか意味が よくわからないというマンガなのである。 それで掲載は断ることにし、「もう一回チャレンジしてみて下さい」という電 話を作者にかけることにしたのだ。 相手に事情を話すと「連載のつもりだった」とのこと。これからずーっと続く 物語の出だしなのだそうだ。 私はあらかじめ「一話完結の話にして下さい。もし連載にしたいなら、一回で 話の終わるような連載に」といったのだが・・・。 しかし、相手はあっさり納得してくれた。 昼、オフクロが朝食兼昼食を作ってくれたが、ストレスのためあまりおいしく ない。 3時、出社。 午前0時帰宅。帰ってみると、ニューヨークから中南米マガジンの注文。しか も大田区からも。ヤッタッス。 |
| 雑誌づくりもいよいよ佳境に入っている。 この日は、以前に大阪の方からバックナンバーの注文と定期購読の申し込みが あり、朝食をとってのち、郵便局へいき、バックナンバーの小包を受付へ。そ れからクリーニング屋に洋服をとりにいき、調子にのって本屋で「黒羽香奈子 写真集」を買ってしまった。フフフフ。 帰宅後さっそくパソコンの前へ。文章を書くというのは本当にツライ。まった く筆(キーボード?)がすすまないまま夕方へ。 その間にある方にお礼状を一筆かく。 夜雨がかなり降る。「近代ギリシャ史」をパラパラと読みながらフェラ・ク ティを聞く。また、問い合わせの電話が一本、打ち合わせの電話で数本。 ところで、私は7月11日、ドミニカ共和国主催の造形美術展ってやつにいく んですが、どなたか一緒にいきませんか。高輪区民センター展示ギャラリー で、19時から21時までです。 くわしくはドミニカ総領事館へ。電話番号は03−3499−6010です。 |
| 暑い!この暑いのに前日に続いて中南米マガジンの作業。温度計を見たら、3 4度ありましたよ。 私の部屋は2階にあり、夏は猛烈に暑いのだ。しかも私は冷房が大の苦手。 仕事が一区切りついた3時頃、ちょっと横になったら、そのまま8時まで寝て しまった。 しかし頭がスッキリ。かえってそれから仕事がはかどった。 夜、またパソコンで作業。テレビをしばらく見ないことに決める。だってテレ ビを見るともうそれだけでダラダラになってしまい、作業がはかどらないか ら。 深夜、ルーベン・ブラデスの「シエンブラ」とボビー・バレンティンを本当に 久しぶりに聴く。 |
| 昼、ずーっとパソコンの前で中南米マガジンの作業。息苦しい。だがまだまだ 来てない記事もある。というより、私の「無理なこと」もまだ。つくづく、文 章を書くのは大変ですな。 夜、用事で東京へ。池袋のリブロブックセンターはあと4冊。よしよし、この 調子で完売してくれよ。 自宅に帰り、トニー・アレンとアフリカ70の「ノー・ディスクリミネーショ ン」をちょっとだけ聞き、「タモリ倶楽部」を見て就寝 |
| ドミニカ大使館のパーティーにいく。外交官みたいな人に紹介され、名刺を配 りまくった。 ビールとワインをしこたま飲んだけど、失態はなかった。 |
| とある民芸店から電話。店を閉店するので、雑誌を引き取りにきてくれとのこ と。店の主人、いい人だったのに残念。これからは店舗を持つのはやめて卸の 仕事をしたいとのこと。がんばってください。ちなみに創刊号が一冊売れた。 そのあと下北沢のソマリア料理店で夕食。 |
| ここのところ更新がとまってしまってすまん。 実は非常に重大な展開がおこっていて、目下そのことであれこれ各方面と話し 合ったり、なかなか大変なのだ。 それが何かは次号であきらかになるので、お楽しみに。 ヒントは「よぉーこそ」だ。 |
| とあるレコード会社から電話。なんとライナーノーツを書いてくれという。 やったぜ!!!原稿料も結構なお値段。そうかそうか、ライナーノーツ か・・・。音楽が「1」だった人間がそんなもんかいていいんだろうか。 いや本当、うれしくてさー。ひさしぶりにボブ・マーリーを聞いて就寝。 |
| 夜、久々に飯田橋で企画会議。次号 に向けて話し合う。早めに終わらせ、お茶の水の「日本キューバ友好協会」の 事務所へ。会議が終わって帰ると、本が届いていた。コロンビアについての本。著者は 何回か拙宅に電話してきたそうだが、いつも私が不在で、私と話がしたかった ようだと、母がいっている。同封された手紙には、とあるサークルで先号のコ ロンビアゲリラ特集を教材にしたとのこと。 |
| 会社の友人と新宿の中華料理屋で会食。そのあと東中野の喫茶店で8時まで しゃべった。 |
| とあるイベントで中南米マガジンの販売。2冊売れた。ちなみに参加者も少な く、23人だった。 |
| 新大久保の韓国料理屋で「極秘計画」の作戦会議。話がおおいにもりあがっ た。「極秘計画」とは何かって? それは秘密っす。でもたいしたことじゃな い。うまくいったときに読者の皆さんをあっといわせたいだけっす。でもみん なで話がもりあがり、最高に楽しい夜だった。 |
| 下北沢で、新規書店に中南米マガジンの販売をしてもらうことを頼みにいく。 店主は「直の場合はねえ、かならず期日を守って配達集金してもらいたいんだ よ」とのこと。ルーズな版元が多すぎるそうだ。いろいろ話して見たが結局取 り扱いはこちらが断ることに。はっきりいって、現在直取引がかなり多くて、 一つ一つの書店に十分なケアが出来ないのが現状なのだ。 |
| とある書店に電話。中南米マガジンの次号を配達したいと告げる。ところが電話の向こうの人は「残念ですが・・・」もう取り扱いをやめたいという。やはり取次を通していない商品は扱いたくないのだと。ざざざ残念。 |
| 目が覚めるとそこはカプセルホテルの中・・・。しかも猛烈に気持ちが悪く、頭は痛いし腹は痛いし、左手にはひっかき傷のようなものがいくつも付いていた。ぼんやりと、自分は意識がなくなって、たぶんだれかの手でここに運ばれたのだろうということがわかった。しかしここはどこ?カプセルホテルから表にでてみると、どうやらここは渋谷だということがわかった。青山から渋谷へ。まったく覚えてないけど、迷惑かけまくりの道中だったんでしょうね。浮浪者そのものといった格好で駅に向かうと途中に薬局が。早速入って「すいません。二日酔いに効く薬ってありますかね」栄養ドリンクを一本買い、その場で飲む。そしてまたとぼとぼと渋谷駅へ。と突然猛烈な吐き気が・・・! ハチ公前の広場で栄養ドリンクを全部吐いてしまった。あまりの気持ち悪さに、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。朝の渋谷で吐いている男なんて、これはもうシンナーか覚醒剤で人生を破滅させた男の図だね。でも吐いたので少し気分は良くなった。喫茶店にいって、暖かい牛乳でも飲もうと思ったわけよ。センター街の「ルノアール」へ。ようやく椅子に座っておしぼりをもらっ て、ああやれやれと思って下を見たら、「社会の窓」全開!!!この格好で渋谷の街を歩いていたとは!?やはり渋谷はオレに冷たい街。気が狂うほど恥ずかしい思い出の数々が、渋谷の街のそこここに眠ってるね。 |
| とある人の紹介でとある会社の人たちと青山にブラジル音楽を聞きにいく。その人たちとは初対面。若い女性も何人かいた。それから会社の重役らしい年輩の人とか、ポール・ニューマンとジム・ジャームッシュを足して2で割ったような外人さんとか。「ナイスチューミーチュー」なんていっちゃったぜ。私が酒で失敗するときの傾向というのは、あまり知らない人と一緒に飲んで「いい人に思われたい、面白い人だと見られたい」という気持ちが強く働いて、かえって酒の力で強引にオシャベリになるが、酔っぱらって醜態をさらすというのが一つのパターン。この時も周りにすすめられるままに強い酒をガンガンあおることに・・・。気が付いたら、猛烈に気持ちが悪くなっていた。 |
| 朝、いきなりFAXがやってきた。とある女性雑誌から、中南米出身の若い女性を紹介してくれ、あしたスタジオに連れてきてくれとのこと。断ってもよかったけど、こういう時、人がいない、ネタがないという苦労は私どももさんざん味わったので、いろいろ電話をかけて該当する若い女性を捜す。結局一人見つかり、先方へ連絡。 |
| まず初めに、前回の日記の中で、音楽評のMOをつくってくれた人に批判的ではないかと受け取られかねない個所があったので、謝罪いたします。本当はその人はいろんなことをてつだってくれたので、とても感謝しているのです。雑誌は、あれからいろいろありましたが、火曜日には印刷所に納品できた。この日は、東京バンドネオンクラブのコンサートを聞きにいった。その後にテレビ局の人に紹介される。テレビマンユニオンとNHKの人。名刺をもらった。 |
| そんなわけでコンピュータウイルスが感染しているため、音楽評の入っているMOは使えない。とはいっても、前回説明した2枚のMOのうち、前の1枚、少ししか直されていない方はウイルスに感染していない。したがってこちらを使うことに決める。そこで、前日からマックで版下の製作をしてくれた女性に電話。しかしなかなかつながらない。ようやく午後8時ころに彼女につながる。彼女に事情を説明、前回あなたがやってもらった直しは使えないこと、もう一度直しをやってもらいたいこと等々を告げた。彼女の答えは、ここのところ仕事が忙しいから、できない。休日もダメとのこと。嫌われたのかな・・・と考えた。彼女はなかなかかわいい女性で、だから私は彼女との仕事のときは、胸ワクワク心ウキウキだったのである。だから彼女の前で鼻の下でも伸ばしていたのかもしれん。だがここは押しの一手。どうしてもやってほしいとがんばった。結局あした、仕事の合間にできたらやる(できない場合あり)になった。そして午前11時の彼女の出社前に会社のポストに指定紙とMOを入れておくことに。あしたは午前8時起きっす。 |
| 夜、今回の目玉のマンガの指定紙づくり。ところが、マンガの原稿は全部で14枚あり、初めと終わりの2枚はわかるが、他の12枚のマンガの順番がわからない。そんなの中身の話を見ればわかるじゃないとこれをお読みのあなたは思うだろう。私もそう思っていて、いままで後回しにしていたのである。しかし、このマンガはよく読まないと話の展開がわからないのである。午前2時! 午前2時に、マンガの登場人物を一人一人紙に書き、原稿の順番を推理、一時間かけてようやく完成。昼すぎ起床。飯田橋の事務所へ。デザイナー氏いわく、MOの状態が不安定だという。だから音楽評の直しはできないと。どうする?私には秘策があった。マック代行サービス(マックの機械を貸してくれる会社)にいき、受付のお嬢さんに「マックの機械を貸して下さい」と告げる。こちらでございます、と案内されたマックの機械の前で、お嬢さんに「すいません、ちょっとこのMOを入れて機械を起動させてくれませんかね」と告げた。あわよくばこのお嬢さんに直しをやってもらおうと考えたわけ。MOを入れて機械を起動させるとエラーのメッセージがでた。お嬢さんは「少々おまち下さい」といっていづこかへ去り、戻っていった。「MOにコンピュータウイルスが入っているようです」「かぜの季節ですからね」といったら受けた・・・。 |
| 雑誌づくりも大詰めでいくつものトラブルが発生し、なんとも死ぬような思い。ゴール直前に心臓破りの丘があらわれたよう。朝、駅前の松屋で豚カルビ定食の朝食。食欲ない。飯田橋の事務所へ。責了になった版下がやってきた。あとは音楽評、目次、編集後記だけ。後二者は組ゲラがあがったら点検して、責了になったら出力センターに回すだけ。そこは問題ない。今ここに二つのMOがある。一つは最初の直しをやったもの。もう一つは2回目の直しをやったもの。安斎氏、山大氏と協議の結果、2回目の直しをやったものを新たに直すことに決定。あとは安斎氏にまかせるしかない。いよいよ重大な決断をする時がきた。木曜日、どうしても休暇を取らねば。午後4時に出社。直属の上司に休暇を申請。OKのハンコをもらう。 |
| 皆様どうもすいません。雑誌作りも大詰め、最後の段階にきております。あと一歩、あと一歩です!!!というわけです。印刷所には、2月22日に版下を入れるという話をした。とうとう最後の時、絶対守らなければならない締め切りというのがきたわけだ。印刷所の人は、3月1日にできるという。それが第7号ができあがる日。たぶんその2日後ぐらいが発売日ということになるのではないか。 しかしだ。まだこえなければならない課題は山積。まずまだ未入稿の原稿があるのだ。それは木曜日には入手できるはずだったが、いまだにやってこない。この問題を大至急究明しなければならない。明日は電話かけまくり攻撃だ。くわえて、音楽評にまだ数点直しがある。今回から音楽評はマックで作っているのだが、マックってやつはなかなか味なことやるっつーか、直しが大量にでてしまった。かなり直したがそれでもまだ数点直しが・・・。また、表4の広告もまだきていない。これは金曜日に来る予定だったが、それもまだ。しかし、表紙というのは本体よりも2〜3日遅れてもいいから、まだ時間の余裕はある。雑誌を作る上で一番苦しい時、まさにいまがその時なのだ。 |
| 中南米マガジンの製作も大詰め。みんなまたせてごめんよ。現在、3分の2くらいができあがっておる。しかし、一番大変な音楽評の部分が、組ゲラは上がったのだが、直しがかなり多い。ここをクリアしないと前には進めない。タイトル名、アーティスト名、レコード番号のチェックも大変。しかし、ここをクリアすればあとはたいした障害はない。そんなわけで、2月3日の夜にみんなで集まることになったのだが、集まりが悪い。中南米マガジンの製作って、9割方完成してからが長いというか、いつもそうなのだ。 |
| ひさしぶりにアフリカ音楽を聞きに行く。なかなかよかった。ところで私は最近、ラテンアメリカの音楽ってやつをまったく聞いていなくて、聞いているのはアフリカ音楽を少々といった程度なのだ。中南米マガジンをつくっている身としてはあまりよくないかもしれませんけど、アフリカ音楽のほうが数段楽しい。 |
| 高田馬場のアフリカレストランで食事。Sさん、映画之雑紙の佐藤さん、書店員のHさんの4人。私の昔話などして盛り上がった。終わり近くになって突然「お誕生日おめでとう」とSさんとHさんがプレゼントをくれた。この日は私の誕生日なんです。もう大感激っす。その時、昔のいい思い出が走馬燈のように頭の中をかけめぐったよ。そういえばなあ・・・。うんうん(しみじみ)ところで最近見た「地雷を践んだらサヨウナラ」は面白かったですよ。 |
| キユーバ映画上映会の日。準備で結構忙しかったが、何とか開催にこぎつけた。題名は「フルカウント」フィルム賃貸料送料込み42000円だ。「ぴあ」や「東京一週間」に取り上げてもらったのでオレの携帯電話はなりっぱなし。これは大入り満員かも・・・と思ったぜ。しかしだ。ふたをあけてみると、入場者数62名。招待した人も来たので(キューバ大使館員もきたぜ)実際に映画を見た人はもっと多かった。オレはスタッフだよってな顔してただ見したやつもいたしね。入場料1000円なのでまったくの大赤字。だって収入は62400円だけだもんね。(400円はカンパです)会場使用料16000円、講演料30000円、もうこれだけで、赤字という次第。終わった後、反省会みたいなことやったが、オレはやはり人前でしゃべるべきじゃないね。そういう器じゃないっていうか・・・。リーダーシップかないんですよね。ちなみに中南米マガジンは10冊売れました。 |
| 夜勤の日。朝寝坊して、夕方会社へ。と、私は休暇になっている。なぜ?なんと、私は、その日は朝9時からの勤務だったのだ。ヒエー! 間違えたっす。そうか、休暇か、しょーがねーな・・・、とぼとぼと作業着を私服に着替えていると上司がやってきて「金安君、ちょうどいい、今日は仕事がたくさんあるから、夜勤やってくれ」とのこと。「そうですか。本当に今日はどうもすいません」と平謝りに謝って、仕事・・・。 |
| 歯の手術。麻酔を何本も打たされたので、ほとんど痛くなかった。しかしだ。13万8000円の出費はかなりいたい。なけなしの貯金をおろして払った。しかも、この秋は何かと物いりで、さまざまな出費で懐具合がかなりさみしくなっている。前回、会社の先輩に数万円もらったという話をしたが、それでも、財布から飛び立つ札束の列は止まらない。正直、中南米マガジン発行の危機すら予感させるほどのものだ。しかも、キューバ映画上映会がせまり、これまた、会場費、宣伝費、フィルム賃貸料等々の出費が必要だ。雑誌づくりは、発展してきていると思う。先日も「GROOVE」という雑誌で取り上げられたという話を聞いた。しかし、発展すればするほど、短期的に用意しなければならない資金が多くなるのだ。運送費何万円、電話代何万円、印刷会社への支払い何十万円、付き合い費何万円・・・、じっと手を見る。 |
| キューバン・サルサ・ダンス・コンテスト会場にて中南米マガジンの販売。結構売れたぞ。しかもデイリースポーツのエラい人が購入してくれた。デイリースポーツで取り上げてくれないかな、オレたちの事・・・。キューバ大使館の人が、「ラテンアメリカ婦人協会」という団体のフェスティバルの入場券が売れなくて余っているといったので、一枚購入。2000円でした。それはそうと、歯槽膿漏の手術が11月5日に迫っている。保険のきかないクスリを使うため、13万円かかるのだそうだ。皆さん歯は大切にしましょう。 |
| 実は、私は中南米マガジンのことを会社では一言もいっていない。私が勤める会社というのはちょっと個性的な会社で、私はそんな会社と同僚たちを愛しているのだが、自分たちのやっていることがどういう風に受け取られるかわからなかったので、私と中南米マガジンの係わりが知られるのを極度におそれていたのである。創刊してしばらくは雑誌のことなど誰も知らず、「たぶん一生バレネーだろうな」とタカをくくっていたのだが、3号もだすころになるとそうもいかず、どこで知ったのか私と「中南米マガジン」のことに気づいて、「おまえがやってることは知ってるぞ」とおっしゃる方もいたりした。そして今では、「知ってるひとは知っている」というところのようだ。ところが、きょう、仕事をしていると、ある人がいきなり「買ったよ」と中南米マガジンを私に見せたのである。いつかこんな日がくるとは思っていたが、しかし心の準備ができていなかったので、私は声を上げず黙って彼を見ていた。すると彼はカンパだといって封筒を私に渡したのである。その中には、ウン万円が入っていた。その彼とは前々から仲は良かった。彼と呼ぶには少々年の離れた先輩で、くだらない世間話なんかをいつも話している友達だった。しかし、わたしは彼に中南米マガジンのことはだまっていたのである。秘密にしていたのだ。そのことを少々心苦しくおもってもいたのである。それが今からたった数時間前のこと。そしていま、そのお金は私の目の前にあるわけだ。はっきりいって、もらう義理のある金ではない。私たちがやっているのは、世のため人のためというものではない。たぶん、彼は私どものやっていることにいきに感じて、そんな行為をしてくれたんだと思う。しかし、私どもからみれば、しょせん、旦那の道楽ぐらいのものなのだ。このホームページをごらんになっている方はどう思いますか。 |
| 歯医者へ。詰め物はいれてもらった。しかし、ちょうど反対側の奥歯の歯茎がはれているので、レントゲンをとってもらう。歯医者は「奥歯が部分的に歯槽膿漏になってますね」。これは根本的な治療が必要だという。ちょうど奥歯の間が空いていてそこに食べ物のカスが入り込み、歯槽膿漏になっているのだという。奥歯を抜き、その間をふさぐ大手術をしたいのだと。カガガーン。中南米マガジンは、それからつくりはじめだというのに・・・。 |
| とある書店で新規営業。断られる。 |
| 午後、歯医者にいく。さっそく新しい詰物をつくっていれましょうということになった。思わず「いくらですか」と聞いた自分が情ない。だが思ったより痛くもなく、すぐ終わる。それはそうと、いよいよキューバ映画の会の準備に本格的に突入しなければならない。宣伝に力をいれなければ。しかも次号の準備もしなきゃいかんし、広告営業もやらなければ。しかもしかも関西にも営業にいきたいし、友人のF君のホームページ用の文章も書かなければならない。しかもしかもしかも歯医者にもいかなければならないし、・・・もー大変ッス。 |
| 一日中部屋の掃除。なかなかはかどらん。 |
| 夜中、突然私の歯の詰物が取れてしまう。なんたること、中南米マガジンで忙しいっていうのに、歯医者にいかなきゃいかんとは。トホホッス。 |
| 企画会議。久々に中南米マガジン軍団の諸君が集まった。いろいろな人にメール、手紙、FAXを送ったので、問い合わせも結構あった。前回の会議もそうだったが、こういう時集まるのはなぜか女性が多い。この会議も男性は4人だけ、あとは皆女性だった。正直いって私は今まで人を指導したことがない。そういう立場になったことがないのである。いままではずっとお気楽な「下っぱ」稼業で楽にいきてきたのである。しかし、「中南米マガジン」を作成するとなればそうはいっていられない。リーダーにならなければならないのだ!「さあ、みんな、ヤローゼ」なんていって、みんなをひっぱっていかなければならないのだ。しかし、そんな柄にもないことをやっていると、ストレスというか、なんというか・・・。会社では、全然違う人格なのである。ジギルとハイドとはまさにこのこと。ところでこの編集日記は雑誌に発表するものとはちがってロクに推敲していません。かなり文章がヘタッビになっておりますが、ヨロピク。 |
| 夕方、某書店に偵察。かなり大きな書店だ。音楽雑誌売場にあった。あまり売れてないんじぁないかなぁ。「中南米マガジン」の前には大きなオッサンが立っていて、何十分も「ヤングギター」を立ち読みしてたぜ。じっっっっっっっっっゃまなんだよ、オッサン。どいてくれよ。と呪いの言葉をはいてしまったよ。しかし、自分もよく立ち読みするからな。人のことはいえないってやつすか。それから、とある書店へ。小さな書店だったがおいてくれるそうだ。感じのいいご主人だった。しかも、掛け率が7.5。「昔は直販の掛け率はだいたい7.05だったんですよ」といっていた。企画会議もやってみんなをあつめなきゃな、20日ごろでどうだろ。 |
| 夜、昨日話した某書店にいってみる。全力であちこち徹底的に捜してみたら、ありましたよ。以前置いて会った場所のすぐ近くに・・・。しかし、棚の影になっていて全然目立たない所。これじゃあ売れるわけないよな。そこで主任氏にきてもらい、置き場所を変えてもらうことにしようと思い、さっそくレジの女の子に用件を告げる。レジの女の子はさっそく電話をかけてくれた。しかし、今主任は忙しいので、あとにしてくれという返事。確かにその時刻は夕方で、書店はもっとも忙しい時間帯なのだ。こうした交渉ごとをするには午前中、それも開店すぐにいった方がいい。また早起きすんのかあ。仕方がないか。引き上げよう。 |
| 午後3時 | 会社で会議。また会社の業績が悪いという話。入社以来、そんな話は随分聞いたぜ。 |
| 午後4時 | 仕事が終わるとさっそくダッシュ。原宿のライブハウスで配達アンド集金。10冊完売。しかも4月ころにもう売り切れていたという。ここは10冊かならず完売する店なのだ。店主に礼をいう。その場にアフリカ音楽のイベントのチラシがあったのでGET!10月11日かあ。いきてーなー・・・、これを見た方、どなたか一緒にいきませんか。 |
| 午後5時30分 | 渋谷の某書店で売れ行きチェック!しかし見あたらない。売れないからもう置かなくなったのだろうか。また今度来て、その時なかったら名刺をくれた書店員に中南米マガジンが置いてあるか聞いてみよう。 |